12
降りた先には長い廊下が続いている。右側には窓が並んでいて、赤い夕日がこの空間を染めていた。左側には広い部屋が、やはり延々と並んでいる。入り口の上には部屋に区別をつけるために表札が飛び出ている。
……つまり。
「これ、学校っすね」
沙巫が言うとおりのようだった。一歩進むごとにカツン、と冷たい音が響き渡る。
「小学校……じゃないか。中学か高校かな」
縮尺の関係性でそう考えたが、そもそもここは夢だ。どこまでサイズ感が意味を持つかは疑問がある。
窓の外を眺めると、やはり朱色に染まった校庭が広がっている。
「……この光景に見覚えがあったりしない?」
沙巫は僕の問いに少し考えてから「無いっすね」と答えた。ここがどこなのかは、僕と沙巫の知っている情報からは導き出せないのだろう。この光景の源泉があるとすれば、きっと長田橋深だ。だがそれを知ることにはさほど意味は無い。
「……それで、どうするんすか。さっき変なこと言ってましたけど」
「ああ。それはね……」
ゆらり、と。廊下の向こう側に姿が見えた。ああ、やってきてくれたか。
身体を赤く染めた、ワンピースの女性。いや、二回目の夢と同じように白いワンピースなのだろう。それが夕日で染まっているように見えている。
「……ハッシー」
沙巫が呟いた。
女は昨日と同じようにこちらへと駆けだしてくる。昨日と違うのは表情だ。隣には沙巫がいる。きっと、彼女には僕が朋喜に見えているのだろう。彼女にとって、朋喜と沙巫が一緒にいる、というシチュエーションは許しがたい。
僕は、さらに挑発するために沙巫の手を取って駆けだした。
「え、ちょ、え?」
「廊下の行き止まりまで行って教室に入る!だから」
そのつもりで行動しろ、と指示をする。沙巫はかなり困惑した様子ではあったが、頭が回っていないのだろう、それ以上何も言わなかった。
目的地にしていた教室に駆け込む。
「ちょっと、どうするんすか?」
「出来ればいいなって思ってることがあって」
これが夢だ、ということが大きな意味を持っている。今、僕は明晰夢を見ていて……そして、想像することが出来るのだ。
例えば……『ここは、一切が闇に包まれている空間だ』。
白い女が室内に入り込んできた。夕日を逆光にしているので、表情までは分からない。だけど、もし見えたとしたら……彼女はきっと、戸惑った表情になっているに違いない。『スライドドアはひとりでに、からからと閉まっていく』。
ああ、よし。思った通りだ。きちんと僕が想像したとおりに、物事が動いている。これは明晰夢。僕が思った通りに夢をコントロールすることが出来る空間だ。
白い女は扉を開けようとする。でも『開かない。いくら開けようとしても、決して開かない。それどころか、すべてが闇に閉ざされていて何も見えない。先ほどまで夕日が染まっていたはずなのに。一切の光が届かなくなっている』。
「……え?」
呆けた白い女の声が響いた。いや……もう長田橋深と呼ぶべきか。彼女は怪異でも無ければ夢をコントロールする巫女でも無い。その役割は僕に移り変わった。
次に起こることは『彼女は落下していく』。瞬間、悲鳴が鳴り響いた。長田は何が起きているのか理解していないのだろう。それでいい。今するべきことは彼女に余裕を与えないことだ。決して、彼女に夢のコントロールを明け渡してはいけない。
そのまま『落下が続いていく。足場は無い。空間は闇に包まれていて何も見えない』。次に起こすことは……『白い影を落とす』『影はひとつ、ふたつと先に落ちていく』。数はそうだな……『4つくらい』で良いか。
「……これ、なんなんすか」
「いわゆるお化け屋敷かな。あ、そうだ。これじゃ見づらいな」
長田の様子が見やすいように『監視室に僕たちはいる』ことにしよう。そう思うと、僕と沙巫はいつのまにか数台のモニターが並ぶ狭い部屋に座っていた。
明晰夢は自分が夢を見ていることを理解できる。人によっては「こういう夢をみたい」と夢をコントロールできるとも言う。本物の沙也加が言うところのドン=レニ侯爵のように。
「そうやって、思った通りに夢を操作できないかと思ったんだけど……やっぱりできたね」
「はぁ……まぁ、良いんすけど。ハッシーになんでこんなことを?」
「うーん……なんというかなぁ」
沙巫が言うことが正しいなら、長田は夢によって死に誘うことができる。……彼女の標的が、沙巫だとしたら?動機はある。いじめていたわけではないが……無意識の害意が夢の中で発露していたとしたら?
