6

 書庫に戻り、依頼されていた作業に入ることにした。

 元が個人のものだったことを考えると蔵書数は多い。駅近の図書館くらいはある。これらを選り分けてはざっと値段を付けていく。僕も沙也加もあまり目利きは強い方ではない。そもそも買取の基準も烏乃は他の書店とは違う。講談社文芸文庫よりもMF文庫の怪談本の方が優先される……そんな書店だ。つまりは僕たちの趣味に合うかがすべてに優先されているのである。重ね重ね、商売ではなく道楽気味だ。

 ではこの書庫の傾向は……と言うと。

「ざっと見ると良さそうですねぇ」

 沙也加の眼鏡にはかなっているようだ。

「元々個人蔵書だったのが開放されて図書室に……という流れだったのでしたか」

 最初の方はひと昔、ふた昔ほど前の通俗小説や、誰でも知っているような小説などが多かった。これらは僕たちの範囲では無いし、他の書店でもあまり重宝されないだろう。良くも悪くもメジャーな雰囲気が漂っているのである。判を変えて今でも出回っている……というものは初版だとかよほど状態が良いとかでなければ高値は付けられない。

「この辺りはあまり面白みが無いですが……この、奥まったあたりの蔵書。ここは面白いです。密教系、スピリチュアル系、精神世界……色々ですよ」

 『チベット死者の書』『ドンファンの教え』『タオ・コード』等々。そこには僕たちの領域の本が整然と並んでいる。一冊引き抜いてみると、埃こそ被っていたが状態は悪くなかった。シミなどもほとんどない。この地下室は湿気が少なく直射日光も無い。先ほどの推定不動明王の状態が良かったことを思い出す。ここは本を保存するのに適した環境なのかもしれない。

「……『金枝篇』か」

 引き抜いた一冊である。五巻揃いの文庫本だった。たまたま手に取ったものだったが……無性に懐かしい気分に襲われる。なぜなのだろうか。

「おや、どうかしました?」

「いや。仕事にとりかかろうか」

 査定しては紐で括り、査定しては括り……というのを繰り返していく。まずは本命以外の雑書から片づけていくことにした。このあたりのものは値段はかなり雑につけていったところがあるのだが、それでも括って搬出しやすくする作業はかなり時間と力が入るものだった。そうやって、古書店らしい作業に没頭していると。

「……何か音がしなかったか」

 そんな気がしたのである。

 ドンドンドン、という音。誰かが足を踏み鳴らしているような、そんな音が……時計を見る。11時を過ぎた頃だった。

「や、やめてよ~怖がらせようったってそうはいかないんだからっ」

「はい、分かった。ホラー映画で真っ先に死ぬ人」

「正解です。セキくんに100ポイント贈呈。やはり私たちは最高のコンビですね」

 なんで分かり悪いモノマネクイズになっているのだろう。

「しかし妙ですねぇ。お約束なら今のセリフを言った直後にもう一度、私にも聞こえるように何か物音が聞こえるはずなのですが」

 そりゃホラー映画じゃないから……と言おうとしたら、今度はよりはっきりと、踏み鳴らすような音が響き始める。

「これはもしや……!?」

 非常にうれしそうな様子を見せる。……が、期待はすぐに裏切られる結果となった。

「…こ…が例の……」

「そ……多分……あの動画だと……」

 不特定多数の男女が楽しそうに語っている様子が聞き取れたからである。

 これは。

「肝試し、ですね。昼間からとは、また酔狂な」

「酔狂さで言えば昼夜は関係ないと思うがね」

 どちらでも酔狂は酔狂だ。

 沙也加はおもむろに扉に近づくと、鍵を閉める。どう言うつもりなのだろう、と思ったが彼女なりに考えがあるらしい。

「セキくん、肝試しを舐めてますね。こういうところにくる連中が輩である可能性は十分にあります。ヤンキーか暴走族かは分かりませんが……下手に侵入されるよりは警戒して置いた方がいいでしょう」

