15

 怪談会は午前3時頃に沙也加と朋喜、双方ネタが尽きたことで終了となった。総話数は僕は数えていなかったのだが沙也加はカウントしていたようで「百話に届かなかったのが無念です……」と悔しそうにしていた。宴会部屋は「大声で騒がない」という条件で彼らがレンタルしていたらしい。私物や空き缶などのゴミを片付けて部屋を辞したのはもう空も白みだした頃であった。

 ほとんど徹夜だ。まるで大学生のような飲み方である。翌日……というか今日も仕事があるというのに。こんなことで良いのだろうか。

「かなり良かったです」

 沙也加は、と言えば満足げだった。考えてみれば怪談というのは二人だけでは簡単にネタが尽きる。実際、沙也加の語った話は過去に聞いたことのあるものばかりだった。

 僕は、と言えば前述の通りそこまでのレパートリーを持っていない。ほとんど聞く側である。

 語り、語られる。相互的なコミュニケーションを多人数で存分に楽しめる場に意図せず参加できたことを喜んでいる様子である。

「朋喜さんとの怪談合戦も楽しかったですが、長田さんや中野さん、弦尾さんが語った序盤のパートも興味深いものがありましたね。特に長田さんなど、もう素晴らしい。以前から類話は追い掛けていまして、以前セキくんが語ってくれた体験談も興味深く聞かせて貰いましたが、それにしてもこれは奇縁とでも申しましょうか」

 と気炎を吐いている。

 頬は赤々と照っていてとても徹夜明けとは思えない元気さである。彼女は一旦、温泉に入ってからそのまま朝食を済ませて仕事に向かうと言う。僕は眠気が抑えきれなかったのですこしだけ眠らせて貰うことにした。


 目を覚ますと、時刻は10時を回ってしまっていた。

 脳内を液体が駆けずり回るような快感が駆け巡る。よく眠った。眠ってしまったようだ。

 机の上には置手紙が残されていた。

“昨日はお疲れでしたし、よく眠っているようなので先に行きます。目が覚めて準備が整ったら旧館で落ち合いましょう”

 持参の筆ペンで書いたらしい達筆な筆致でそう綴られていた。

 沙也加には気を使わせてしまったようである。彼女のことだから怒ってはいないだろうが、やらかしてしまったのには変わりない。

急ぎ出ようかと思ったが腹部が空腹を訴えている。酒の匂いが少し残っている感じもしたので、悪いとは思いつつ食事と風呂を先に取らせてもらうことにした。

 お湯を浴びて食堂で朝食を軽く取って作業用に持ってきたジャージに着替える。そのまま旧館まで向かうことにした。

 昨日は車で行ったので館外から歩いていったが、今日は館内の利用していない通路から入っても問題ないだろう。今日の仕事場を目指して廊下を歩いていたのだが……

「———あんたたちには関係ない!」

 急に聞こえてきた大声に身をすくませた。

 喧嘩だろうか、と声のした方向を窺う。曲がり角の先のようだ。

 角から様子を窺う。

 声を出したのは、良く見知った人物———円藤沙巫のようだった。相手は、と言うと弦尾美冬である。あのふたりが何か諍いを起こしているようだった。

「関係ない、なんてことないよすーちゃん。だって私たちは」

「“私たち”とか勝手に仲間に入れないでよ!なんなのあんたと言い朋喜と言いさぁ!こっちは知らないし関わり合いたくも無いんだって。それを———」

「本当にこのままでいいの?私にはわかる。あなたには力がある。あなたは特別な人間なんだよ。それなのに何もしないなんて許されないよ」

「誰が許さないっていうの?誰が許してくれるって?言っとくけどね、私は———」

 状況を見ると沙巫はかなり感情的になっているのが見て取れた。

 彼女はパニックに陥りやすい。特に怪異が絡むもの———創作だろうと本物だろうと———だと、すぐに感情的になる。言葉の上だろうと何だろうと、とにかく怪異的な存在との関わりの一切を彼女は良しとしていない。

