16
「おやセキくん、相変わらず重役ですねぇ」
図書室に着くとモンペ姿の沙也加はポットに入れてきたコーヒーを飲んで休憩しているところだった。手元にはそこら辺から抜き取ったのだろう文庫本がある。
本の山は昨日に比べて少しだけ減っている。沙也加が頑張って動かしたようだ。
「ごめん、ちょっと野暮用が」
「まさかすーちゃんと会ってたとか言わないでくださいよ」
「……」
「おい」
普段の口調が完全に崩壊している。
「いや、別になんかあったわけではなく」
「何も無いのに重役というのはこれ如何に」
……相変わらず面倒な絡み方をしてくる。 本当に疚しいことがあったわけでは無い。なので先ほど僕が見たこと聞いたことをそのまま伝えることにした。
「なるほど……すーちゃんと弦尾さんが」
あの二人のやり取りはかなり緊迫したものがあったのだ。とても放って置ける状況では無かった、ということを説いたのだが、沙也加の反応は淡白なものだった。
「まぁ、どこかしら通じ合うものでもあるんじゃないでしょうかねぇ」
そういう沙也加の声は少しぎこちない。彼女にしてみれば霊能力を持った二人の一幕というのはコンプレックスを刺激される部分があるのかも知れない。伝えるべきことではなかったか。
「ま、そこはそれ。我々の仕事はこの本の山を片付けることです。ついでに弦尾さんの言う“良くないモノ”でも出てきてくれれば最高ですが」
後半はともかく前半は手放しで同意である。寝坊してしまった分、挽回しなくてはなるまい。
沙也加と入れ替わりで始めた作業だったが、闖入者が来ることは無く、単純な力仕事だったこともあって昨日以上に順調に進んだ。
弦尾は「これからみんなでまた調査に行く」と言っていたらしいが、一行の姿や彼らが動く音は聞こえなかった。会がお開きになった時間が時間だったので昼くらいまで眠っていたのかも知れない。あるいは……これは希望なのだが。沙巫のことを慮って肝試し自体を取止めにした、ということも考えられる。そもそも、弦尾はこの場所を危険と考えていたのではなかったか。彼女に視えているものがなんであれ、彼女が肝試し自体を止めてくれたのだとしたら。必要以上の問題も起こるまい。
やはり18時頃にはほとんどの本を運び終えた。身体は疲労を感じているが、仕事の終わった達成感が心地いい。このまま風呂と夕食と晩酌に入れるならなんの文句も無かった。
そのままの足で一橋昭人に報告に向かう。
僕が肉体労働をしている間に沙也加は査定と正確な買取金額を計算していた。そのまま昭人に支払うようである。
昭人は査定額を見て特に喜びはしなかったが落胆もしなかった。彼にとって本自体の値段はさほど意味が無いのだろう。
「では、買取をお願いします」
「かしこまりました。こちらご査収ください」
「確かに」
そうして、取引は実にあっさりと終了したのだった。何事もなく、問題も無く。
「折角なので飲みませんか。是非円藤さんも交えて」
昭人がそう誘ってきたのは夕食を終えた直後のことだった。聞けば昭人は明日は休みを取っているらしい。僕たちもあと一日、ここに宿泊して良いことになっている。昨日も飲んではいたが、旧友との再会を祝して飲むというのも悪くは無いだろう。
新館にはバーラウンジがあり、そこを貸し切りにしてくれていた。
「では、本当にお疲れ様でした。乾杯」
昭人の音頭に合わせてグラスを合わせる。
メニューにはビールやウィスキー、各種リキュールによるカクテルもあれば焼酎や日本酒などなんでもある。昭人はウィスキー、沙也加は日本酒、僕はアブサンがあったのでそれを注文した。
「ふふっ。相変わらず天邪鬼な選択をするんですね、君は」
「天邪鬼とは何だね。僕は自分の好きなものを頼んでるだけだ」
「失敬。それでは相変わらず我が道を行っている、と言っておきましょうか」
なんだか馬鹿にされている気がしてならないのだが。
「とんでもない。変わっていなくてうれしいんですよ」
へぇ、と沙也加の声が漏れた。
「昔からセキくんは変わりませんか?」
「当時から変わり物ではありましたがね。僕の知る彼は天邪鬼な物言いばかりしてましたよ。例えば演劇部の叶井くんに脚本を頼まれた時など、かなり穿った方法で意趣返しをしようとして……」
過去の自分の言動や行動を掘り返されるのは実に気恥ずかしいものがあった。何度かやめろと言ったのだが、昭人は止める様子が無かった。
———気恥ずかしいは気恥ずかしいのだが、少しうれしい気分もあった。彼も学生時代のテンションに戻っている。このホテルに来てから、彼はずっと支配人、という態度を崩さなかった。どこか余所余所しいものがあったのだが、すっかり打ち解けた雰囲気になっている。
「お二人は演劇部だったのです?」
「いえ。文芸部です。彼とは高校の二年の時にクラスメイトとなって、読書が好きということで仲良くなったのですが」
色々あって部活に入っていなかった僕を昭人が文芸部に引っ張ってきたのである。僕たちの学年は部員がかなり少なく、来年の存続を危ぶまれるような状況にあったらしい。そこで丁度いいとばかりに僕が連れて来られたのだ。
