(7) 商業都市フランセル

 ポールは三時間ほどで街に着くと言っていたけれど、川辺から離れて馬を急がせていたからか、それほど時間がかからなかったように思う。途中に昼食として、燻製肉とパンを食べたが、休憩中は森林地帯だったこともあり、ポールが調達した果実も一緒に食べた。野生のためか甘みが少なく、代わりに酸味が強かったけれど、おかげで少し疲れが落ちたようにも思う。あれはなんという果実だったのだろう。

 そういえば、日本の携帯食は話を聞いただけだとおいしそうに感じた。お湯で戻したほしいいと味噌汁を携帯食にしたとか、懐中かいちゅう汁粉なんて物も聞いたことがある。燻製肉もパンも、持ち運びと保存を意識した物なので、固くてあまりおいしくはなかった。水筒に汲んでおいた水は飲んだけれど、のどに張り付くようなぱさぱさ感はぬぐえなかったので、汁気が欲しいと思ったものだ。さすがにそんな量の水はなかったので、我慢したけれど。

 ポールとアル、イヴォンは腰に金属でできた水筒―――スキットルの様な物を固定している。軍人は遠征などの時、水よりも酒を持ち歩く傾向にある。酒が癒す喉の渇きは一時だけれど、水では腐るからだ。しかし先ほど襲撃があったので、今は酒を飲むわけにいかない。それでポールは果実を調達してくれたのだろう。


 そうやって、私達は東ベランジェールの商業都市フランセルに入った。



「わぁ……」


 いちが立ち、綺麗な服を着た人がたくさん歩いている。村とは桁違いの賑わいは、先程までの私の暗い気持ちを晴らしてくれるようだ。音楽が聞こえてくるが、街角で誰か演奏しているのかもしれない。


「ここがフランセルの街ですよ。東最大の商業都市ですが、馬の飼育も盛んなので、王宮にも多くの馬が献上されます。ここでリディアーヌ様の馬を揃えましょう」


 イヴォンがそう言うと、ポールとアルが馬を降りる。私も降りるかと思ったけれど、イヴォンが馬を降りようとしないので、そのまま馬にまたがり、二人の行動を見守る。アルは手綱を馬から降りたポールに任せて門に向かう。アーチ状になった村の門には見張りがいる。……見張り、と言うにはいささか重装備だろうか。……やはり、王都が敵の手に落ちたのだろうか。

 商業都市と言うことは、大阪のような街だろうか。この街はにぎやかだけれど、ああいう特徴的な話し方はないし、威勢がいいというよりは活気があるという感じがするけれど。


「どこからのおいでですか?」

「僕の顔を見たことがないのですか?」


 アルが門番に問いかけられる。イヴォンが話に割り込み問い返すと、門番は一度訝しげな顔になったあとに、すぐ表情を変えた。


「ぐ……軍師殿! お疲れ様であります!」


 やはり軍師の顔は把握しているらしく、門番はすぐに気付けなかったことで慌てているようだ。


「極秘です。近々、形勢は逆転するでしょう」

「……っ! お気をつけて」


 会話はそれだけで街の中に入っていく。門の向こうの賑やかな景色に心惹かれていたのだけれど、すぐに緊張感を取り戻すことができた。門番さんに感謝だ。賑やかな音楽が聞こえた街の中も、物々しく動く騎士の姿が見える。忘れてはいけない。この国は確実に、崩壊に向かっているのだから。


「それでは宿に向かいましょう」


すでに宿は決まっているのか、前を歩くアルの歩みに迷いはない。イヴォンと同乗しているからか、街を歩く騎士の視線は私に集中して恥ずかしいので、はやくたどり着いてほしいものである。



 宿の場所は門からかなり離れていたので、私はかなり恥ずかしい思いをした。


「つきました、リディアーヌ様」


 アルがたどり着いたというので、その建物を見上げる。まるで貴族の屋敷のように立派な建物だ。修道院も大きな建物ではあったけれど、目的が違うからか、様式美が全く違う。こんなに立派なホテル、修学旅行でも泊まったことがない。


