(3) ジャン=ポール視点 ボドワンへ
それは、俺が王都の東の直轄地にある砦に勤務している時のことだった。騎士に昇進する内示を受け取った俺は、与えられる一月の休暇を故郷で満喫すべく動き出した。今までの見習いとは違い、騎士になれば一定の地位が与えられる。領主のような土地は与えられないが、それでも貴族並みの存在となる。平民出身の俺には過ぎた扱いだ。別に爵位を持った連中にかなわなくとも気にならない。俺は貴族じゃなくて、騎士になりたかったのだから。
見習いが正式に騎士に昇進する前に、一月の休暇が与えられる。騎士として
「大変だ!」
故郷に手紙を出した翌日だった。砦の訓練場に、民兵が飛び込んできたのだ。倒れこみながらも、必死に何事かを伝えようとする民兵の様子で、周囲には緊張が走る。近くにいた騎士が、腰に下げている水筒を差し出すと、まるで食らいつくように、水筒をむさぼって水を飲み始めた。あの時の騎士のしかめっ面はしばらく忘れない。
「その水筒は君にやろう。ずいぶん慌てている様子だが、何事かね」
「伝令です! 西が……!」
民兵の報告によって、俺たちの日常が変わった。男は西の直轄地の領民だという。北西の砦が襲撃を受けて壊滅。王都がすでに敵の手に落ちつつあるという。
「王都が落ちただと!? 伝令が遅すぎる!! 何故遅れたのだ!?」
「相手の手際が良すぎたんです! 伝令にも追手がかかって、俺と一緒に出た見習いが嬲り殺されたんです」
すぐに分かった。その見習い、おそらく騎士の見習いだろうが、民兵を逃がしたのだ。その行動には心から敬意を表する。だが、伝令という意味では民兵に任せるべきだったのか。俺はまだ叙任は受けていないが、騎士として考えようとした。だが、こうして情報が砦に伝わったのなら、この民兵は称えられるべきだと思う。
「伝達持ちや鳥は!?」
伝達持ちと呼ばれる、
「伝達がいってないなら、多分殺されたんです。鳥だって、今頃
「そうか……。よく、伝令を持ってきた。そこの、部屋を用意しろ」
騎士は民兵を近くの見習いに預け、俺たちに戦支度を命じると、奥へと駆けだした。訓練中の俺たちは、すぐに訓練用の刃を潰した剣を片づけ、支給された武器を持ち出す。
「デュノワは見張り塔に立ってくれ」
「は!」
俺は上司の命令で、休憩以外の時は見張り台に立つことになった。辺境で野山や谷を駆け回って狩りをしていた俺は、目もいいし弓が得意だ。弓の腕と遠目を買われて、見張りの訓練を一通り受けて来た。本来なら見習いは剣の訓練を中心に受けるし、他の武器の訓練はあまり受けることがない。けれど俺は、初めての野営訓練の時の狩りで、弓の腕を披露して以来、弓の訓練を推奨されている。見習いは個人で武器を所有することは許されないのだが、特別に弓の登録を許されたほどに、腕を買ってもらえたのだ。見張り塔にはかなりの量の矢が用意されている。
幸い敵はあまり来なかったので、さほど矢を使うことはなかった。砦には難を逃れた聖騎士が集まってきている。時には敵に追われている者もおり、俺は矢で牽制し、あるいは追手を始末した。当然のことながら、全員休暇申請は取り下げさせられている。故郷に帰ると手紙を送ったのに、故郷に帰ることは当分出来なくなってしまった。
「ジャン=ポール、交代だ。休んでいいぞ」
「ああ、任せた」
毎日見張り塔に立っていて、この言葉だけが大きな変化だった。騎士になれば、数人部屋に移れるようだが、俺はまだ見習い扱いなので、大部屋を使っている。大部屋に戻る際に見かけた救護室では、砦にやってくる際に怪我をした者が治療を受けていた。今のところ、怪我人は少ない。何日か前に到着した軍師の情報によると、王城が落ちたものの、敵は王都の掌握に時間がかかっているという話だ。この砦はまだ平和だが、西では大変なことになっているらしい。王都をある程度掌握されると、こちらにも攻撃があることだろう。その前に王都を奪還しなければならないと騎士たちが話していたが、そんなことができるのだろうか。日に日に砦に騎士が増えてくるというのに、この辺りはまだ攻撃の手が少ないので、いまいち現実味を帯びない。
