(6) 襲撃
「お言葉ですが、リディアーヌ様は、馬に乗ることはできますか?」
イヴォンに尋ねられて、私は小さく頷いた。辺境では家畜を上手に扱えなければ生活できない。当然私も馬くらいは乗れる。辺境はとにもかくにも不便なので、周辺の村を行き来することも多い。たとえば、うちの村には医者がいないけど、隣の村にいるとか。うちの村では野菜や肉を売っているけど、隣の村では薬を売っているとか。村と村を行き来する際、馬に乗れると便利なので、皆幼い時から馬に乗れるように訓練している。私はポールのお父さんから教わった。ポールの家は、皆馬や犬、生き物の扱いが上手い。本人たちは、害獣退治をしているからだと言っていた。
「そうですか。それでは街で馬を調達致しましょう。それまでは私と同乗していただくことになりますが、よろしいでしょうか」
「ハイ。あまり人と一緒に乗ったことはないけれど、よろしく」
まだ夜明け前。騒ぎになってしまうのでこんな時間になってしまったが、別れが惜しいので、シスターの見送りも断った。孤児院の弟妹はまだ寝ているので、目覚めた時には私のいない生活が始まることとなる。……一部のおばさん方がポールのお嫁さんになるって勘違いしていたのは気になるけど。結局マリーとは昨日の朝に話してから、一度も顔を合わせていない。王都に行くと言っただけで、マリーが怒るとは思えない。けれど、こうして長い時間顔を合わせないでいると、なんとなくそれが間違いだったのではないかと自信がなくなって来る。
「それでは参りましょうか」
「きゃっ」
突然イヴォンに抱き上げられて、そのまま馬に跨らせられる。……変な声が出たでしょうが。私は自分で乗れるのに。
「……結構夜目が聞く質なんですけれど、顔が真っ赤になっていますよ?」
「気のせいですっ」
……わざわざ指摘することじゃない! イヴォンは私の後ろに乗っているから、顔を見ることは出来ないけれど、口調は明らかにからかって楽しんでいる。私を尊重してくれていると思ったけれど、どうやら彼は遠慮のない相手らしい。気を遣わなくていいのはありがたいけれど、からかわれるのは恥ずかしい。
「道中は眠ってしまっても構いませんよ。昨夜は眠れなかったでしょう?」
「……それでこの乗り方なのね」
同乗するなら後ろに乗ったほうが馬を操りやすいと思っていたけれど、そういうことらしい。抱え込まれるように馬に乗るのは恥ずかしいけれど、気を遣ってくれているので素直に感謝する。
「早く行きましょう。皆が起きだして来ると厄介だわ」
「そうですね。デュノワ、先導を」
「はっ!」
デュノワという名前でハッとする。ポールがいるのだから、イヴォンと一緒に載っていることを揶揄われるかもしれない。そう思ったけれど、ポールに変わった様子はない。すぐに顔が真っ赤になるところといい、昔からすごくわかりやすかったので、今のやり取りを見ていたら顔に出ていたはずだ。特に反応がないところを見ると、どうやらこちらを見ていなかったらしい。アルが辺りを警戒するように周囲を見渡しているので、ポールも同様だったのかもしれない。
ポールが先導して馬をゆっくりと歩かせる。土道を、かっぽかっぽと馬の蹄の音が鈍く響く。村を出るまでは馬を走らせずにゆっくり歩くようだ。ポールの馬が先導して、その後ろを私とイヴォンの馬、最後にアルの馬が続く。
村の敷地は曖昧だけど、一応ポツンとあるアーチを抜けたところから村の外だと言われている。申し訳程度に木材を組み合わせた柵があって、長く過ごせば何となくそのいくつかある柵の内側が村の中なのだと認識するようになる。少なくとも私はそうなっているようだ。自由な村にもいくつか掟があって、村を一人で出ることは禁じられている。私も今村を出ようとしているけれど、三年前にポールを見送ったことが懐かしい。
ちょっとずつ小走りになっていく馬の速度に、イヴォンとの密着度が高くなってしまう。後ろからからかうような空気は感じられないから、私が振り落とされたりしないように気を遣ってくれているんだ、と思いたい。