「すごい……」

「ずいぶん立派ですのね。要人御用達って感じ……」


 私と違ってマリーは貴族令嬢なので、こんな建物に驚いたりはしないらしく、まともな感想が出て来た。私ももう少し語彙力を増やしたいものである。


「ご明察ですね、マリアンヌ嬢。おかげで女将おかみの口が堅いので、一泊するにはもってこいです。これより上等な宿もありますが、そこは警備が厳重になるので目立ちますからね。……リディアーヌ様が宿泊するにはもう少し、格式が足りませんが」


 ……勘弁してください。

 要するにそれなりに安心できる宿と言うことらしい。宿の部屋を取ると、イヴォンはどこかに行ってしまい、私は久々にお風呂に入ることにした。……いや、川とかで汲んだ水で体拭いたりはしたけど、やっぱりだいぶ冷え込むようになった今日この頃。流石にきついんだよね。



 湯に浸ると、自分の体が思った以上に冷えていたことに気が付く。なんだかんだで、ずっと外に居たのだから当然かも知れない。久しぶりにお風呂に入れるなんて幸せだ。浴室はそれほど広くはないのだけれど、トイレが別の場所にあることも好感が持てた。畳二、三枚分くらいの広さに、バスタブとシャワーが置かれ、壁にタオルとブラシがかけてある。大陸では海の近くでもない限り、シャワーで済ませる文化だ。当然、シャワーは浴槽に備え付けられているけれど、何となく西洋の入り方はしたくないので、浴槽に入らずに体を洗った。綺麗なお湯に浸かったので、とてもすっきりした心持ちだ。やはりお風呂は日本の入り方に限る。



 ……里穂とは、一体何だったのだろう。リディアーヌとして、そう思う。湯船に浸かって落ち着いていると急にいろいろなことが気になった。時々わからなくなるのだ。あの時からずっと違和感がまとわりついている。最後に見た、近づく大きなトラック。はトラックを見たことがないし、知らない。でもあれはトラックだと、トラックという名前だとわかる。自分でも見たことのない物なのに、見たことがあるという記憶が存在する。その違和感の正体が私にはわからない。


「え?」


 今、何か物音が聞こえた。思わず立ち上がり、しばらく無言で神経を集中させてみたけど、人の気配はない。先ほどの賊のことを思い出して少し怖くなる。長居せずに、そろそろ出たほうがいいかも知れない。そう思って湯船のふちに手をかける。


「そういえば……」


 あの賊にポール達が気付いたのは、やはり殺気でも感じたのだろうか。殺気を放ったということは、私たちを殺そうとしていたということになる。イヴォンやアルと共に動いているから探られていたのかもしれない。賊三人は軍人だった? アルの発言を前提として、同じ格好だったということはそういうことだろう。村を出て何度も休憩したのに、襲撃が村を出てすぐではなかったということは、私の正体を探っていたのだろうか。いやでもどのみち襲撃をするなら、さっさと襲撃して私に直接聞くほうが簡単だ。少なくとも、チャンスは三夜あった。今のところ私は見るからに村娘だ。ちょっと脅せば口を割ると思ってもおかしくないのに、襲撃が今日だった。それは何故だろう。もともと今日はこの街に入る予定だった。じゃあその直前で慌てたということになるのだろうか? いやでも、それなら今日まで襲撃を受けなかったということが理解できない。夜はポールとアルとイヴォンが交代で二人ずつ見張りをしていた。起きているのが二人なのだから、三人で掛かればうまくいく可能性も高い。何故、襲撃を今日まで伸ばした……?

 ピチャン、ピチャンと、湯にしずくが落ちる音がする。浴室内は静かだ。考え事をしていると、目に映るものを気にしない一方で、静の中の動に視線が引き寄せられる傾向にある。落ちるしずくを見つめ、広がる波紋を見つめ、浴槽に張られたお湯の水面のふちを凝視する。


「あ……」


 ふいに、私の思考の波を感じ取っているかのように、水面のふちがゆらりと揺れた。襲撃を伸ばした理由を知るならば、そうしなければならなかった理由があったと考えるべきだ。そうすることで思考の空白を埋め、事実が見えてくるようになるはず。私はいつもそうして物事を考えていたのだから。……そうだ。