「はぁ~あ」
大きくため息を吐きながら、寝台に寝転がった。部屋には三段ベッドが規則正しく並べられていて、寝ている者が何人もいる。ただでさえ固いベッドだというのに、周囲が慌ただしく動き回っているせいで、寝入ることができない。俺が声を出したところで、咎める者もいなかった。
「デュノワ殿、起きろ」
交流の少ない騎士見習いに起こされた。俺が眠った時は隣のベッドに人がいたが、今はいない。時間は経っているようだが、寝足りない。感覚では数十分しか寝ていない気がする。
「もう交代時間なのか? まだ余裕あると思ったんだけどな」
「その通りだよ。すまないが、軍師殿からの命令だ。旅支度を整えて、馬と一緒に東門に向かってくれ」
「軍師殿……は? 軍師殿?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。俺のような下端が、何故軍師殿に呼び出されるのだろう。勘違いではないかとも思ったが、呼ばれた以上は顔を出す必要がある。俺は乱れた髪を軽く整えると、剣を腰に下げ、矢筒と弓を持って馬房に向かった。
「ジャン=ポール・デュノアです。お呼びと伺いましたが……」
東門にはすでに、隊長と軍師殿が待っていた。赤毛のアデラール・フリムラン殿は、俺が騎士になった暁には所属する隊を率いる聖騎士だ。そして金髪のイヴォン・フォルクレ殿が、軍師を務めている。隊長もたいがいだが、軍師殿は幼い頃から優秀で、早くに陛下に引き立てられたらしく、俺と十歳しか変わらないというのに、老獪な城の役人相手に渡り合っているらしい。一部恐れられているという話も聞いたことがある。
「君がデュノワですか。ボドワンの出身だそうですね」
「は……? は! シャノン領ボドワン村のジャン=ポール・デュノワであります!」
とりあえず胸に手を当てて、軍師殿の言葉を肯定する。こんな時にボドワンがどうしたのだろう。
「ボドワン村の村人とは親しいのですか?」
「ハイ。村人は全員が知り合いですので」
「それは重畳。細かい事情は道すがら説明します。ボドワンへ先導しなさい」
「はっ!」
何故ボドワンに向かうのだろう。そんな疑問が頭に浮かんだが、後で説明されるというので、尋ねたりせずに馬を走らせる。ふと幼馴染に出した手紙を思い出した。到着はちょうど、帰省予定だった日前後になるだろう。
ボドワン村には、幼馴染が多くいる。年の近い男女が多いのだが、俺が仲良くしていたのは二人の少女だ。一人は歳が一つ上の変わった貴族令嬢のマリーで、一人は同い年のどこか不思議な雰囲気をまとった孤児のリディ。元から仲が良かったのはリディだが、マリーがリディのことを気に入って、三人で遊ぶようになった。
昔、俺が狩りに出かけている間に、マリーとリディが、村のおじさんと一緒に、使いの手伝いで村の外に出たことがあった。狩りから村に戻ると同時に、発煙筒の煙を見つけて、大人達に交じって、馬を駆けさせた。
リディ達の乗る荷車は盗賊に追い込まれていた。辺境の民は戦争などが起きた際に真っ先に徴兵されるので、武器の心得がある。俺も訓練しているし、リディ達が使いを手伝ったおじさんも強い。女の子二人と荷馬車を守りながら、盗賊を牽制できたのだから。
駆け付けた俺も剣で応戦したけど、歯が立たなかった。盗賊と村の大人が戦い、領主様の騎士が駆けつけるまで、怪我をしてリディとマリーに介抱されているだけだった。それがたまらなく悔しかった。
だから、騎士になりたいと思った。
