(2) 王都からの迎え

「ふぅ……」


 ようやく食器を洗い終えた。孤児院には子供が二十人ほどいて、いつもは女の子たちが、当番制で食器を洗っているのだけれど、今日は何となく、作業に没頭したい気分だったので、朝食の後片づけを引き受けたのだった。川の水はあまりにも冷たく、手がジンジンと痛い。だけれどその冷たさのせいか、妙に頭は冴えわたっている。

 成人した私は、そろそろ孤児院を出るべきなのだけれど、孤児院の未成年で最年長の女の子はまだ十歳だ。孤児院の女の子は、家事を手伝うのが仕事だ。さすがにシスターの手伝いを、十歳の女の子が中心になるなんて荷が勝る。それで私は、いまだに孤児院にいるのだ。

 一人で考え事がしたくて、食器洗いを引き受けたけれど、残念ながら答えが出たわけではなかった。日本の女子大生だった本条里穂と、今ここにいる十五歳のリディアーヌ・ルージュ。十五歳のわたしと、二十歳の私。今の私は間違いなくリディなのに、あるいは、私は間違いなく里穂なのに、互いが互いの記憶に翻弄されてしまう。

 川の水で洗った二十人分の木の食器を、一つずつ籠に詰める。食器の量が量なので、籠は二つある。食器には一つずつ名前が彫ってあって、近所のおじさんがご厚意で作ってくれたものだ。これに触れることで、リディとして生きた時間を自覚する。間違いなく、今の私はリディアーヌだ。


「ポール……」


 一週間前、幼馴染のジャン=ポールから届いた手紙には、『近々帰省する』という言葉と、日付だけが書かれていた。同じ手紙が届いたマリーは、少し憤慨していたけれど、口下手でぶっきらぼうで筆不精の幼馴染が、どんな顔をしてこれを書いたのかと思えば、少しおかしかった。


「リディ~?」

「わっ」


 後ろから肩に手を置かれ、驚いて声が出る。しゃがんだままで上を見ると、マリーが私の顔をのぞき込んでいた。


「リディったら、一人で食器洗いに出かけたって言うから来たのよ? 食器を一人で運ぶの重いでしょう?」


 食器は二つの籠に詰めているので、重ねて運ぶつもりだったけれど、濡れた木の食器は存外に重い。それを察して、マリーが駆けつけてくれたようだ。マリーはさっさと籠を一つ持ってくれる。今日もきれいな服を着ているけれど、こういう雑用が大好きな、変わった貴族令嬢だ。


「ありがとう、マリー」


 私も洗い終わった食器の籠を抱えて、立ち上がった。それから二人で並んで、修道院に戻る。修道院と川は村の中では対極の位置にあって、最短で戻るには、広場を通る必要がある。


「なんだか、人が多いわね……?」


 マリーの言う通り、広場の様子がおかしい。広場はいつも人が多いけれど、今日はなんだか人だかりができている。二人で顔を見合わせて不思議に思いながらも、歩みを進める。人だかりに差し掛かると、広場の中心に、いかにも身分の高そうな二人組が立っていた。一人は長い金の髪を後ろでまとめていて、もう一人は赤毛の短髪に見えるけれど、伸ばした襟足の髪を紐で結んでいた。赤毛の人は紋章のついた剣を腰に掲げている。……あれはたしか騎士の紋章だ。何故、辺境に騎士がいるのだろう。この辺りの辺境は穏やかで、国境なんてあってないような物。お隣の村のような感覚で、隣国と行き来しているくらいに平和だ。そんな地に、何故騎士が現れたのだろう。


「リディ?」

「きゃ」


 突然肩をつかまれ、驚いて食器の入った籠を取り落しかけた。籠は肩をつかんだ誰かが、支えてくれたけれど、取り落しそうになった原因でもある。私は少し警戒して振り向くと、そこには私よりもあきらかに年下の、ううん、同じくらいの年齢の男性がいた。誰だろう、そう思ったけれど、彼の瞳が私の記憶を刺激する。


「やっぱ気づかないよな。髪、だいぶ伸びたもんな」

 彼はそう言って、後ろでまとめた長い髪をつまんだ。声は知らないけれど、ぶっきらぼうな口調には覚えがある。彼は村を出る前日、髪を短く切っていたので、その時の姿を思えば、印象が大きく違う。私の中では、彼の姿は昔のままだったから、別人かと思った。

