7
作業は18時頃まで続いた。
一応、査定は終わっている。数は多かったが、我が烏乃書店にとって価値のある本は奥の方に固まっていたので大変と言うことも無かった。問題は搬出である。とにかく冊数がある。エレベーターは動かせないので手作業で搬出することになる。沙也加も細々と外に運び出していたが、力仕事の中心になっているのは専ら僕の方だった。そうなると、体力の問題が出てくる。
「今日の作業はそろそろ止めましょうか」
となったのが18時くらいのことだった。「何、明日もあれば明後日もあります。一橋さんも融通は利かせられるということでしたし、無理をすることもないでしょう」
そういうわけで、図書室に本を残して僕たちは撤収することになったのだった。
部屋に戻って温泉を浴び、それから夕食を取ることにした。力作業で疲れた身体に温泉は良くしみた。筋肉痛は避けられないだろうが、それでも多少は低減する効果があると思いたい。
部屋に戻って少し眠っていると、沙也加が戻ってきた。
「やはり男性となると烏のなんとやら、でしょうか。お早いのですねぇ」
「店名に見合った作法じゃないか」
「おや、これは一本取られました」
たはは、と妙に軽快に笑いながら頭を叩いた。あれは絶対に一本取られたなどと思ってない。戯けてやっているだけである。
僕も彼女も備え付けの温泉浴衣と羽織に着替えている。彼女の和装姿は珍しく無いが、それでも普段よりくつろいだ雰囲気があって新鮮な感じがした。
現状、営業している一橋ホテル新館は5階建て。和風モダンな外観と内装が特徴的な建物となっていた。一階はエントランスとアメニティや土産物を売るショップで、二階から五階までが客室になっている。
食堂は地下階にあるのだが、山間の中に建てられていることもあって景色は悪くない。むしろ良い。ライトアップされているため、紅葉し始めた木の葉が風情を醸している。
大理石製、だろうか。冷たい触感が心地よいテーブルに通された。食事はビュッフェスタイルになっていて、各々好きな料理を取りに行くというものだった。飲み物も同様である。アルコール類は飲み放題では無かったが、都度カウンターまで注文に行くシステムらしい。
「分担しましょう。私はお酒を注文しに行きます。セキくんはお食事を」
というわけでお盆を抱えて料理の物色に向かうこととなった。
刺身に茶碗蒸し、天ぷらや炊き込み御飯といった和食もあればムニエルやグラタンなどの洋食もある。ひとしきり小皿に取ってお盆に乗せた。アルコールを注文している、ということはこういうスタイルで分け合う方が良いだろう。
和洋折衷の料理が席上に並ぶ。それなりに体力を使ったので空腹だったが、先に食べるというのも甲斐が無い気がする。どうしたものか、とアルコールを注文するカウンターの方を見ると列が並んでいた。沙也加の前には3人ほどいる。もうすこし時間がかかりそうである。
回りを見わたして、同じように行列が並んでいる一角があるのに気がついた。どうやらシェフが一皿ずつステーキを焼いて配膳しているらしい。
沙也加は牛肉が好物である。すき焼き、ローストビーフ、ハンバーグ等々。牛とあらば実に目が無い。好きな寿司ネタは肉寿司なくらいである。当然、ステーキもこの例外では無い。
彼女の様子を見るにもう少し時間が掛かりそうである。折角だから取りに行くことにした。
ステーキという言葉には魔力があるらしい。肉か魚かで言えば魚派な僕も、ステーキと言われると少し心が躍る部分がある。食事に来ている大勢の人々もそうなのだろう。僕の前には人々が列を為していた。皆、肉が焼かれるのを待っている。列の進みは遅い。どうやらシェフはひとりずつ焼き加減の注文を取っているらしい。この分では沙也加より遅れてしまうかも知れない。
またひとり僕の後に人が来る。まだ並ぶらしい。好きだなぁ、と自分を棚に上げてぼんやり考えていた。
「あれ」
え、と振り向く。沙也加の声が聞こえた。まさか本当に先を越されたか、と慌てて振り向く。
違った。沙也加では無い。何せ髪の毛がブリーチの掛かった薄いピンク色だ。顔も、よく似ていたが別人である。つまり……
「すーちゃん?」
沙也加の妹の沙巫に相違無い。なんで、と声が漏れる。沙巫は「こっちの台詞っすよ」と言う。どことなく刺々しい。
「まさかストーカーっすか」
「なんで君をストーキングしなきゃならんのかね」
「愛ゆえに、とか」
「……そういえば前、君のお姉さんが同じこと言ってた気がするよ」
そういうと沙巫は「うっへぇ」と露骨に嫌そうな表情をした。彼女を遣り込めるにはこの方面が良さそうだ。
しかし、実際のところなんで……と聞きただそうとして、日中の旧館での出来事を思い出した。肝試しに精を出す一団。聞き覚えのある声。そして、トモヨシという名前……一連の出来事と沙巫が無関係とは思えない。
「まさか肝試しにでも来たとか?」
まさか、と思って言ってみただけだった。だがこれは沙巫の逆鱗だったらしい。
「馬鹿なこと言わないでください。馬鹿なんですかこの馬鹿!」
言うなり沙巫の拳が僕の背中へと叩きつけられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます