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 中の様子はこの間よりも広々として感じられた。おそらく内装なり何なりを撤去した結果なのだろう。

 地下階の待合室も同様である。この前まであった生活の名残のようなものが消えていた。空気も気持ち冷え冷えとして感じられる。

「さっきの一橋さんとのやりとりなんですが」

「なんだよ」

「フラグっぽくないですか?帰ってきたら結婚しよう……みたいな」

 まぁ、そんな気もするけれども。

 あれも一種の呪術なのだろう。創作を根とする、物事の感じ方を縛る呪いだ。物語において大事の前に「帰ってきたら~」という仮定を語ることでその後の悲劇を際立たせる演出がある。その演出が印象に残っていると、現実でも同じように悲劇が起こるのでは無いか……と感じてしまう。それだけなのだろう。 というか以前にも似たような話をしたことがある。入谷氏の依頼を受けた時のことだったろうか。事前に楽観的な予測をすることの是非を話したが、その時は「言霊の力を信じましょう」とか何とか言っていたのでは無いか。言っていることが違うのでは無かろうか。

「いえ、変わってませんよ。私が言いたいのはですね、なぜ私には言わないのかということです。この依頼が終わったら結婚しようって」

 そもそもショーグンとは結婚の約束はしていないので沙也加に求婚する必要は無いのである。

 ……いや。そうじゃないのか。

 彼女がダルい絡みをしてくる理由に少し心当たりがあった。

「もしかして相変わらず酷い顔してるのかな、僕は」

 出立前にも指摘されたことだった。知り合いが絡むとそういう風になる……と沙也加は言う。旧知の者が仕事に関わってきたことは数えるほどしかないし、やはり自覚など無い。それでも、沙也加が言うのならそうなのだろう。

 心配してくれていた、とでも言うのだろうか。いつもとそう変わらないと言えば変わらないのだが、こうやって構われると少し余裕が出てくるような気もする。

「おわかりいただけたでしょうか」

 ふふん、と沙也加はいつものドヤ顔で返してきた。というかいつものホラービデオのリプレイみたいなやりとりをしてしまって少し気恥ずかしいのだが。

「ではもう一度求婚していただきましょう」

「だからそもそも誰にもしてないって」

 馬鹿話をしながらも歩みは止めなかった。待合室を抜けて、例の部屋のある廊下を前にすると、流石に緊張感が出てくる。慎重に、警戒して足を進めた。

 その途中にたった二日だが長時間を過ごした図書室が見えた。中を覗くと、本を入れていたラックも机もすべて撤去されていた。当然ではあるが寂しいものがある。そうしている間にも沙也加はもう例の部屋の扉にまでたどり着いていた。慌てて後を追う。

「さて」

 僕が付くと沙也加はノブに手を付けながら言った。

「いよいよ虎穴です。あるいは異界やも知れません。気を引き締めて行きましょうっ」

 そう言う彼女の口の端は少しつり上がっている。緊張と同時に、期待がある。そんな表情だった。

 勢いよく開かれた瞬間、例の肉塊が躍りかかり……などということは無かった。

 照明が無いので持ち込んだ高出力の電灯を付ける。照らされた室内を見回すと内装の一部が剥がされていたが、この間と中の作りも配置もあまり変わっていないようだ。

 正面には赤い仏像が台座に乗った状態で鎮座している。衆生を救うために怒りの様相を見せる不動明王。沙也加によるとそうであるらしい。

 僕たちは改めてその様子を観察してみることにした。前回見たときは物見遊山だったし、それが邪神を象ったものでもなんでも無いことに気がついた段階で興味を失っていた。

「前回は他の仕事もありましたからねぇ。なんてことない噂のひとつだろうとスルーしましたが……何か、妙なものの一つや二つあるかも知れません」

 大容量ライトを脇に置き、それぞれペンライトを振り回しながら各部を見ていく。

「おや」

 どうやら何かを見つけたようだ。足下を照らして見ていた沙也加が声を挙げたので、彼女の視線に倣う。

 するとそこには———

「……いや、物部天獄って」

 台座に、そう記されていたのだった。

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