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 出発から2時間少し。

 たどり着いた先は瀟洒な雰囲気のある近代的なホテルだった。車を停めてエントランスに出向く。内装は落ち着いた臙脂色や茶色を中心にレトロモダンmな雰囲気を醸している。爽やかな木の香りが漂う。ひのき、だろうか。カウンターに立ち並ぶホテルマンたちの所作もキビキビとしていた。

 問い合わせようとカウンターに近寄ると、スリーピースのスーツを着た一橋昭人がすぐに出迎えてくれた。少し前にもうすぐ到着する、と連絡をしたのだが、そこから待っていてくれたらしい。当初は搬入口から入ろうかと思ったのだが「お客様ですから」と正面から入るようにも言ってくれていた。

「円藤様でいらっしゃいますね。ご足労いただきありがとうございます。私、当ホテルの支配人をしております一橋昭人でございます」

 堂が入った支配人らしい物腰に気後れしてしまう。当然のことなのだが高校時代の昭人とは違うし、依頼された時の様子とも違う。

「そちらの赤冶さんとは高校時代に仲良くしていただいておりました。その縁でご依頼させていただきました。どうかよろしくお願いします」

「ご丁寧に痛み入ります。烏乃書店の円藤沙也加です。赤冶さんとは公私ともにパートナーで」

 その情報はいるのだろうか。

「聞けば高校時代のご友人ですとか。私事ですが、お会いできてうれしいです」

「そうでございましたか。失礼しました。赤冶さんからは勤め先の店主の方としかお聞きしていなかったもので」

 今、ホテルマンの顔から何か貫通してきた。実際にしてはいない。してはいないが、心情的にウィンクをしていそうなしたり顔である。

「早速ですが、旧館ですか。例の書庫へ参りたいと思うのですが」

「いえ、来ていらっしゃったばかりです。お荷物もあるでしょう。お部屋のご案内と、それから一息吐けてからに致しましょう。お茶の準備を致しますので。コーヒーとお茶とどちらに致しますか?」

 そういって自ら部屋の案内までしてくれた。

 至れり尽くせり過ぎて少し怖い。彼とは確かに友人だったが、ここまでしてもらえるほどだったろうか……


 通された部屋は、これも和とモダンが合わさったダブルベッドの一室だった。大きなテレビとソファ、座敷風のスペースまである。窓から見える山合の景色は風光明媚でとても裏手に廃ホテルがあるとは思えない。

 荷物を置くと応接間へと通された。革張りのソファへ着席すると、コーヒーが饗される。落ち着いた雰囲気の一室でやわらかいソファに座っていると、なんだか別の世界に来たような気分になって現実感が無い。

 一方の沙也加はかなり落ち着いていた。  堂々としているように見える。忘れがちだが、彼女も良いところのお嬢様なのだった。

「改めまして、本日はどうぞよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 向かい合った昭人が頭を下げ、沙也加がそれに答えてお辞儀をする。もし座敷だったら三つ指ついていそうな二人の遣り取りに僕も黙っているのがこそばゆくなってきた。仕事で来た以上は挨拶のひとつもしなくてはなるまい。

「えっと……よろしくお願いします。ショウグン……様?」

「何です、セキくん。それじゃ北の人みたいじゃないですか……おっと失礼しました」

「いえいえ。あまりかしこまるのもこれくらいにしましょうか。せっちゃんもすみません。どうも、ここにいると支配人をやりたくなります」

 口調は変わらないが空気感は幾分か弛緩する。コーヒーを飲みながらこれからの段取りの話に移ることになった。

 日程は二泊三日。今日と明日とで大まかな査定を行い、三日目は予備日ということになっている。

「客室に関しては融通が利きます。時間が足りないとなればもう少しいて頂いてもかまいません。もちろん、烏乃書店様のご都合しだいですが……」

 現状、書店としても退魔師としても仕事は入っていない。もし日程をオーバーしてもある程度仕事は続行できることだろう。

「ありがとうございます。お話を聞いた限りでは予定通りで問題ないでしょうが……もしもの際はお願いするかもしれません」

 一応、間取りとか本棚の数などは事前に聞いているものの、何か計算間違いがあるかもしれない。沙也加はそれを念頭に入れているようだった。

 本日の昼食と夕食も一橋から出ることになっているようだった。明日以降も同様である。これも手間賃ということになるらしい。流石に辞退しようかと思ったが、向こうの好意に押し切られてしまった。こうなっては友人の誼を皿まで喰らうことにしよう。時間内に食堂に向かえばいただけるらしい。

 一通りの打ち合わせを終えて、コーヒーカップを乾したタイミングで旧館へ案内してもらうことになった。

 本館と旧館の通り道は現在、閉鎖されているが、元々は繋がっていたという。現在も使おうと思えば使えないことは無いらしい。つまりは完全に隣接している。1990年代頃まで増改築を繰り返していた名残だった。近年に入って比較的新しい新館を中心にリノベーションを行って今の形になったそうだ。

 しかし繋がっているとはいえホテル内で本を搬出搬入するわけには行かない。こちらの手間もかかるし何より一般客に迷惑がかかる。搬出用のバンに乗って旧館の正面出口に移動し、そこから搬出入を行う流れとなった。

 旧館の方は新館と打って変わって朽ちていた。

 もしホテルの骸というものがあれば、こういうもののことを言うのではないか。

 その中を、スーツを着こなし支配人然とした一橋昭人が歩くのはギャップがある。ギャップと言えば沙也加も大概なのだが、今はエプロンとモンペを着用しているのでまだ何か作業しようという空気感はあった。僕も作業を前提にした格好をしている。この場所に似つかわしくないのは、服装だけで言えば昭人なのだ。

 だが、しかし。一番しっくりくる態度なのも一橋昭人だった。通いなれた道を歩くように僕たちを先導する。

 エントランスを抜け、階段で地下へと降りる。持参していたライトで照らすと、広間が広がっていた。あちこちに小さな椅子やテーブルがあちこちに林立している。端っこには緑色の公衆電話が並ぶスペースもあった。

 ロビー……というのは出入口と繋がる広間だろうから厳密には違うのかも知れない。ただ、使い方としてはそれに近いものがあったと昭人は言った。

「往時はここで多くの人々が寛いでいらっしゃったと聞きます。元々は観光ホテルというより社員旅行などに用いられるホテルだったのですね。写真を見る限り、新聞を読んだりたばこを吹かしたり、お酒を飲んでるような人もいましたね。それこそ図書室の本をお読みになったりとか。ネットの無い時代の娯楽というのはもはや我々には想像もつきませんが」

「なるほど。歴史あり、だな」

「そのとおり」

 感想自体は共有していたが、その質はかなり異なるだろう。僕にとっては文化と歴史への興味だが、昭人にとっては自らのルーツを紐解く感覚なのかもしれない。

 広間を抜けると長い廊下が続く。

 その廊下に面した扉で立ち止まると、ポケットから鍵を取り出して開錠した。どうやらここが件の図書室らしかった。

 長らく使っていなかったのは事実なのだろう。確かに荒れていたし、清潔には程遠い。 しかし、廃墟の中にあっては整然とした雰囲気があった。昔ながらの古本屋の書棚のようだ。定期的に整理していた、というのは本当らしい。

「鍵はお預けします。一応、管理のため一日ごとに返却いただきたいのですが……」

「かしこまりました」

「恐れ入ります。では、くれぐれもよろしくお願いします」

 昭人は深く頭を下げ、それから一室を辞していった。残されたのは僕と銃後の女性みたいな雰囲気の沙也加だけとなった。

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