「文芸部は演劇部と協力関係にありましてね。脚本を提供する、ということもあったのですが。その年はせっちゃんが熱心に脚本を仕上げましてね。その理由というのが叶井くんという演劇部員に一泡吹かせるためだったらしいんですが。まったく方法がまだるっこしいもので———」
沙也加はへぇ、だのほぅ、だの一々大げさにリアクションを取っては笑ったり僕を揶揄ったりしていた。
「ええ、実に懐かしい。叶井くんとはこの間同窓会で会いましたがね。せっちゃんもいましたよね?」
「ああ、いたよ。アイツ、劇団員やってるんだっけな」
「そうでしたねぇ。相変わらず格好良かったですね」
「まぁな。ムカつくくらいだ」
無性に懐かしい気分に見舞われる。青臭い悪態が口から勝手に漏れ出てはいるが、決して嫌な思い出ではなかった。思い出と酒精に酩酊するのが心地よかった。
思い出、と言えば。先ほど査定した本の中に、ちょっとした思い出が詰まっていた。
「そういえば学生時代、『金枝篇』貸してくれたことがあったよな。岩波文庫の」
「ああ、はい。ありましたね」
学校の図書館には入っておらず、さりとて近所の新刊書店や古本屋にも置いてなかったものだが、昭人が持っているというので貸してもらったことがあったのだ。
「フレイザーのでしょうか」
「ええ。岩波の5巻セットですよ。それがどうかしましたか?」
「図書室で見つけたよ。あの時貸してくれたのと同じものじゃないか」
「ああ……そうでした。せっちゃんに貸すために送ってもらったんですよ」
初日の作業の際、妙に琴線に触れた本だった。なぜなのかを考えていたのだが、高校時代に貸してもらったことがある本だったのを思い出したのだった。聞くとあの時と全く同じものらしい。
「小学生の頃からこのホテルに来ると、あそこで本を読むのが日課になってましてね」
「浪漫ですねぇ」
沙也加が口をはさんだ。彼女の実家の部屋も相当広く本がたくさんあった記憶がある。壁一面に本棚がある部屋だ。あれも充分本好きにとっての浪漫だと思う。ただ、流石に図書室にはかなわないのも確かではあった。
「自分だけの図書室がある、など本好きにとってはたまらないのでは?」
「順序が逆かもしません。読書が好きになった理由のひとつがあの図書室だったんですよ」
そう語る時、昭人から自然と笑みが漏れ出ていた。
『金枝篇』だけではない。彼にとって、あの部屋全体が懐かしい思い出の象徴なのだろう。
「難しい本は読み捨てて、面白いと感じたものは没頭して……そんな風にしていたら、すっかり読むことが好きになっていました。読むということが楽しいと、自然に教えてくれた空間なんです」
だから、と彼は少し躊躇してから続けた。
「失くさなきゃならないのは、やはり残念ですね」
「解体するんだっけか。理由は……」
「不法侵入ですか?」
僕が言い淀んでいるところに沙也加が言い切った。昭人が苦笑いで応じる。
「そうです。ご存じでしたか」
「はい。失礼ながらお調べさせていただきました。ヤバゾン氏の廃墟動画ですね」
「その通りです」
話を聞くとヤバゾン氏を通報し訴訟をほのめかして動画を削除させたのは昭人だったようだった。
「どうしても無視できなかったんです。僕にとってあの場所は思い出の場所だった。祖父が……そして当時のお客様が集めた本。それを僕が手に取って読んで、そのおかげで読むことが好きになった。過去と僕が生きている時間を繋げてくれる、一種のタイムマシンのようなものだったんですよ。だから、可能な限りは残しておきたかったのですが。……ああやって、適当なことばかり言われたのではね。新館の経営の方に差し障るかもしれませんし。遺憾ではありましたが、潮時かな、と」
そういう彼の表情は極めて寂しそうなものだった。
それはそうだろう。彼にとってここは心霊スポットでも邪教集団の神殿でも無い。彼のルーツと今生きている人生の一部なのだ。それを他人の都合で消費され、失くさなければならないというのは辛いことだろう。
そしてそれは、僕自身に突きつけられる問題でもあった。怪異を愛好し、現実を物語として消費することは、時に他者の思い出を穢すことでもあるのだ。少なくとも、あの場所はそうなってしまった。それを僕がしない……いや、していないと言い切れるだろうか。
「そうしんみりしないでください。本というのは読まれてこそです。最近は私も読書に時間を取れなくなってましてね。それを思うなら、誰か別の、今読もうとしている誰かの手に渡った方が良いでしょう」
僕の沈黙を昭人は同情とか感傷と解釈したらしい。そう思われて不都合は無いので特に訂正はしなかった。
いずれにせよ、あの図書室は近いうちに新館ごと解体されるという。場所も無くなるのなら、あの空間がこれ以上消費されることは無い。それだけは確かだろう。これで赤い仏像がどうのという話はお終いだ。それが良いと思う。
———一橋昭人から再び連絡が来たのは、その数ヶ月後のことだった。用件は古書店としての仕事では無かった。退魔師である円藤沙也加に依頼が来たのである。
あの場所はとっくに、物語として消費される場所に変わり果てていたのだ。
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