三年前、俺は騎士になるべく一人村を出ようとした。盗賊に襲われた一件から、村には一人で村を出てはならないという掟が出来、騎士にならずに故郷に帰ることは事実上不可能だった。それでよかった。俺は、騎士になりたかったのだから。そんな俺を甘やかしてくれたのは、二人の女の子だった。馬にまたがり村のアーチをくぐろうとした早朝に、二人から声をかけられたのだ。二人はともにアーチをくぐり、俺を途中まで送ってくれた。俺は掟を破らずに王都に向かうことができた。いつでも帰ってきていいのだと、そう言われた気がした俺は、かえって意地を張ってしまい、三年間で一度も帰らなかった。手紙も出さなかった。絶対に一つ上の幼馴染に怒られる。怒られたかった。湿っぽい別れも、感動の再会もいらない。たとえ騎士になっても、二人と好き勝手に笑っていたいと思った俺のわがままだった。二人ならその通りにしてくれるだろうという、二人に対する甘えだ。そして俺は、その甘えを排除したかった。
訳も分からないままボドワンに向かっていた。ボドワンに向かう道すがらの野営で説明されたことは、辺境で孤児として暮らす、王族の姫がいるという話だった。ボドワンで暮らす、リディアーヌと言う十五歳の少女。それは俺の大事な幼馴染のリディのことだ。時々、見習い仲間に、さぞ美人になっているだろうと自慢したこともあった、幼馴染の片割れが王族などと、考えたこともなかった。
「そうですか……」
親しい間柄だったと、口に出すことができなかった。わずかな、それこそありえないと言ってしまいそうな可能性にかけたかった。俺がボドワンを出てから、村に現れたリディアーヌという女の子がいたかもしれない、なんて考えた。
王女殿下の
「やっとたどり着きましたね……。流石に、一週間は長かったです」
村にたどり着いて、軍師殿がそう言った。砦からボドワンまで、馬で一週間もかかってしまう。馬も生き物なので、休ませる必要があるから仕方がない。それが分かっていても、有事の時に軍師殿が前線を離れていることを思えば、気が気じゃなかった。時間は昼過ぎ。村人が午後の農作業に出る時間だ。
「この辺りは畑ばかりですよ。とりあえず、村長の家に案内します」
爵位を持つ家に生まれた軍師の領地はもう少しにぎやかなのか、畑をめずらしそうに眺めている。しかし、悠長に畑を眺める時間はない。軍師はすぐに表情を引き締め、
「よろしくお願いします」
と俺に言った。丁寧な口調だが、これは命令だ。
「突然訪ねて大丈夫なのだろうか」
隊長の言葉ももっともだと思う。突然のことなので、村に連絡を入れていない。そう言えば、幼馴染の二人に休暇が取り消しになったという連絡も入れていなかった。
「村長は豪快な人だから、大丈夫ですよ。……軍師殿と隊長は」
俺は分かんねえ。親父とお袋の反対を押し切って村を出たから、多分ボコボコにされる。騎士になった俺は、親父たちに勝つなんて多分余裕だ。けれど、まさか騎士として鍛えた力で反抗しようなんて思わない。思わず視線が遠くに向いてしまう。歯の一本は覚悟しなければ。
「な……なんの用だい?」
歩き出そうとしたら、おばさんに声をかけられた。途中の街で服を調達し、村長に会うまでは剣の紋章を隠すように言われたためにそうしたのだが、おかげで賊に思われたらしい。少し呆れた様子の隊長から
「行って来い」
と促され、俺はおばさんに近づいた。村を一人で出ていたら、俺はもっと萎縮していたかもしれない。けれど、リディとマリーが途中まで見送ってくれたおかげで、俺は村を一人で出たことにはなっていない。だから、堂々とできた。おばさんはもちろん知り合いだし、近くにはこちらを警戒する様子のおじさんもいる。
「なんの用だ! ここには……何もないぞ!」
俺が動いたことで、おじさんがおばさんをかばうように前に出た。……相変わらず仲のいい夫婦だ。
「トマおじさん、アンヌおばさん、俺だよ。ジャン=ポール!」
その言葉を聞いた二人は途端に武器を握る手の力を緩めた。目を丸めて訝しげな顔をしている。
「へ……ジャン=ポール……?」
「ジャン=ポール……あ!」
ちょっと寂しい話だが、二人は最初俺の名前に思い至っていないようだった。多分、最近この辺にいなかったからだ。決して忘れられたわけではない。