「んむ……っ!」


 突然口をふさがれた! 後ろに何者かがいる。浴室の中、思わずもがき暴れてみるが、つかんだ物は、浴槽のふちにかけていたタオルだった。よくわからない状況で、そのタオルを意味もなく抱きしめる。タオルを抱きしめて、ようやく自分が裸だということに気が付いた。タオルを抱きしめる手に、力を込める。浴槽にかけていたタオルは濡れているために、肌に張り付いてしまうが、ないよりましだ。


「お前は誰だ?」


 静かな浴室の中で、低くささやく声が響いた。耳の裏で聞こえたその声は、私には大きな声のように感じたけれど、浴室の扉の向こうを見つめるに、ただの気のせいだろうと思われた。右手でタオルごと自分の体を抱きしめたまま、左手を私の口をふさぐ腕にそっと添わせると、触れた瞬間に口をふさぐ手が、まるで顎をつかむように力が込められた。不用意に動くなと言うことだ。

 背中に感じる大きな体は、明らかに男の物だ。浴室で私はタオル以外身に着けていない、非常に無防備な状態だ。無防備な状態で、男によって身動きを封じられてしまっている。冷静になれ。そう何度も心の中で言い聞かせているというのに、私の体はカタカタと小さく震えてしまう。恐ろしいと、悟られたくない感情を、あからさまなほどに伝えてしまう。


「ん……」


 小さく、うめき声が漏れた。頬をつかむ腕が強くて、歯が頬に食い込んで痛い。口をふさいでいるのに、私が誰かを問うのは、嫌味のつもりなのだろうか。まるで私は絶対的な弱者だ。浴槽に立ち上がった状態では、湯に浸かっていない肌が冷えてしまい、密着する男の体温と息遣いに、過剰に反応してしまう。


「あぁ、口を塞がれてたら話せないもんなぁ……」

「んっ」


 男は口をふさぐ手をそのままに、まるで私を抱きしめるように、左手を前に回してきた。肌をなぞるような指先の動きに、肩が縮こまる。ただでさえ湯気のこもる浴室の中だ。口をふさがれてしまい、呼吸を制限された状態ではのぼせてしまい、頭は正常に働いてくれない。何とかしなくては。浮かぶのはその言葉ばかりで、一向に思考が働いてくれない。


「ふっ」


 男が私の耳に舌を這わせたが、漏れた息は音にはならなかった。少しでも声を上げたいけれど、くぐもった声ではあまりに響きが悪く、つかまれた頬が痛い。


「……ここまで、だな。惜しいところだが、どうせならたっぷり可愛がってやる」


そんなことは聞いていない。このままでは連れ攫われてしまう。ただでは済まされない。


「人数が増えるけど、構わねぇよな」


不意に、回された左腕が離れ、男が私の顔を覗き込んだ。賊と同じ格好で、口元を布で隠しているけれど、細められた茶色の目を見るだけで、男の下卑た笑みが透けているようだった。目の色なんて普通すぎて、何の手がかりにもならない。

 ……人数が増える? 男の装いは先ほどの賊と一緒だ。私に誰だと聞いてきた。ということは、やはり連絡係だろうか。そう、私はついさっき仮説を立てたのだ。襲撃を今日まで伸ばさなければならなかった理由はなぜか。たとえばあの賊が、村までポール達を追いかけてきていて、遠くから見張っていたとしたら。すぐに襲撃されなかったということは、私が王族だという話はばれていない。私は珍しい光だから召し抱えられるということにしているし、村の皆にもそう伝えた。

 ……だんだん、頭がはっきりしてきた。

 王都が占領されているのに、召し抱える女を迎えに来た。裏があることは一目瞭然だ。当然、動向を探るだけにとどめるわけにはいかない。たとえばポール達が、シャノン辺境伯の元を目指していたら、すぐにでも彼らは動いたのだろう。けれど向かった先はボドワンという村で、顔を合わせたのは村娘だった。私の身元を調べたところで、すぐにわかることは、辺境なら珍しくない孤児であることと、ボドワンを離れたことがないということくらいだ。彼らはポール達の思惑を探る必要があり、私の存在を伝え、指示を仰ぐ必要があったのだろう。連絡役が離れたために、すぐに動くことができなかった。何故動いたのか。あの時の、会話を思い出して……。