 茶色の長い髪は後ろでまとめていて、日に焼けたせいか、髪が伸びたからなのか、昔よりも髪色が明るく見える。手繰り寄せた記憶の中の、あどけなくて、背が低くて、どこか頼りない印象を受ける彼はいない。


「ポール?」

「へへっ」


 照れくさそうに笑い、頬を掻く彼のやさしい丸い瞳は変わらない。やっぱり、幼馴染のジャン=ポールだ。彼は何も言わずに私から籠をひったくり、マリーにも籠を上に乗せるように促した。


「気が利くようになったわね」


ポールのご両親が野菜を育てるのが上手で、収穫の度に、孤児院に野菜を分けてくれていた。彼が村を出る前は、必ず野菜を運んでくれていた。その時の姿と、今の彼の姿が重なる。……たしかに昔より気が利いているかも。都会に行って垢抜けたのかしら。そう考えると少し寂しい。


「ポール……」

「な、なんだよ……っ」


確かめるように頬に触れてみると、途端に彼は頬を朱に染めた。こんな何気ない仕草が記憶の琴線に触れる。そういえばすぐに赤くなる子だった。


「手紙、ずっとなかったから」

「……悪い」


筆不精の自覚はあったようだ。マリーも苦笑を浮かべている。


「まったくもう、リディったらしばらく落ち込んでいたのよ? 気が利かないんだから」


 籠を抱えるポールの両手はふさがっている。それをいいことに、マリーがからかうような笑みを浮かべ、ポールの赤くなった頬をつつく。


「悪かったって……つつくな! 籠落とすだろっ!」


 頬をつつかれたポールは籠を抱えながらも、長い足で一歩、一歩と下がるように、マリーの手を逃れようとする。その様子がおかしくて、私は思わず笑い声をあげてしまい、マリーもつられて笑い、最後にポールがしょうがないと言いたげに肩を落とし、それから苦笑を浮かべた。こんな三年ぶりのやり取りがすごく懐かしくて、私はリディなのだと思った。今ここにいる私はリディアーヌで、ポールとマリーの幼馴染だ。何故か頭に浮かぶ里穂なんて、知らない。


「そういえば、広場にいるのって騎士様よね? ポールも腰に剣下げているし、帰省って仕事で、ってことだったのかしら?」


 マリーの言葉に思わずポールの腰に視線を向けると、確かに剣を下げていた。剣帯に結んだ布が、私が女神の印を刺繍したものだと気づき、少し照れくさい。ずっと持っていてくれたらしい。


「やはり辺境に情報は届いていないのか」


 ポールと話していたのに、そこに全く知らない人物の声が後ろから聞こえて振り向いた。後ろにいたのは先ほど広場の真ん中で、何か話していた、赤毛の男性だ。襟足で結ばれた髪が揺れてまるで馬の尻尾のようだと思った。まさしくポニーテール。


(この人、どこかで……?)


 いや、おそらく気のせいだろう。こんな人、里穂の中にも、リディの中にも存在しない。


「隊長っ!」

「申し訳ない。本来ならデュノワは休暇が始まり、故郷での時間を過ごす予定だったのだが、急遽休めない状況になってしまった」


 騎士道精神とでもいうのだろうか。隊長と呼ばれたその人は、庶民である私に深々と頭を下げてくれた。ポールは籠を抱えていて敬礼もできないからか、何やら少し慌てている。


「あの、騎士団の方がこの辺境に、いったい……?」

「は……? 聞いていなかったと……?」

「ポール……デュノワと話していたんです」


 隊長さんは意外そうな顔をしていたけれど、私の言葉を聞いて、ポールをジロリと睨んだ。その後私はポールに睨まれた。声をかけて来たのはポールなのに、なんで私を睨むのよっ!


「そうだったのか。実は予知クリスタレヨンを持つ者を探していて、名をリディアーヌと言うそうなのだが……」


クリ……スタ……? この村で、予知クリスタが使えるリディアーヌとは私のことだ。


「え、私……?」


何故騎士様が私を探しに来たのだろう。村には予知クリスタを使える者はいないし、もしかしたら珍しいレヨンなのだろうか。


「デュノワ、知り合いだとは聞いていなかったが……」


何故か、隊長さんがポールを先ほどよりも鋭く睨みつけた。


「も、申し訳ありません! そのっ、彼女をよく知る者として、受け止めることができず」

「騎士が感情で動くな」

「申し訳ありませんでした!」


 隊長さんに叱られるポールの、背筋を伸ばしたどこか品のある姿勢は、意外なことに様になっていた。記憶の彼は野山を駆け回っていたというのに、騎士団に所属した彼は、ずいぶんと礼法が身についているらしい。