「なんだ、ジャン=ポールの
「立派になったものだねぇ」
小童。不本意だけど、とりあえず俺が誰かわかったらしい。トマおじさんはいつも俺を小童と呼んでいた。おばさんには褒められて少しだけ照れくさい。立派と言われるような自分になれていればいいのだけど。
「都では元気でやっていたのかい?」
「うん。おばさんたちは?」
「元気も元気! リディなんかすっかり娘ざかりのいい女になって……」
「マリアンヌちゃんも、美人になったのよ? 二人とも小さい時から綺麗だったものねえ」
幼馴染のことは尋ねるまでもなく、二人が教えてくれる。俺たちがずっと一緒だった印象が強いのだと思う。やっぱり、幼い頃から美人だった二人は、成長しても美人らしい。三年でどれほど変わるかはわからないが、少しだけ楽しみだ。そして、少しだけ、会いたくない。俺は騎士だから、上司の命令には従わなくてはならない。でも、幼馴染の孤児が王族なんて悪い冗談だ。できれば間違いであってほしい。
「そんなことより、俺ら
とりあえず村長のところへ二人を案内しなければ。そう思い俺は別れの言葉を口にするつもりで口を開いた。
「あ、そうそう。あんたのお母さん、時々泣いたし、お父さんも元気なかったんだよ?」
「そうだ、帰ってきたって知らせに行かないとな!」
「―――
けれど俺の言葉はおじさん達の言葉で遮られ、俺が言葉を言い終わることもなく、二人は颯爽と駆け出して行った。たしか孫もいたはずなのに、元気すぎるだろ。
「元気な方々ですね」
「東は平和なものだ」
俺の後ろで成り行きを見守っていた上司二人組は、村の知り合い二人に対して率直な感想を口にする。そう。二人は元気だし、まだ襲撃が現実味を帯びてはいないものの、砦は慌ただしかったのに比べて、辺境は平和だ。平和だけど、二人が向かった先は俺の実家だ。実家、だ。
「……軍師殿、隊長」
思わず二人に声をかける。緊張がそのまま声音に出てしまった気がするが、仕方がない。
「なんだ?」
隊長が口を開いた。軍師殿も首をかしげている。今のやり取りで、この二人が俺のように緊張するわけはない。問題があるのは俺だけだから。
「……俺、殺されるかもしれません」
襲撃よりなにより、実家に帰ることが恐ろしい。せめて、死ぬのは幼馴染に会ってからでありますように。
おじさん達が戻ってきて、実家の両親の様子を教えてもらってから、村長の家に向かった。おじさん達の話では、実家の両親は俺の帰郷を喜んでいるようだけど、たぶん喜んでいる分怒っていると思う。で、俺はボコボコにされる。村長からは成長を喜ばれ、広場での演説許可をもらった。それから軍師殿は村長に金貨を渡していた。これからすることの口止め料だろう。分かっていても、汚いやり取りを見たようで、少しだけ気分が悪くなった。軍師殿が広場で
どこに行くか悩みながら、村の中をうろうろしていると、いつの間にか広場に戻ってきていた。人は先ほどよりも増えているが、その中に見覚えのある黒髪の後ろ姿を見つけた。小さい頃からマリーが手入れしていたから、リディの黒髪はめちゃくちゃ綺麗なのだ。その隣に金髪の少し背の高い後ろ姿があるので、幼馴染の二人に違いない。
「リディ」
「きゃ」
つい肩を掴んでしまい、リディが小さく悲鳴を上げた。マリーの肩をつかまなかったのは、騎士となることを意識すると少し気まずかったからだ。二人そろって訝しげにこちらを見ているのが面白い。
「やっぱ気づかないよな。髪、だいぶ伸びたもんな」
対して残念に感じていないのは、二人が俺をわからないわけがないと思っているからだ。三年も会ってなくて姿が変わればわからないのは当然のことだし、すぐに気付くと思っている。実際、二人はすぐに驚いたように目を丸くして見せた。
「ポール?」
「へへっ」
愛称を呼ばれたことが思いのほか嬉しくて、照れくさい。指摘されたくなくて、リディの手から籠をひったくった。多分孤児院の食器を洗っていたのだろう。