 このままではまずいだろう、と思った。

 お互いに相手の言葉を遮りながらの言い合いになっている。冷静な話し合いは望めないだろう。ここは———

「ちょっとすーちゃん、落ち着こう?」

 二人の間に入り込んで沙巫を宥めることにした。彼女が弦尾に何を言われたのか、正確なことは分からない。だから善悪をジャッジしたりすることは出来ない。だが、このまま言い争っていても良いことはあるまい。

「あの、ごめんね弦尾さん。ちょっとすーちゃん借りても良いかな」

 僕がそう言うと弦尾は表情を変えることなく「構いません」と返してきた。

「……むしろ私の方が出直します。ちょっと冷静な話し合いとかできなそうですし」

 弦尾は冷静に現状を読み取っていたようだった。そう、このまま言い争っていても平行線にしかなるまい。

 弦尾がこの場から去って行くのを見届けて、さてどうするか、と沙巫の様子をみやった。「あーもーっ!ムカつくっ!」

 いずれ物にでも当たりかねないほどに興奮していた。まずは彼女を落ち着かせた方が良いだろう。


 沙巫は詳しい事情までは語りたがらなかった。ということは、やはりオカルト的な物があの二人の諍いの中核にあるのだろう。

 ロビーで無料配布しているコーヒーを飲んで、すこし落ち着いたらしい沙巫の言うことを想像で補って纏めると、次のようになる。

 どうやら弦尾は一緒に旧館地下まで行こうと沙巫を誘ってきたのだという。

 弦尾は昨日、『あそこには良くないモノがいる』と語っていた。それを一緒に退治しようということらしい。

 だが沙巫にとってそんな提案は受け入れられるものでは無かった。当然のことながら断ったのだが、弦尾はそれでもしつこく誘ってきた。

 このままでは良くないことが起こる。これからまたみんなであそこに行くけれど……どうなるか分からない。みんなを護らなければ……。彼女はそう言って沙巫を説得した。

「いや知ったこっちゃねぇし。私関係ないですよ。勝手に行って勝手に……しろってんです」

 そうして沙巫が激昂しているところに僕が通りかかったということだった。。

「なんというか、それは……」

 結構酷いと思う。弦尾のことである。

 沙巫の能力とか才能とかは置いておいて、嫌がる友人を無理矢理連れていこうとするのはどうなのだろう。中野の時も思ったがデリカシーに欠けるのでは無かろうか。

「その、弦尾さんは友達ってことになるんだろう?」

「……なってますけどね。私もあの子のことは嫌いじゃ無いし。悪い子でも無いと思います。でも」

「でも?」

「苦手です」

 嫌いでは無いが苦手、というのは微妙なニュアンスの表現である。

「なんて言うか。あの子は必要の無いことまでやっちゃうんです。別にそこまでしなくても良いのにってことまで。それで”無くても良いもの”まで生み出してしまう。私の天敵ですよ」

「無くても良いもの?」

 僕がそう聞き返すと、沙巫ははっとした表情を浮かべて紙コップの中身を飲み干し、今度は苦虫を潰したような表情を浮かべた。それこそ、言わなくても良いことを言ってしまった、というような。

「さぁて、ありがとうございますセキくんさん。もう大丈夫です。今日は徹底的に逃げ回って連中と顔を合わせないようにしてやりますよ。具体的には温泉と買い食いです」

 そう言って、そのままいずこかへと去って行った。

 ……折角の旅行だというのに可愛そうな気がした。回りにいる友人との関係が尽くうまく行っていないように見える。あれでは心は安まらないだろう。彼女の姉に働きかけて何か埋め合わせでもしてあげたい気がした。

 いずれにせよ、今はどうにも出来ない。僕たちは仕事で来ていたし、それはまだ残っている。ただでさえ寝過ごしているのだから、一刻も早く沙也加の元に向かうべきだろう。そう思い、旧館へと足を向けた。

 ただ、その道中。沙巫の言葉の中ですこしだけ引っかかるものがあった。

 無くても良い物まで生み出してしまう。

 弦尾を評して言った言葉だ。彼女は霊感を持っていると自称していた。そして沙巫はそんな彼女の霊感自体は否定しなかった。僕の知る本物である沙巫がそう言うのだから、それはきっとそうなのだろう。

 ……その弦尾は昨日、旧館の地下で何かを視たと言っていたのでは無いか。それは一体何だったのだろうか。

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