「……失礼いたしました。申し訳ありませんが、どこか、落ち着いて話ができる場所はございますか? よければご案内いただきたいのですが」


心なしか、隊長さんの対応が先ほどより腰が低くて丁寧な気がする。落ち着いて話せる場所なんて、修道院ぐらいだろうか。


「修道院でいいですか?」

「お願いいたします。……デュノワ、籠をよこせ。それは私が運ぶので、軍師に連絡し、案内を」

「はっ!」


 ポールは背筋をピンと伸ばして返事をすると、隊長さんに食器の入った籠をおっかなびっくりと言ったように手渡し、それから敬礼して、駈け出して行った。私とマリーは見慣れないポールの様子を唖然と眺めた後、気持ち背筋を伸ばして、隊長さんを修道院に案内した。



「申し訳ない、遅くなりました」


修道院の応接室で隊長さんにお茶を出していると、先ほどの金髪の男の人とポールが到着した。長椅子に腰かけていた隊長さんは、立ち上がって金髪の優美な男の人に敬礼すると、そのまま彼の後ろに回り、ポールの横に控えるように並んだ。


「……貴方が、リディアーヌ殿ですね?」

「はい。リディアーヌ……ルージュです……」


値踏みするように見つめられて、立ち上がって頭を下げる私の声は、少し上ずってしまった。シスターとマリーは静かに立ち上がり、丁寧に頭を下げていたので、少し情けない。金髪の男の人は「なるほど」とか、「確かに似ている」と呟いている。


「えっ」


 ザッと音がするかというように、三人が同時に跪いた。私は立ちすくんだまま、シスターとマリーに視線を巡らせたけれど、二人も戸惑っているようだった。

 ……待って。


「お迎えに上がりました」


この光景を、見たことがある。見覚えが、ある。里穂の記憶ではなく、リディの記憶だ。ほんの一週間前、私はこの光景を見ていた。この言葉を聞いていた。私のレヨンによって。


「リディアーヌ王女殿下、貴女こそが正当な、ベランジェール王国の第一王女にございます」


 なんで、私、こんな光景を、気にも留めなかったんだろう。




「……たくましくなりましたね、ジャン=ポール」


 私たちは改めて席について、彼らの話を聞くこととなった。いつも優しく穏やかなシスターの、感情のこもっていない声を耳に入れながら、私はどこか他人事のように室内を眺めている。修道院の応接室は、テーブルと椅子や長椅子が置かれていて、ポールと隊長さんも座る場所はあるのに、席についているのは金髪の人だけだ。二人は相変わらず後ろに控えるように立っている。向かいに座るマリーは、機嫌が悪そうに腕を組んでいて、私はそんな面々をお誕生席で眺めている。

 こんな辺境の修道院を訪れる人なんてめったにいない。だから、この部屋は応接室だけれど、孤児の反省室のように使われている。悪いことをするたびにこの部屋でシスターのお説教を受け、食事の時間や就寝の時間まで閉じ込められるのだ。いつも優しいシスターもこの部屋でお説教する時はとても怖いので、皆この部屋を恐れていた。もちろん私もこの部屋が好きではなかった。


「シスターも、元気そうで……」


 シスターの言葉に、ポールは何か言葉を返そうとしたようだけど、その後は続かない。そんな様子に、シスターはわずかに笑みを浮かべたけれど、すぐにその笑みは消えた。こんなシスターは初めて見たかもしれない。シスターは女性にしては背が高い方だけど、今はたぶんポールの方が高い。昔とは声も違うから、本当にポールなのかと疑いたくなってしまう。


「申し訳ありませんが、本題に入ってもよろしいでしょうか」

「……突然のことですので、わたくしどもも混乱しております」

「心中はお察しいたします。ですが、急を要する事態ですので……」


 戸惑いを見せるシスターとは打って変わって、金髪の男の人の声は随分と落ち着いている。戸惑っているのは当事者である私も、マリーも、それからきっと、ポールもだ。先ほど隊長さんに叱られていたことを思えば、ポールはリディアーヌを探しているということも、リディアーヌが王女だという前提も聞いていたのだろう。上の人にそう言われても、私に変わりなく接してくれたことを思い出して、うれしい反面、この金髪の男の人に続いて跪いた様子を思い出して憂鬱になる。

 きっとポールは、この村の出身というだけで連れてこられたのだろう。利用するような形なので、好ましく思えないけれど、それが政治というもので、下っ端が利用されるのがきっと社会の仕組みなのだ。責任を負うような形ではないことを思えば、使われ方としてはいい方なのかもしれない。


「その……修道院で育ったリディアーヌ・ルージュが、なんと……?」

「王族です。それも直系の。王族から嫁いだ第一王妃を母に持つ、ご子息の中でも濃い血を持つ第一王女です」


 なによ、それ。いやいや、そんなの、ないでしょう。私は辺境で育った孤児だ。ご落胤とかならまだ行く分か信憑性がある。けれど直系の姫がこんなところにいるなんてありえない。国王と王族の姫の娘なんて、本来なら大切に王都で育てられるはずだ。こんな辺境の修道院の、戸口に捨てられるなんて、ありえない。


「にわかに信じることができません。私もリディアーヌが生まれたぐらいの頃、王都からこの修道院に移りました。ですが、当時、王族の姫を城から出すような不安定な情勢ではなかったはずです」


 シスターが王都にいたなんて初めて知った。いや、辺境の修道院に人が派遣されているというのなら当然のことなのかもしれないけれど、少なくとも私は聞いたことがなかった。


「事情を知っているのならばちょうど良い。情勢が安定していたと思うなら、それ以外に理由があるということです。もちろん、城の情勢には多少変化があったと記憶しておりますが」


 私に関係することのようなので聞いているけれど、正直言って王都や城の情勢なんて聞きたくない。物語のような話に好奇心が刺激される気もするけれど、その渦中に自身を投じるという前提で考えるのなら、よそでやってくれと言いたいところだ。


「陛下について、どの程度知っておりますか?」


 問われても分からない。辺境は国境付近。国の中心である王都からは最も距離がある場所だ。その末端である平民の私たちが、国王について何か知っているわけがない。遠くのお殿様ならぬ、王様よりも近くの領主様だ。私たちにとっては、王様よりもマリーの叔父である領主様の方がよほどなじみがある。

 私は何となく無知が恥ずかしくて、視線を逸らした。


「王様ってたしか、今十五歳の王女を可愛がっているって話ですよね? 地方で干ばつが起きた時期に、王女が欲しがった動物を他国から取り寄せたとか、地方で暴動が起きた時に、それを治めるために貴族の姫を嫁がせたとか、いい噂を聞いたことないですよ」


 答えたのはマリーだった。マリーの家は爵位こそ持っていないけれど、辺境伯の親族で、彼女が貴族令嬢であることに違いはない。王都についても私達よりもずっと詳しいのだろう。

 ……というか、そんな人が私の父親だというのだろうか。絶対嫌だ。私には、うん。優しいお父さんがいるはずなんだ。田舎のおばあちゃんと一緒で、笑うとエクボが出るような、そんな優しいお父さんが……。でも違う。私は孤児で、そのお父さんは私じゃない私のお父さんで……。でもやっぱり、優しい笑顔を覚えている。


「辺境ではそのように言われているわけですか……ところであなたは……?」

「これは申し遅れました。シャノン辺境伯爵の兄イシドールの娘、マリアンヌと申します」


 マリーは立ち上がって、スカートの裾を持って小さく頭を下げた。金髪の男の人は、意外そうに目をぱちくりと見開いている。そりゃあ、綺麗な格好をしていても、辺境で孤児と一緒に貴族令嬢がいるなんて思わないよね。


「驚いている所申し訳ありませんが、貴方方はリディを王女と言いましたね? 貴方方はリディの名を知っていながら名乗りませんの? リディは先ほど名乗りましたのよ。ずいぶんと無礼ではございません?」


今度は私が目を見開いた。ポールもびっくりしているけれど、マリーはいつも私たちと辺境を走り回っていたから、こんな風にお嬢様みたいな話し方をするところなんて初めて見たのだ。


「これは失礼いたしました、リディアーヌ王女殿下。私は王都で軍師を務めております、フォルクレが長子、イヴォン・セザールと申します」

「フォルクレ……侯爵家ですのね。しかも軍師様がこんなところにいらっしゃるだなんて……」


 侯爵って五等爵の上位じゃない。一番上は臣籍に下った王族などが主だった公爵、次が侯爵、伯爵、子爵、男爵と続く。マリーの家は辺境を治めることを賜った辺境伯爵だから、伯爵位ではあるけれど、少し特殊なはずだ。……爵位なんて身近ではなかったので、はずとしか言えないところが悔しい。里穂の知識だから、実際にこの国の貴族に当てはまるかはわからないけれど。