 今私の動きを封じている男は、私たちが宿に入るところを目撃したのかもしれない。それで私を襲ったのだろうか。

 ふと、視界に壁にかかったブラシが目に入った。さっきは手を伸ばしても触れることができなかった。けれど、このままお行儀よくしてさらわれるのかと思えば、動かずにはいられない。暴れるふりをして、そのブラシを蹴る。イチかバチかの行動だ。ブラシは壁に当たり、浴槽のふちに当たり、床に落ちて音を立てた。無言のまま、抵抗しているふりをして、暴れなければならない。……ブラシを蹴ったんじゃないの。連れてかれるなんて嫌だから暴れているの。そう考えてくれればいい。イヴォンは出かけているはずだ。マリーは危ない。ポールか、アルが気づいてくれればいい。


「この……!」


 男の頬をつかむ腕に力がこもり、私は体ごとその手に引き回される。暴れているので、頬の内と外が擦れている。口の中でわずかに錆びた味を感じる。もっと切れてしまえば、出血で大きな水音が建てられたかもしれないのに。


「どうしたの……リディ!」


 音に気付いたらしく、マリーが浴室に入ってきた。男の慌てた様子に、私も思わず目を閉じたのだけれど、目を閉じる寸前にマリーの背後から腕が伸びるのを見た。扉の向こうから誰かが手を伸ばしたようだ。


「アアァァァァ!!」


 肩に手が回されて、側で絶叫が響いた。頬に何か液体がかかった。目を開くと、先ほどの男が、嵌め殺しの窓ガラスを割りながら、外に落ちていくところだった。タオルを握り締めたまま頬を拭ってみると、それは男の血のようで。浴槽に浮かび、水の色を真っ赤に染めていくモノを見て、ようやく男の腕が切り落とされたことを知る。視線をさまよわせると、アルが私の肩を抱いていて、血まみれになっていた。私の頬にも血がかかっていたことから、私をかばって返り血を浴びたのだとわかった。扉近くの壁には針がたくさん刺さっていて、浴槽の上の天井の一部が外されていた。おそらくここから男が侵入したのだ。

 目を閉じるだけで、こんなにもこの浴室に変化が訪れていた。


「リディアーヌ様、ご無事で……っ失礼!!」


 アルは私の無事を確認するけれど、すぐに顔を逸らした。一瞬自分の上着に手をかけたのだけれど、上着も血塗れだと気づいたのか、切り落とした腕を拾って、背中を向けた。


「……警戒を怠って申し訳ありません」

「アルのせいじゃない……」


 アルは確かに騎士の隊長だけど、相手はおそらく諜報員だった。気配を消すプロなのだと思う。本人は気付かなくてショックなのかもしれない。それでも、私は助けられたことに感謝していて、ほっとしている。


「……リディアーヌ様? リディアーヌ様!」


 不意に、視界に白とも緑とも黒ともつかない色が差して、赤く染まった湯船の中身が音を立てた。正面から何かにぶつかったけど、それが何かはわからなかった。




『お前が王になってくれ』


 そんな声が聞こえた。何もない真っ白な空間に、私はいる。足元を見たけれど、私の脚は見えない。手を伸ばしたつもりだけれど、自分の腕も見えなかった。まるで、目を閉じているようだ。ただ、誰かが私に王になるように頼む声が聞こえる。何度も、何度も。


『お前が王になってくれ』


 男とも女ともつかない、不思議な声だ。今のところ、王になんてなるつもりはない。だというのに、その声が何度も私に王になることを訴えてくる。けれど鬱陶しくはない。まるで日常に溶け込んだ喧騒のように、気に障るものではなかった。その声だけが響いているというのに、私はその声に、従おうとも抗おうともせず、ただ耳に入るままにしている。いったいここはどこなのだろう。歩いてみても動いているのかもわからない。周囲を見渡しているつもりだけれど、景色も変わらないので、静止しているのかもしれない。

 ……ここはどこ?

 口を開いてそうしゃべったけれど、私の耳は私の声を拾わなかった。不可思議な空間だというのに、恐怖を感じない。まるで、幼い頃に抱きしめられた時のように、暖かな安心感がある。誰に、抱きしめられたのだったか。


「――!」


 聞き覚えのある声が、私の名前を呼んでいる。あれは誰だろうか。私の名前を呼んでいる彼女は誰だろうか。


 ――私の名前は、なんだっけ……?




「ん……」


 暖かな、安心感がそこにはあった。まどろみの中で、ふかふかと柔らかいものに包まれている。あったかくて柔らかくて、小さい頃に潜り込んだ祖母の布団の中みたいだと思った。ふかふかの羽毛布団の感触だ。辺境の薄い毛布ではなく、女性や子供の手で均一に織られた高級な布に羽毛を詰めた、暖かな布団だ。辺境で使っていたような、匂いの残る獲物の羽布団ではなく、それ専用に飼育された鳥の羽の布団だ。


「リディっ、起きた……!?」


 暖かな布団にくるまって寝がえりを打っていると、耳なじみのある声が聞こえた。私の大好きなお姉さんの声だ。


「……マリー?」


 少しだけ寝ぼけながら声をかけると、途端に自分の状況を思い出す。ここ数日は野宿続きだったけれど、街に入ったからお布団で目覚めたのだ。何故寝ているのかは……。


「おふろっ……!」


 頭が回っていないとはいえ、出てきた言葉はひどい。意味不明だ。


「リディ、よかった、目が覚めたのね!」


 マリーに抱きしめられて、夢の中の安心感を思い出す。彼女があのぬくもりだったのかはわからないけれど、気絶する直前のことを思い出して、少し気まずい。


「リディアーヌ様、お体に障りはございませんか?」

「アル……」


気分には障りがあります。あの時私は前のめりに倒れこんだような気がする。タオルは体に巻いたのではなく、私が掴んでいたので、倒れた時は手を離したはずだ。


「見ないよう、努めました」

「隊長殿、とりあえず、リディを刺激しないでくださいませ」


私を抱きしめるマリーの腕に力がこもる。アルを睨む彼女の目つきは少し、今までと違って打ち解けたもののようにも見える。今までマリーは私のことを思って、私の傍にいてくれて、アルとイヴォンをどこか警戒しているように見えた。だというのに、今は何故か警戒が解けているように見える。私がお風呂に入ってから、何かあったのだろうか。


「……なんで、こんなことに……」


 マリーの発言で、私は思わず遠い目をしてしまった。現実逃避である。私は銭湯も割と好きだったし、見知らぬ他人に体を見られることはそこまで気にならない。いや、ジロジロ見られることは気になるけれど、少なくとも同性や幼い子供の視界に入るくらいなら気にならない。けれど、アルは男だ。それも端正な顔立ちをしている。


「申し訳ありません」


 ……私は銭湯に行ったことなんてない。だから、同性でも体を見られるのは、きっと気になる。けれど、あれはアルが気づかなかったらもっと大変なことになっていたし、私は気付いてほしいと思っていたのだから、彼を責めるのは筋違いだ。


「……いえ。助けてくれてありがとう」


さすがに彼の方を見ることは出来なかったけれど、悪くないと伝えたくて、頑張ってお礼を言った。見てなくても、アルが落ち込んでいるように感じた。きっと不本意なのだと思う。そう言い聞かせている自分が少し情けない。着替えさせたのはさすがにマリーだと思うけど。


「……わ、私は倒れるあなたを抱きとめたのですが、その、すぐにデュノアに女将を呼びに行かせましたので、運び出すのも着替えもマリアンヌ嬢と女将がしております。私は目を伏せておりましたし、もちろんデュノアも見ておりません」


 とりあえず、ポールは何も見ていないらしいので、そこには全力で感謝しておく。幼馴染のポールに変なところを見られたなんてことになれば、私は気まずくてしょうがなかっただろう。