「った……」
「ああ、申し訳ありません。短剣の柄があたってしまいましたね」
背中にごつごつした何かがあたって、少し痛かった。それに気がついたイヴォンは、片手で短剣の位置を変える。懐に隠し持っているらしい。
ふと周りの家々の様子を伺えば、窓に明かりは点っていないけれど、深とした空気が、人の気配を伝える。窓の向こうで、影が動いているような気がする。私が、別れが辛くなるから、こんな時間に出ていくことを悟って、何も言わずに見送っているのかもしれない。もう、この村に帰ってこないかもしれない。浸っている自覚はある。それでも、私は、皆を守りたい。
皆に育んでもらった、十五年を間違えない。
暗い中だけれど、もうすぐ村の出口のアーチが見えてくる。その下には何故か影があった。私の同乗しているイヴォンの馬の歩みが遅くなり、アルの馬が前に出る。慣れたような運びに、私は少し驚いていたけれど、その影の正体を知ってもっと驚いた。
「待ってたわよ」
「マリー……」
昨日のお別れの場にもいなかった、マリーこと、マリアンヌ・シャノンがそこにいた。
「マリー、なんで……?」
「王族って言うなら侍女が必要でしょ? これでも私、シャノン辺境伯の姪なんだから!」
そうだ。辺境で私たちに交じって遊んでいるけれど、マリーは貴族令嬢だ。
「王都に向かうにしたって、男の中にあなた一人になんてできないでしょう? 王族だって言うのなら世話役が必要だし、侍女は私が勤めるわ。辛くなっても私がついているから大丈夫よ」
「マリー、ありがとう……!」
優しいお姉さんなマリーに抱きつきたくなったのだけれど、残念なことに、今は二人とも馬に乗っているから無理だ。マリーはニコリと笑って自分の馬をなでている。……よかった。私、マリーに嫌われていなかったみたい。
「マリアンヌ嬢、来てくださってありがとうございます」
「あら、軍師殿にお礼を言われる必要なんてありませんわ。私は自分の意志でリディと一緒にいるのですもの」
イヴォンがお礼を言うけれど、マリーはツンと顔をそむけた。つられたようにマリーの愛馬も顔をツンとそむける。そっくりで少し笑ってしまう。
「軍師、そろそろ参りましょう」
「そうですね」
アルがイヴォンにそう言って、手綱を引き、馬がブルルとうなり声を上げた。
「リディ、辛くなったら言うんだぞ?」
「ハイ」
ポールが気遣ってくれるので、私も返事する。けれどイヴォンが道中眠ってもいいと言っていたので、さほど気にすることではないと思う。馬の揺れで眠ることができるかはさておき、もし疲れて眠ってしまっても、咎められることではないと思う。
こうして私は、二十年分の記憶と共に、十五年暮らしたボドワンを後にした。
しばらくすると川に行き当たり、以降は川沿いに移動することになる。休憩するにも川の近くは都合がよく、村や町に必ず行き当たるからだ。
「デュノワもそうでしたが、ボドワン出身の方は字が読めるのですね」
とは、アルの言葉だ。道中一週間もかかるので、休憩中は雑談に花を咲かせることとなる。三日もすれば、私もさすがにイヴォンとアルとも打ち解けることができた。その中で知ったことだけど、見習いの騎士は実技以外に少々の座学を受けるらしい。勉強用にワックスボードが配られ、基本文字と自分の名前、騎士の心得を書けるようにならなければ、どれほど実技が優秀でも見習いを終えることができないのだという。
「叔父の辺境伯が教育熱心なんです。各村や町の長は子供に字を教える義務がありますし、ボドワンは修道院があるから、修道院で教わることができたんですよ」
だから私もポールも文字が読める。地球で当たり前だったので思い当たらなかったけれど、どうやら文字の勉強は辺境では一般的ではないらしい。シャノン領に生まれてよかった。
「俺もびっくりしたよ。辺境出身ってだけで、復唱した心得を書きうつしたら驚かれたんだぜ?」