「軍師……?」


 軍師ということは、ポールが所属する騎士団で一番偉い人ということではないだろうか。何故そんな人がこんな辺境に……? まるで、私が王女だという嘘みたいな話が、さも本当のようだ。


「ええ。王女を迎えに行く以上、下っ端の騎士に任せるわけにはまいりませんので」


笑みを向けられても、笑い返すことなんてできない。こんなこと自分の身に起きると途端に現実味を帯びないものだ。事実は小説より奇なりとはいうけれど、これはまさしく小説のような話。


「それで……この子は戸口に捨てられておりました。何故今更迎えに来たのです? 当時の情勢が関係していないのでしたら、何か考えがあって王女を辺境に追いやったということではありませんか」


 今度はシスターが冷静に指摘する。確かにそうだ。私はこの修道院の祈りの場の戸口に捨てられていた。しかし当時の情勢が落ち着いていたというのなら、辺境で私が育ったこと自体に意味があるということだろうか。……私が仮に、本当に王女だったらという前提だけれど。軍師さんは「修道女ならば……」と、しばし逡巡し、それから真っすぐにこちらに目を向けた。


「王女が辺境で育った思惑との関係は定かではありませんが、陛下が討たれました」

「えっ」


 陛下がとはつまり、国王が討たれた? それはおかしい。軍師さんはまるで嘘ではないという様子だけれど、この国は東の隣国とは仲がいい。他の土地にはあまり詳しくないけれど、一番仲の悪かった西は、条約を結んだと聞いたいことがある。つまりは内乱ということだろうか。いや、新たな旗頭を求めたとしてもおかしい。今まで王子王女として生きて来た者たちが争ったとして、辺境から突然現れた王女に旗頭が務まるだろうか。胡散臭いことこの上ないように感じる。なら、新たな旗頭が必要な理由は何? ……だめだ。情報が足りない。私はこの国について、知らなすぎるし、軍師さんの言葉が本当だという確証もない。


「一週間前に、王都は他国から襲撃を受けたのです。国王は既にこの世になく、王妃様は軟禁されていて、御子息様は男ですし、もっとひどいでしょう」


 辺境は情報の流れが悪く、王都の情報はほとんど入ってこない。王が殺されたという情報すら入っていなかった。知らないうちに国が滅びかけているなんて誰が思うことだろう。


「それで、貴方方はどうしてこんな農地しかない辺境にいらしたんです?」

「リディアーヌ王女殿下を、正式に王族として、あるいは王としていただくためです」


軍師さんはきっぱりと言い放った。即答されたけれど、意味が分からない。


「そんなこと言われても困るわ。私、今まで辺境で平民として暮らしてきたの。そんなことを言われても意味が分からない」


 私はつい最近まで、二十歳の大学生だった。それなのに今は、十五歳の孤児で、辺境で暮らしてきたのだと思い直したら、今度はお姫様だって言われ、わけがわからない。正直、怒鳴って大声を出してすっきりしたいところだけれど、そんなことになればこの人たちの話を聞かなくなりそうだ。冷静にならなければならない。聞きたくない。けれど聞かなくてはならない。恐怖と好奇心がないまぜになって、私の胸中を渦巻いている。


「実は陛下は、お忍びで訪れた城下に住まう女性を見初めたのですよ。その女性は、女の子を産んで亡くなってしまったそうですが……」

「その女の子が私だって言うの?」


敬語なんて使ってやるものかと、なんとなくで意地を張ってしまう。私の言葉を聞いた軍師さんは、静かに首を振った。


「言ったでしょう、貴女は第一王妃の子だと。国王はその女性との間に生まれた子を手元に置き、同時期に生まれたリディアーヌ王女殿下を辺境に送ったのです。貴女様の方が一週間ほど早く生まれております」

「なに、それ……」


何それ。私、なんなの? この国の王様が、そんなに自分勝手な人だったの? 私は、そんな人の娘だというの……?


