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烏乃書店には車は無い。ただ、沙也加の実家である円藤家にはバンがあり、どうしても買い取りが必要な時などはこれを貸りている。運転するのは沙也加だった。僕は免許を持っていないからだ。その分、現地で力仕事を頑張らなくてはなるまい。
「さぁて、楽しいドライブです!」
早朝、麻布にある円藤の実家に行くと、いつもの通りの着物姿でハンドルを握る沙也加の姿が見えた。普段よりシンプルなジーンズ柄を着ている。妙にウキウキしているように見えた。運転するのも久々のことだからだろう。
「サポートは任せました!」
「うむ、任された」
とは言ってもすることはカーナビの操作と話し相手、動画サイトの再生などだった。明らかに任されているのは沙也加の方である。
会話のペースはあまりいつもと変わらない。雑談と怪談とオカルトである。
「そういえば、なのですが」
沙也加がそう切り出したのは、高速道路に入ったころのことだった。通り過ぎる景色は集合住宅やさびれた工場などばかり。僕たちの日常が別の日常に切り替わっていくのを感じていた時のことだった。
「これから向かうホテルあるでしょう?何か無いか調べてみたのですよ」
「……埃が無いかとか何とかっていう?」
改めて聞いてみても失礼な物言いだったが、沙也加は気にすることも無く「ええ」と応える。
「出てきたか?埃」
「もうポロッポロです。最高ですね」
……実のところ、冗談で言ったつもりだったのだが。どうやら本当に何かがあったらしい。
「ある動画投稿者がそのホテルの旧館に突撃してたようです……ああ、実際の動画は残ってませんよ」
「……残ってない?」
「ええ。削除されたんです。不法侵入だ、という抗議があったようで。なので私も実際の動画は見ていません」
もしかしてショウグンが怒っていたのはそのせいだったのだろうか。
「元々、その配信者さんたちは各地の心霊スポットを巡っていたのですが……私も何度か、この方の他の動画を見たことがあります。趣はありましたよ。もちろん、基本的には何も無いんですけどね」
「物音が、とかオーブが、とかそういうのだろ」
「そうですね。起きてもそのくらいです」
実際に決定的な何かが写ってしまったら、投稿などしないだろう。
「そう、そこなのですよ」
「……そこ?」
「はい。決定的な何か、写ってはいけない何かが写っていたら……例えばテレビ番組ならお蔵入りです。放送禁止の世界ですね」
「まさか本当に何か写ってたのか?だから削除されたと?」
「さて。私は見てないので分からないですが……でも、削除されたことでそういう風に思ってる人が多くいる、というのは事実みたいですよ。元動画は残ってませんが、投稿者さんの名前と一橋ホテル旧館で検索してみてください」
彼女の指示通りに操作する。その投稿者とは別の人物が製作した動画が何件かヒットした。
【閲覧注意】削除された一橋ホテル旧館動画!一体何が写っていたのか!?【見ちゃいけない】
これなどはかなり扇情的なタイトルだ。開いてみると機械音声が事件の概要と動画の内容を読み上げる様子が再生されはじめた。
その内容をまとめると、概ね次のようなことであるらしい。
動画投稿を行っていたのはヤバゾンという人物である。活動し始めたのは3年前からで、定期的に廃墟探索の様子を撮影した動画を投稿していた。
「私はそこまで熱心には追ってませんでしたが……でも、それなりにファンもいたようです」
沙也加が口を挟む。知る人ぞ知る、というところだろうか。
ところが、である。昨年の冬を最後に動画投稿が途絶え、現在は投稿された動画すべてチャンネルごと削除されているらしい。
その理由とは何か?それが……
「赤い仏像、ですね」
沙也加の言葉を後追いするように動画の音声もその言葉を発した。
ヤバゾン氏は四階建ての廃墟を1階から順番に上へと上がっていき、最後に地下階の探索を行ったようだ。ただ、その地下階には不可解な部分がかなりあったのだという。
例えば氏がこれまで探索してきた部屋はほとんど鍵が開いていた。自由に出入りできたのだが……地下階にある一室は、いくら開けようとしても開かなかった。さながら開かずの間である。
それだけならまだしも、最も奇妙だったのは最奥にある一室なのだという。
一室、というよりそれはお堂という方が近い広さだったらしい。手持ちの照明で中を照らしていくと……そこにあったのが、赤い仏像だった。
全身が血に濡れたように赤く、表情はこの世すべてに憎しみを抱いているような禍々しいものだったという。室内にはびっしりと謎の図像が刻み込まれていた。
それを見た瞬間、ヤバゾン氏は苦しみ始めた。「見ちゃいけない……あれは見ちゃいけない……」と呟きながら、なんとかホテルから脱出した。その後、車内で休憩し、話せるようになったヤバゾン氏の様子を映して動画は終了したという。
そこから検証動画は次のような問いを立て始めた。
ヤバゾン氏は一瞥して仏像、と言っていたが……果たしてそれは仏像だったのか?慈悲深いはずの仏が血に濡れた姿で人々を憎むものだろうか?もしかするとそれは。何か別のものだったのではないか?
さらにそこから「新興宗教の神殿跡地を撮影したことが問題になった」という典拠不明の噂や「物部天獄とリョウメンスクナ」がどうのという都市伝説を紹介し始め、最後に「氏の無事を祈っているぜ」「高評価・チャンネル登録よろしくだぜ」と取って付けたようなコメントを流して終了した。
「……で、これがこれから向かうホテルだってことか」
「そういうことですねぇ。すごく楽しみです。時間があれば例の赤い仏像も見れるでしょうし。見ただけで呪われる、あるいは消されてしまう像……これを見たら私、一体どうなっちゃうんでしょうか?」
非常に興奮した様子だったが、そもそも不法侵入を咎められて削除された、と沙也加は言っていたのではなかったか。
「あるネットニュースに私有地への不法侵入で逮捕された自称動画投稿者の男性の記事が出たみたいなんです。これももう削除されてますが。丁度失踪時期と重なるので、これが件のヤバゾンさんなのでは、という説を唱えている向きもあります」
普通に考えればそちらの方が納得が行く。私有地に無許可で入って撮影し、あまつさえネットに流すなど逮捕されるに決まっている。動画とチャンネルが削除されるのもなんの不思議もない。
……無いのだが、それでは面白くない、と言うのが沙也加の立場だった。
「ただ、表向きの話ですからねぇ。裏ではどうなっているのか……そのショウグンさんですか?彼がもしかすると、謎の邪教信仰者……という可能性があるとでも言うのでしょうか。真相を確かめるべく、我々は神奈川の奥地へと向かったのでした」
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