「マリーも」
「ありがと。……気が利くようになったわね」
マリーにも籠を乗せるように言うと、素直に頷いて見せた。
改めて二人を見ると、おじさん達の言う通り、三年前よりますます美人になっている。いわゆる娘盛りって感じだ。鼻筋が通って、表情に昔みたいな子供っぽさがない。さすがは俺の幼馴染だな、なんてことは絶対に口に出さない。恥ずかしすぎる。
「ポール……」
リディがまた俺の名前を呼んだ。振り向くとそのまま細い指を俺の顔に伸ばしてくる。少し水仕事で荒れているけど、俺の手よりずっと小さい手だ。
「な、なんだよ……っ」
指先が頬に触れて、思わず声が上ずる。そうだった。リディはいい子だけど、時々無遠慮で、こうやって親しい間柄に対して距離を間違えるところがあった。で、こんなリディに戸惑っている俺を、マリーは大概面白がっている。嫌な姉貴分だ。
「手紙、ずっとなかったから」
そういうリディは少しふくれっ面だ。こういうところに昔のあどけなさを見つけ、変わっていないのだと感じる。
「……悪い」
謝ると横にいるマリーが苦笑を浮かべた。それから何故か楽しそうに目を輝かせる。……嫌な予感がする。
「まったくもう、リディったらしばらく落ち込んでいたのよ? 気が利かないんだから」
マリーが俺の頬をつついてくる。頬の肉がグリッと歯に当たると、地味に痛い。楽しそうなマリーの表情は結構だが、さっきから頬が熱いので、多分俺の顔が赤くなっていて、それをからかっているのだろう。
「悪かったって……つつくな! 籠落とすだろっ!」
食器の籠を持っているから、足を一歩、一歩後ろに下げながら、マリーの猛攻を振り切る。それを見たリディが声をあげて笑い、俺たちもつられて笑った。……そうそう。こうやって、怒られて笑いたかったんだ。
「そういえば、広場にいるのって騎士様よね? ポールも腰に剣下げているし、帰省って仕事で、ってことだったのかしら?」
騎士様。隊長は聖騎士で、俺も一応叙任してないだけで、再来月には騎士なんだけど。そんなことを考えていると、隊長が現れて、リディの
俺は、リディが飛び出した扉をぼんやりと見つめた。出生について知ったリディは、所々で席を立ちそうな雰囲気を見せていたけれど、頭のいい彼女は必死にそれをこらえているようだった。リディよりも、マリーの方が辛抱なかった。リディを守るために、怒りを見せていた。それが少しだけうらやましい。俺は騎士だから、軍師と隊長に逆らうなんてできない。これが、俺の選んだ道なのだろうか。
「ジャン=ポール」
「ハッ」
軍師殿はこちらを振り返ることなく俺の名を呼んだ。とっさに返事をしたが、何を命じられるのかと気が気じゃない。リディが出て行ってすぐなのだから、ろくなことを命じられないだろう。俺はリディをかばうことが出来なかった。
「君は姫様の知己の仲で、親しい間柄なのですね?」
まるで念を押すように、問いかける軍師殿の声が恐ろしかった。緊張する俺の様子など、軍師殿は気にしない。
「……幼馴染です」
騎士になった俺は、マリーと対等だ。だからといって、マリーと同じく辺境出身者として、リディやボドワンの皆の上に立ちたいと思ったわけではない。騎士にはなりたかったけれど、決して身分で隔てられるようなことを望んだわけではないのだ。けれど今、リディと絶対的な身分の差が出来ようとしている。俺は、どうしたらいいのだろう。マリーの視線を感じる。きっと怒っている。幼馴染を蔑ろにした怒りは、再会の怒りのように簡単に晴れるものではないだろう。
「では、君が説得をしなさい」
「そんな……!」
「命令です」
命じられたら逆らえない。思わず唇をかんだ。今このベランジェール王国が大変なことになっていることは理解している。だから軍師殿は手段を択ばないのだ。利用できるものがあれば何でも利用する。利用するモノは俺で、得ようとしているモノが幼馴染だ。