おかげで見習いの卒業が最短だったというポールは、入団当初から実技も基準を満たしていたらしく、見習い期間を終えることだけが騎士になる条件だったのだという。自慢げに語っているけれど、頬が赤くなっているので様にはならない。
「デュノワの書類は確認しましたよ。弓の腕前が特に素晴らしいですね」
「ボドワンでは狩りが一般的だものね」
見習いのことまで把握しているなんて、軍師のイヴォンは仕事が大変なのだろう。イヴォンの言う通り、ポールの弓の腕前はかなりすごかった。彼が弓を使えるようになったのは、七歳の時だけれど、覚えてほんの三か月で飛んでいる鳥を落としたのだ。さすがに弓力の低い弓を使っていたので、仕留めるには至らなかったらしいけれど。怪我を負って落ちた鳥を大人が仕留めたのだという。……たしかその時の光景がトラウマで、確実に一撃で仕留めるように訓練したんだっけ。何を見たのだろう。
「狩りにしても、デュノワは優秀です。俺も弓を使うことは出来ますが、騎士団に所属するどの聖騎士よりも、デュノワは弓の腕がよいのですよ」
「聖騎士……?」
首をかしげていると騎士団について、アルが教えてくれた。騎士団は三つの階級に分かれているのだという。聖騎士は三つの位の一番上で、下に騎士、見習いの準騎士が続く。三つの位はさらに三つに分けられていて、アルは聖騎士の中でも一番上の位なのだという。さらにそれらを率いるのが大将軍と呼ばれる人で、軍師のイヴォンが机上の策で騎士を動かすのに対して、大将軍は実際に戦いの場で騎士を率いるのだという。軍師の策なくして大将軍は動けず、大将軍なくして騎士を率いることは出来ない。軍師と大将軍は、同等の位を持っているのだという。
「ポールは?」
「俺は見習いだよ。昇級が決まっているから、来月から騎士になる予定だったけどな」
「デュノワは弓の腕も剣の腕も確かです。なので、本来は小隊に所属するところを、俺の直属として配属することになっています」
それってすごいことなんじゃあ……? ポールは狩りが得意だったので、それなりに強いとは思っていたけれど、騎士団のお偉いさんに目をかけられているということではないだろうか。騎士団なんて小説でしか知らないから、こういう組織はいまいち想像しにくいけれど、そういうことだと思う。
「シスター・ミモザから、リディアーヌ様は国内の細かい地理や、世界の成り立ちには詳しくないとうかがっております。騎士団でも学ぶことですので、デュノワに休憩中などで教わるようにしてください」
「ハイ。わかったわ」
イヴォンが気を遣うということは、王都に行くなら知っておいた方がいい知識なのだろうか。地球の色々な国の神話とか歴史とか民話が大好きだった私は、この世界の神話や世界の成り立ちにももちろん興味がある。ポールが詳しいということには驚いたけれど、打ち解けた相手に教わることができるので、イヴォンに感謝しなければ。
「よろしくお願いするわね。ポール」
「ん。いいけど、修道院で育ったリディがなんで神話を知らないんだよ」
……興味がなかったからです。ポールとマリーと遊ぶ時間が欲しくて、そわそわしていて全く話を聞いていなかったので、その手の話は本当に知識がない。半分は私に遊びたいと思わせる二人のせい……ということにしておこう。
「まあ、いっか」
ポールは仕方ないと言いながら溜息を吐いた。それからマリーと視線を交わして頷き合い、笑みを浮かべるので私も笑っておく。
この地、ベランジェールは、アンベールに存在する五つの大国のうちの一つで、豊かな緑と伝統と文明が共存する国と言われている。信仰するのは、戦いと調和を表す大地の神ソル。ソルの象徴する戦いというのは、争いではなく、生きるという意味を表している。生き抜くということから豊かな大地と古い文明が残っているのだという。シスター・ミモザは、ソルは深い情愛を示すと言っていた。それはソルが家族間や友人間、男女間の愛情に重きを置いているからだという。家族でも恋人でも友人でも、ソルの木彫りを送ることは、相手に対する親愛を意味する。それを教えられて思わず胸元を押さえた。シスターにかけてもらった木彫りは今も首にかけている。そのことをマリーとポールに言うと、二人は嬉しそうに笑ってくれた。この首飾りは大事にしなくては。