 ということらしい。確かに一理ある。よほど酷いことが起きない限りはこちらから出ない方が得策か。

 そうこうしている内に肝試しに興じているらしい彼らの声が間近に迫ってくる。

「部屋多いね」と女性の声。

「昔の旅館だからなぁ。従業員用の仮眠室も兼ねてる、みたいなスペースなのかも」と、こちらは男性の声だ。

「折角だから写真撮っとかない?。並んで並んで」と言ったのは最初とは別の女性である。

 パシャリ、と。シャッターを切る音が響く。

 廃墟マニアなのか肝試しなのかは分からないが、満喫しているらしい。

「……奥に、何かいる」

 また別の女性が呟いた。呟きなのだが、よく通る。それまで浮ついていた空気が緊張していく。

「いる。いる、か。やっぱりそう感じるんだ」

「うん……本当にいくの?」

「もちろんだよ。そのために来たんだから。何かあったら頼むよ」

 男性と三人目の女性が話しているようだ。

 続いて靴音が響いた。どうやら赤い仏像のある部屋へと向かっているらしかった。

 先ほど話していた二人が先行していったようだが、他の二名は少し遅れて続いたらしい。

「……いる、とかさ。あんなの動画見てれば誰だった言えてたくない?気を引くにしてもちょっとわざとらしすぎ」

「まぁまぁ。一人抜けちゃったしさ。やっぱ盛り上げないと。コウキも楽しみにしてたし」

「でもさぁ……」

 瞬間、音が鳴った。バン、という大きな音である。どこから、と振り向くと、どうやら沙也加が本を落としてしまったらしい。いくらなんでも悪趣味では……と思ったが沙也加は「……違います違います。事故です」と小声で囁いた。少し慌てたような雰囲気である。純粋に間違えて落としたらしい。

「え、なに?今のは?」

「家鳴り?でも家鳴りにしては……」

「みんな、聞こえませんでしたか。女の人の声がする」

「え、嘘嘘。止めてよほんと」

「後でビデオを見てみようよ。それで確認するから。とにかくまずは奥の部屋を見て……」

 一団はすこし立ち止まった様子だったが、結局奥の方へと向かったようである。

「絵に描いたような肝試しですねぇ」

「ふむ……なんか複雑な人間関係が垣間見えた気がするが」

「これも定番です。声から読み取るに、ごく普通の男女が三人、そこに霊感少女が一人入って、というところでしょうか。遊び感覚の三人とガチ目な一人。バランスの取れた構成と言えましょう」

「なんのバランスだ」

「ホラー展開の、です。女性だけならあの霊感少女を閉じ込めてここから逃げようとするも、全員このホテルから出られない……という展開が期待できるのですが」

 何を期待しているのだこの女は。というか、それが実現してしまうと僕たちもこの廃ホテルを出られなくなることになる。

 ……沙也加的には望むところなのか、それは。

「あの男性がいるとそうはならないでしょう。気に掛けている様子がありますからね。となるとこれから何らかの怪異が現れて全員が大変な目に……というところが妥当でしょうか。ほら、良く聞いていてください。これから悲鳴が聞こえてくるはずですよ」

 彼女の話を真に受けた訳では無かったが、なんとなく、図書室の外に聞き耳を立てていた。

 あの一行の人間関係に興味をそそられた、ということはある。それもあったし……あの、遅れて奥の部屋に向かった二人の会話が妙に引っかかる。聞き覚えのある声と、聞いたこのあるような単語。いや名前だったような。そうであるなら、先行した男性は……

 考えがまとまらないうちに、状況が動き出したようだった。悲鳴こそ聞こえなかったが。外がにわかに騒がしい雰囲気になったのが感じられる。バタバタ、と向こう側から足音が響いていた。悲鳴は挙げていないし走って逃げている訳でもなさそうだったが、この場から撤収しようとしている様子である。

「……大丈夫か?」

「とりあえず部屋に戻ろう?ちょっとしたら落ち着くかもだし」

「ごめん……」

 そんな感じの会話がぽつぽつと聞こえてくるところからすると、どうやら一行の内のひとりが体調を崩したらしいことが想像できた。弱々しい声をしているのは……あの、霊感のありそうな女性だろうか。

 彼らはそのまま、来た道を引き返して去って行ったようである。

 さて、どういうことだろう……と沙也加に意見を求めてみた。

「いいですねぇ。趣があります」

 返ってきたのはこのような感想だった。

「霊感少女さんがやられた、というのはセキくんと同感です。何かを視た……あるいは感じたか。それによって体調を崩して急いで撤収しようとした、というのは間違い無いでしょう」

 ティピカルです、ネット怪談仕草です、と興奮している。先ほどからかなり楽しんでいる様子だ。

「これから彼女たちに祟りか呪いか何らかの怪異が降りかかり、地域の古老が現れて『お前たち、あそこに行ったのか!?』と肩を揺さぶられ、途中でメンバーが廃人になったり行方不明になったりした末、僧侶か除霊師などか呼ばれるというのが鉄板の展開ですね」

「そういう点で言えば、ここに退魔師がいるわけだが」

「そうですねぇ。私も台詞の練習などしておきましょうか。『また偉いモノを連れてきましたね』『私では手が終えません』」

「負ける前提なのか……」

 その後、「一応何かあるかも知れない」ということで再度あの赤い仏像のある部屋を見に行ったが、先ほどと変わるところは無かった。あの時、何を視ていたのか……ということは僕たちには分からなかった。

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