 アルは口下手なところがあるのか、フォローをすることも苦手のようだ。きっと実直な人で、言い訳もあまりしない人なのだろう。言い訳と言うか、言い逃れはイヴォンが上手そうな気がする。ポールは絶対下手だ。そんなことを考えていたら、少し肩の力が抜けて来た。

 不意に、扉が開く音が聞こえ、そちらに目をやると、イヴォンが入室してきた。


「リディアーヌ様、話は聞きました。起きていたのですね」

「軍師殿、どちらにいらしてたんです?」


マリーはイヴォンを睨みつけ、警戒を見せる。そう、アルに対してもこんな表情を見せていたはずなのに、彼女の警戒はアルに向けられなくなっている。改めて違いを目にすると、やはり不思議だ。


詰所つめしょの方に少し……それより、リディアーヌ様、具合はいかがですか?」

「どこも大丈夫よ。少し、驚いただけだから」


あまりいい気分ではないけれど、体に不調がないことは事実だ。そういえば、女性の方が血に強いと聞いたことがある。確かに私も血は意外と平気だった。生理が原因か、それとも辺境で狩りの獲物を裁くところを見たことがあったからなのか。けれど人が死ぬところをたくさん見て、気が滅入ってしまった。いっそ気絶できてよかったのかもしれない。でも、気絶と眠るのは意味が違うのだったか。気絶では体は休まらないとか聞いたこともある。

「そうですか……。本当は休んでいただきたいところですが、申し訳ありません。そう言っていられない事態となりました」

「軍師……?」


 イヴォンの真剣な表情に、アルも不審そうにしている。ボドワンを出てからずっと一緒だったけれど、イヴォンはいつもひょうひょうとしていて、笑みを浮かべていた。賊が出た時も余裕そうだったのに、真剣な今の表情には、彼の余裕が垣間見えない。


「明後日、第三王子の処刑を行うことが決定したそうです」

「王子様が!?」


 声を上げたのは私だったけれど、アルとマリーも驚いているようだった。

 ポールの言葉によると、今自由な王族は三人だと言っていた。彼らは継承権を持っておらず、継承権を持つ王族は全てとらえられていて、イヴォンの様子から、継承権を持つ王子が処刑されるということなのだと思う。自由に動ける第一王子は継承権を放棄しているとも言っていた。十人兄弟で、第三王子という順番から考えてもそういうことなのだろう。


「ねぇ、その王子様って、継承権を持っている、王様になれる人なのよね?」

「そのはずだわ。……軍師殿、その方は、リディの兄と言うことになるのですか?」

「同腹の兄君で、年は十六です。敵にとって不本意な誓いを立てたために処刑されることが決まったようですが、死ぬには惜しい人物です」


 死ぬには惜しい。その言葉は不敬に当らないのだろうか。不本意な誓いとは何だろう。詳細は分からないけれど、処刑と言うことがすでに大変なので追及しない。


「助けなきゃ……」


こぼれた言葉は本音だった。全く知らない、遠い人。血がつながっていると人に言われた他人だ。けれど、王族と言う言葉の強さなのか、第三王子を助けたいと思った。


「そのお言葉を大変ありがたく思います。本当はお休みいただきたいところですが、出発を急がせることになりそうです」

「仕方がないことだと思う。今日一日休ませてもらって、明日から頑張るよ」


 イヴォンがあまりにも申し訳なさそうにそういうので、私は楽天家を装ってみた。気絶したおかげで、心はともかく体は休めている……と思う。だから、今日休むことが出来たら、とりあえず明日からまた頑張れるはずだ。


「大変申し訳ないのですが……」


……と思ったのだけれど、なぜかイヴォンはさらに申し訳なさそうな様子を見せて来た。意味が分からず首をかしげていると、隣から咳払いが聞こえた。


「……リディ、明日行動に移すってことは、今日準備を整えるということよ。今から」

「へ」



 その日私は、夕食の時間までの間に、マリーの言葉の意味をいやと言うほど思い知ることになったのであった。


「明日はアレを着るのよね。髪型はどうしようかしら!」


 機嫌よさげなマリーはもう少し私を気遣ってくれてもいいと思う。マリーのばかっ。

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