「さっきから聞いていたらなんだって言うんです!? リディはずっとこの村にいたし、これからもこの村にいるわ!! 何が王女だって言うのよ! 仮にそうだったとして、どうして自分を捨てた親の名誉を、リディが取り戻さなくてはいけないのよ!!」
マリーはやはりこらえきれずに軍師殿に怒鳴りつけた。敬語も取れてしまっている。こうして自由に振舞うところはマリーの美点で、少しうらやましいと思う。それから思わず軍師殿の方を盗み見た。座る軍師殿の顔は見えないが、それでも怒った様子がないことにほっとする。マリーが口にしていることは、国王への不敬なのだから、本来ならしょっぴかれてもおかしくはない。
「貴方はあまりに非道です。ここは神によって恵みを受けし場所。神はリディアーヌを、この地に導き育みました。なのに、なぜあの娘を追い詰めるのです。決めるのはあの娘自身なのですよ? ジャン=ポールに説得を命じるなど、二人の関係にひびが入ったらどう責任を取るおつもりなのですか」
シスターもリディの、それから俺の味方だ。シスターは修道女なので、政治に関わることができず、発言も制限されるが、代わりに貴族にも自由に発言できる。ここで軍師殿とやり合うならば、シスターが一番強いだろう。
「そう思うのは、シスターの自由です。ですが、軍師殿が焦っているのも無理はないのです」
隊長の言う「焦り」はわかる。軍師殿はこの国の高官として、国を守る責任があり、それに燃えておられる方だ。小の犠牲を厭うとは思えない。
「それが勝手だって言ってるのよ!」
「……王妃様が軟禁され、国王が殺されてしまったということは、国の
軍師殿の言葉に、マリーが目を丸くした。シスターは表情は変わっていないものの、わずかに肩が揺れたように思う。軍師殿の言う通り、既にこの国はこの国ではない。第一王妃は福祉に強い関心を持っているらしく、孤児院や病院、学校なんかに対する投資も大きい。それが打ち切られる可能性は確かに恐ろしいだろう。
「リディはずっとこの村で、平和に暮らしてきたのに……」
マリーが唇をかんで、表情をゆがめた。悔しそうで、悲しそうだ。いつも勝気なマリーのこんな表情は初めて見た。昔の俺なら、リディと一緒にマリーに駆け寄った。けれど、今はそれが許されない。
「生まれは王族です。15年を平民として暮らしたとしても、残り何十年を王族として過ごしていけないわけではありませ……」
「ふざけないで!!」
乾いた音が響いた。
「マリー!? 軍師殿!」
軍師殿が口を開いたあたりでマリーが軍師殿に駆け寄り、そのまま頬を張ったが、俺は動けなかった。騎士として上司に従わなければならなかった。でも、マリーの行動を制限したくなかった。今俺は、上司に対する反抗を見逃した無能な騎士だ。
「元気ですね」
口の中を切ってしまったのか、こもった軍師殿の声は、何故か機嫌よさげで、マリーはますます歯を食いしばって軍師殿を睨みつけていた。ふと、隊長も動きがなかったことに気が付いてチラリと盗み見た。……隊長の表情に変化がない。もしかしたら、マリーがこういう行動に出ても、気にすることではないのだろうか。本来ならそんなはずはないが、もしかしたら、何か考えているのかもしれない。その時、俺はマリーの味方ができるのだろうか。
「軍師殿……怪我を……」
俺の
「ポール……あんた……」
あんた、と言われた。マリーは普段こんな物言いをしない。つまり俺の価値はマリーの中で急速に下がったということだと思う。己の心に反している。幼馴染を守れない自分が悪いのだ。分かっている。
「軍師殿、俺は、席をはずします。失礼します」
マリーを見ることが出来なくて、軍師殿に軽く頭を下げて、部屋を出る。
「さいてー……」
小さくつぶやかれたマリーの声が、痛いほどに耳に残った。
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