21

 目を覚ますと僕は壁によりかかった体勢で座っていた。午睡から覚めた時のように、体中に火照りがある。

 目の前には沙也加の顔がある。彼女は僕のことを覗き込んでいたようだった。 

「効きましたね、マントラ」

 僕の意識が戻ると、沙也加は開口一番にそう言った。

 沙也加は件の明王の真言を唱えていたのだという。実に霊験あらたかです、とやはり妙にうれしそうだった。

 ……いや。妙にうれしくなっていたのは僕の方か。

「誘われましたね、セキくん」

 普段、僕は怪異など視えない。幽霊も妖怪も呪いも、僕の世界には存在しなかった。沙也加と同じだ。いや、彼女と違って端からいるとも思っていなかった。あれらは架空の、人間の意識や無意識、社会が生み出す物語なのだと諦めていた。

 だけど、沙也加と出会って、この仕事に就いて怪異が存在することを知った。無いけれど、確かにある。

 そしてそうしたものたちと関わりあい、呪剣を用いて怪異を切除している内に……時折、誘われるようになってしまったのだ。魂がどこかに行ってしまうような。そんなことがある。

「面目ない」

「まったく……良いですか、あの像は様式的に不動明王ですよ。肉塊のような怪異を生み出す母体なんかになるものですか。物部天獄は実在しませんし、したとしてアレが関係しているはずがありません」

「知ってるよ」

 すべて知っている。彼女が教えてくれた。そういうものだと理性は理解しているのだけれど……魂が誘われてしまうのは、どうしようもない。

 饒舌に捲し立てる彼女は、僕に呆れるような態度を取っていた。だが瞳の奥に、物哀しさを湛えているような気がするのは気のせいだろうか。

「さてと。ともかく対決すべき相手はこの先にいる、ということで良いんですよね?ならば私たちで退けるだけです」

 行けますね、と。沙也加は布に巻かれた呪剣を僕に掲げた。

「……ああ。あれ、日本を滅ぼすんだろ。そんなものを残しておいちゃいけないだろうからね」

 精々が視たものに高熱を齎す程度のものでしか無いのだろうけど。

「ええ。それでは私たちで日本を救うといたしましょう」

 沙也加はそう言って、剣に巻かれた布を解いた。





 ……それに、あの怪異の存在を許すわけにはいかないのだ。先ほど、僕はアレに魂を誘われた。あれにどうしようもなく惹かれてしまった。その心は、確かにある。あるのだけれど。

 この場所はそれによって穢しては行けないと思う。この場所は心霊スポットなどでは無い。一橋昭人の家族が営み、彼が思い出を育んだ、彼の心を形作るものだ。

 ここを怪異のある場所として消費するのは、彼を軽んじることに他ならない。

 僕の友人を軽んじるものは、叩き潰してやらなければ。

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