「――で、ここが目的地のランス砦な」
ポールは簡易的な地図の一点を指差し、そこにはReimsと書いてある。このランス砦は王都からほど近い場所にあり、防衛線として騎士団が詰めているのだという。もう三日も馬に揺られているので、このランス砦もかなり消耗していることだろう。
「私達は今……このあたり?」
私は地図に書き込まれている川の線をたどり、妥当だと思われる場所をトンと叩いた。ポールは少し驚いたように目を瞬かせ、それからコクンと小さく頷いた。
「そ。で、この間にあるフランセルって商業都市に今日中に入る。王家に献上する馬を育てている街だ」
ポールは指先で地図をたどり、Francellという文字をトンと叩いた。もう三日もイヴォンと同乗しているけれど、そういえばイヴォンは馬を調達すると言っていたので、おそらくこの街で馬を買うのだろう。やっと馬に乗れるのだと思ったら、少しだけ心が浮き足立ってしまう。馬に乗るのは好きなのだ。
「このフランセルならそれなりの防具や装飾品も手に入るから、リディの身なりはここで整える予定だ」
「は……? 待って、私そんなお金ない!」
身なりを整えるなんて話は知らない。少なくとも私は聞いていない。馬を調達するという話の時点で、かなりのお金が動くだろうと思っていたけれど、その上身なりを整えるなんていったいいくらかかるというのだろう。
「お前、さすがに辺境の孤児の格好で、砦に入ろうなんて言うなよ? 田舎者丸出しだからな?」
「でも……お金かかりすぎじゃない?」
イヴォンがどれくらいお金を持って来ているのかはわからないけれど、国が大変な時に散財するのは気が引ける。とはいえ、よく考えてみると、私の見てくれを整える必要はきっとあるのだとも思う。どうしたらいいのだろう。
「心配いらないわ。費用は全部シャノン辺境伯に付けといてもらうから」
マリーは茶目っ気たっぷりにウインクする。そんな様子は可愛いのだけれど……。
「領主さまに!?」
すでに領地外に出ているけれど、シャノン辺境伯は私が十五年過ごした、ボドワン含む辺境の領主様で、マリーの叔父様だ。そんな人が何故私の身なりにお金を出してくれるというのだろう。
「それもっと心配だよ……?」
「本当に心配いらないわよ。リディを後見すると判断されたのだもの。そうである以上叔父様の義務だわ」
私の知らないところで何やら話が動いていたらしく、私はいつの間にかシャノン辺境伯の後見を得た王族と言う扱いになっている。里穂の記憶と洞察力で推察するに、私の足場はかなり固まっている状態なのではないだろうか。王族と言うのは後ろ盾があるのとないのとでは、周囲の扱いも大きく変わると聞いたことがある。辺境伯のブランド力は分からないけれど、伯爵はなかなか高位な貴族で、辺境、つまり国境を任されるということは、かなり力のある貴族に違いない。国境を守る貴族が後ろ盾の王族と言うのは、なかなか強い肩書を持っている気がする。
「何だか、私の知らない所でいろいろな話が進んでいるのね」
「そうよ。お話をしたら、叔父様ってばまるですべて理解しているとでもいうように、すんなりと話を進めていったのよ。私も驚いたんだから」
私達の勉強の件と言い、どうやらシャノン辺境伯と言う人は、かなり柔軟に物事を考える人のようだ。
「本当に油断のならない人ですね」
少し離れている所から呟くような声が聞こえた。振り向くとイヴォンがいたけれど、アルと地図を見ている彼がこちらの話を聞いている様子はない。不意に顔を上げて、私と目が合うとニコリと笑みを浮かべた。