「僅かな兵はここから西の砦に逃れ、各地方の詰所から、騎士や兵を集めているのですが、直系の王位継承者はすべてとらわれてしまい、騎士団の士気が高まらない状態なのです」

「それで、証拠もないのに、私を王女に祭り上げて士気を高めようって言うんですか?」

「リディ!」


 つまりは私を利用しようと言うのだ。ポールが私をたしなめようとしているけど、知らない。幼馴染なのに、私が利用される状況を黙認するわけだ。……私も、さっきポールが利用されている状況に気づきながらも、意に止めなかったのに随分勝手だ。大事な幼馴染のつもりだったのに、所詮は他人事だったのだろうか。


「口を慎みなさい、デュノア。このお方は、この国の王族の血を引く直系の姫なのだから」

「や――」

「やめて!」


 思わず声をあげそうになったところで、私の声に重なって私の口から洩れるはずだった言葉が聞こえた。叫び声をあげたマリーを見ると、泣きそうな顔で、軍師さんを睨んでいた。


「リディの言う通り、証拠なんてないじゃない。それなのに私とリディとポールの関係に口を出すって言うんですか? 貴方方が王都でぬくぬくと暮らしている間、リディは孤児院で幼い子の面倒を見たり、村の手伝いをしながら、必死に生きていたというのに」


 ……マリーが怒ってくれたから、少しだけ冷静になれた。ほんの、少しだけ。視界が揺らいで、涙がこぼれそうになるのを必死にこらえる。私は孤児だ。ポールやマリーみたいに、血のつながった両親がいない。それでも村の皆に支えられて、今日まで生きて来た。マリーがそれを理解してくれていることがうれしい。


「証拠ならあります」


 軍師さんは、怒りを見せるマリーに対して、あくまで冷静だ。


「リディアーヌという名前はもちろんですが、貴方の光は予知のはずです。予知の光は真に神の前で誓いを立てたつがいの間にしか生まれません。予知クリスタレヨンを持つ者は、間違いなく王の子です」

「そんな……っ」


 そうだ。この人たちは、予知クリスタレヨンを持つ者を探していると言っていた。それが証と言われると、私は何も言えない。レヨンについて、情報が全くない。レヨンは、一人一人が神から授かる力だ。だから、他の人と違ってもおかしなことではないし、私の力が特別だと考えたことはなかった。このレヨンは自由に使える力ではない。時々警告のように、頭の中に光景が浮かぶだけだから。村の大人のように、火をおこしたり出来るわけでもない。明かりを作ることができるわけでもない。便利に見えて、自由に扱うこともできない不便な力だ。


「それに、貴方は第一王妃にそっくりですよ。髪と目の色は陛下と同じ色で、他の王子殿下方にもみられる色です」


 王様の? この黒い髪と赤い目は王様から受け継いだものらしい。確かに黒髪はともかく、この赤い目は珍しいかもしれない。王妃に似ているのかもしれない。けれど、いくつ根拠をあげられても、私のこれまでの人生を否定することはできない。出生が私の心に根付かない。私は辺境で育ったからだ。


「たしかに、リディアーヌの目は珍しい色をしております」


だからシスターは、私の姓をルージュにした。紅茶みたいな赤い色を見て、私を表す言葉に感じたのだという。


「ですが、お帰りください」


 シスターは厳しい口調でそう言った。いつも優しいシスターが、いたずらをした子供たちに怒る時は怖いけど、それには愛情があった。……こんなに冷たい声をしたシスターを、私は知らない。


「この国の問題ですよ?」

「リディアーヌは、私にとって大切な娘です。たとえ王妃様の御息女であったとしても、何も知らないこの子を、混乱させるような真似はおやめください」

「そうだわ。それに、貴方方はリディを王家の姫と言いながら、王家の証を見せていないわ。証もなく信じさせようなんて、ずいぶんとなめられたものですのね」


怒りを見せて守ろうとしてくれる、シスターとマリーの言葉に、さっきこらえた涙がこぼれた。確かに彼らは王家の使いだという証は見ていない。そうである以上、王族とのつながりを示しきることはできていない。……そう、思いたかった。


「この剣は、証になりませんか」


 それまで、静かに軍師さんの後ろに控えていた、赤毛の隊長さんが腰に下げていた剣をテーブルに置いた。騎士の剣の塚の部分には、ベランジェールの紋章が入っている。裏には騎士団の紋章だ。騎士になると言って村を出たポールがいるのに、それが嘘だなんて言ったら、幼馴染を侮辱することになってしまう。剣を出された以上、私たちは何も言えない。


「ご、ごめんなさい」


気付いたら立ち上がって、そう言葉に出していた。衝動的に応接室を飛び出した。何も考えたくなかった。頭が混乱していて、まともに働いてくれない。


 私、どれが自分なのか、わからなくなった。

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