……今のはイヴォンの言葉なのだろうか。油断のならないというのは、おそらくシャノン辺境伯だと思うけれど、そんな人が私の後見を務めるのだという。なんとなく、よく知らない人物が味方となってくれている事実に、背筋がぞっとした。マリーの身内だから疑いたくはないけれど、王族の後見となることに、貴族が何の利も見出さないとは思えない。飲まれないようにしなければ。
「……リディ」
「はい?」
不意に、ポールが神妙な顔で私を見るので、少しだけとぼけて返事した。なんとなくだけど、こういうポールはあまり好きではないと感じて、つい誤魔化すような態度になってしまった。けれど、ポールはそんな私を咎めることなく、気にしたそぶりも見せず、口を開いた。
「この先、お前が王族として扱われる以上、俺は騎士としてお前に接するようになると思う。だから……」
そこまで言って、ポールは俯いてしまった。口元をもごもごと動かして、何事か言おうとしているのに、言葉が出てこないというような、そんな様子は昔と変わらない。ポールの様子を懐かしんでいると、不意に隣からクスリと笑みが漏れた。
「リディ、私もリディの傍にいるけど、これからは身分で隔てられることになると思うわ。それでも私は絶対にリディの味方よ。胸を張って、堂々としていいの」
マリーが優しく目を細めて、頭を撫でてくれる。ポールは言葉を最後まで言えなかったことが悔しいのか、少し口をすぼめているけれど、飲み込んだ言葉はついに出てこなかった。
「ねぇ、ポール。フランセルから砦まではどれくらいかかるの?」
「三時間もかからないな。多分街に一泊して、それから砦に戻るんじゃ……」
機嫌よく私の質問に答えてくれたポールが、突然言葉を切って立ち上がった。何を感じ取ったのかはわからないけど、ただ事ではない様子だ。ポールの緊張感が伝染し、居心地の悪さから、私は視線を周囲にさまよわせる。アルとイヴォンも同じように警戒しているけれど、私には何が起こっているのか理解できない。
「二人、ですか……」
「三人ですよ、デュノア」
「まだまだ未熟だな。殺気がダダ漏れだ」
指摘されたポールが唇を噛んだ。その会話で何者かが潜んでいるのだろうと予測できたけれど、ポールは一人分の気配が読めなかったらしい。気配が読める時点で感心してしまうけれど、一人分察知する気配に差があるということは、ポールより実力が上と言うことだろうか。不意に隣にいるマリーが私を抱きしめた。
「僕はリディアーヌ様を」
そう言うと、イヴォンは私とマリーの前に立ち、背を向けた。
「俺が二人やります」
「実地訓練だ」
ポールは剣を鞘に納めて柄を握り、アルは既に剣を抜いている。三人とも警戒しているはずなのに、どこか余裕を感じるということは、少なくともアルとイヴォンにとっては強敵ではないということだろうか。
「出てこい!!」
突然アルが木に向かって大声を投げかけると、木の上から影が降り立った。黒い頭巾をかぶった男は剣をアルに向けている。ガサリと茂みが揺れる音がして、同じような背格好の男が、二人立ち上がった。
「念の為に聞いておきましょうか。何が目的です?」
イヴォンは男たちにそう問いかけながらも、私とマリーを立ち上がらせた。何かあった時は逃げられるようにと言うことだろうか。
「……死んでもらう」
黒い頭巾の男は、一見盗賊みたいな格好だけれど、口元を布で隠しているので、顔は見えない。単純に考えれば、顔を見られたくないということだと思う。顔を見られては、何か不都合があるということだ。
「軍師! こいつら明らかに軍人です!」
村人が盗賊として動き、姿を悟られないために、顔を隠すという話を聞いたことがある。けれど騎士隊長のアルが言うのなら、彼らは軍人で間違いないのだろう。
軍人ということは、クロケか、ゴダールなのか……。
「僕たちが動いているから、目的を探っていたということでしょうかね。逃すわけにはいきませんよ」
ハイ。と返事が聞こえた瞬間に、皆が動き出した。最初に断末魔を上げたのは、ポールと対峙していたうちの一人だ。マリーがすぐに目を覆ったから、私にはポールが相手を切る瞬間は見えなかった。けれど、鞘から剣を抜いたその勢いで、相手を切ったようだった。そうだ、居合とか抜刀術とか言うんだ。模造刀で行う居合道なんてものも聞いたことがある。いや、聞いたのは、私じゃなくて……。そういえば、ポールが使っている剣は倭刀に似ている。片刃で、アルが使っている物よりも少し軽量だとか、馬を休ませている間の雑談で聞いた。時々、金属がぶつかり合う音が響く。マリーが目を覆っているからよく見えないけれど、少し……怖くて、それから好奇心が疼いて、見たいと、思った。怖いもの見たさとか、楽しい気分なんかではなく、ただ、見たかった。私を守る二人の戦いと、イヴォンがどんな表情でそれを見ているのかを。
「グァアアア!」
突然の悲鳴に肩が跳ねた。音の位置からして、たぶんアルが相手を倒したのだ。ポールは……まだ戦っている? ポールは大丈夫なのだろうか。
「ハアァ!」
「ック……」
ひときわ甲高い音がして、小さく土を叩いたような音が聞こえた。大声だと誰の声なのか、判断が付きにくいけれど、ポールが優勢なのだと思う。大きな声は、ポールの声だと思う。
「グァッ……」
すぐ近くで何かが動いた気配がして、風を切る音と、少し遠くでうめき声が聞こえた。
「もう大丈夫ですよ。ああ、こちらは見ない方がいいでしょう」
イヴォンの言葉に、マリーはそっと私を抱きしめる力を緩めた。マリーの表情は硬く、どこか怯えているように青ざめていた。彼女は私の侍女になると言っていた。私に血を見せないように視界を覆い、自分はすぐに私の手を引いて逃げることができるように、一部始終を見ていたのだ。今までそんな光景は無縁だったというのに。
「ありがとう」
「……大丈夫」
マリーのやさしい笑顔は頼もしいけれど、私はつい、好奇心でそちらを見てしまった。
「あ……」
倒れる賊の姿に一瞬こめかみの辺りが冷たく感じて、慌てて視線を逸らした。けれど、やはり好奇心を刺激されてしまうのか、それともこんなことがあって人の動きに過敏になっているのか、歩き出したイヴォンを目で追った。
「イヴォン……?」
一番遠くに倒れている死体のうなじのあたりには、深々と短剣が刺さっていた。近くで動く気配がしたし、物音から察するに、ポールから逃げた賊に、イヴォンが短剣を投げたのだと思う。……投げたにしても、こんなに深々と刺さるのだろうかと感心する。
「あ……う……」
深く考えずに見ていた分には何も感じなかったのだけれど、じっと見ていろいろ考えると、またこめかみのあたりが冷たく感じる。飛び散った血しぶきであたりは汚れ、木々に血が付着している。この騒動の中心に、私がいるのだ。
「長居は無用です。馬も休んだはずですし、参りましょう」
「ハイ。……この人たちは、このまま?」
なんとなく、返事をしたけれど、やはり気になり尋ねてしまった。尋ねたところで、起こってしまったことに対する恐怖が薄らぐわけではないけれど、聞かずにはいられなかったのだ。
「今日中に街に入れますから、片づけはそちらに任せます。調書はデュノアが作成しますから、問題はありませんよ」
賊の懐を探っていたポールが、バッとこちらを振り向いて、それから肩を落とした。やはり上司の言葉だからか反論はないようだ。その様子が少しおかしくて、しばらくポールを目で追っていたから気づいてしまった。アルが賊の袖をめくった時、賊は腕にバングルを付けていた。アルはそのバングルを外すと、布に包んで懐にしまい込んだ。それをみたポールは他の賊二人の袖をめくってバングルを外し、布に包んだ。何か、所属を表すものなのかもしれない。組織的なものが動いたのかもしれない。
私が狙われたのかはわからないけれど、騎士のポールとアル、軍師のイヴォンは、私を守るために行動した。私は人の命を大きく左右する立場になったのだと、今になって気がついた。
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