「ショック療法っていうやつ。人を夢に巻き込むとこうなるぞってことをちょいと学習して貰おうかと思ってね」
……僕の推理は沙巫には話せない。沙巫は悪態こそついていたが、長田を友人と思っている節がある。必要以上に傷つけたくなかった。
「ええ……?」
「さて、そろそろ次の趣向を考えなきゃな」
先に影を落下させた。あれは見立てだ。長田の周囲であった不幸が何人かは知らないが……学生の同士のいじめ、ということになると4人くらいな気がする。だからそのくらいの数を落とした。彼女が落ちようとしている場所が、彼女たちと同じなのだと理解してもらおう。
『ぐちゃ、という厭な音が響く。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ』
長田の口から「ひっ」と声が漏れた。自分がたどり着く場所を想像してしまったらしい。……とは言え、別に彼女には落下して貰いたいわけではない。もう少しやってみたいこともある。
「じゃあ次は『目が覚めたら寝室のベッドの中』で」
ベッドの上で、息を呑んで目を覚ました。荒い呼吸を整えている。どうやらこれは夢だったらしい……と彼女は安堵しているようだ。
ようやく息が収まったタイミングで……僕は次の展開を想像する。
『布団の中がもぞもぞとし始める』
布団の中に何かがいる。オリジナルビデオに始まるホラーシリーズ『呪怨』の最低最悪の発明の一つだ。その演出をなぞらせて貰おう。その筋の人にとっては陳腐ではあるが、現実と見紛う夢ではトラウマ級の恐怖となるだろう。特に今の長田は夢から覚めたばかりの夢を見ている。彼女は、現実と思っている場所で最悪の恐怖を味わえるのだ。実に羨ましい」
「セキくん途中から声漏れてる!ちょっとキモいですよ!?酔ってるですか!?」
「そんなに酔っちゃいない。ちょっと寝酒にワインとチーズを」
ボトル一本……は開けていない。五分の一くらいは残っていたのでセーフだ。
「飲んでる!それは飲んでる!アウトです!」
傍らで騒ぐ沙巫を尻目に、次の展開を思い描いた。
本当なら彼女を虐め、彼女が死に誘った人物を配置したいのだが……流石にその顔が分からない。だから、ここは。
『彼女の耳元に声を囁かせる』『殺した、殺した、殺した……また殺しちゃえ』
そのささやき声の次は。
『イマジナリー沙也加が布団の中から現れる』
長田はもはや、悲鳴すら上げない。きぃきぃと、金属を擦りあわせたような声が溢れ出るだけである。イマジナリー沙也加は長田へと手を伸ばした。その手を避けるように顔を捩ってよけようとする。『それ以上は動けない』。彼女は幼児のようにイヤイヤとするだけで、それ以上逃げることは出来ないのだ。
「よし、サヤさん次の台詞だ。『死にたくない』『殺さないで』」
イマジナリーは僕の指示通りに行動した。沙也加ならこういう趣向は得意だ。僕の知っている沙也加の象徴である彼女なら絶対に出来る。彼女は僕の思ったとおり、苦しみに塗れながら、憐れさすら誘う声音で「殺さないで」を連呼した。
「そういやすーちゃん、沙也加とハッシーさんって面識ある?」
「え?いや、無いっすけど」
「じゃあ成立するな。シーン続行」
これならおそらく、長田は目の前の女性を沙巫と認識するはずだ。元々、沙巫と沙也加はよく似ている。顔の造作や声、喋り方は非常に近い。姉の存在を知らなければ違いを認識するのは困難だろう。
次のシーンは『長田があの廊下に並ぶ』。
長い廊下が続いていた。そこには人々の列が並んでいて、長田はその中のひとりだ。列の向こう側には観音扉がひとつ。青いランプが煌々と照っている。扉が開いて、人が入った。ランプが赤くなり、叫び声が響く。
長田の少し前には、イマジナリー沙也加がいる。
「やだぁ……死にたくない……助けて……助けてハッシー……」
力なく声を上げる。
長田は「ま、待って。そんな、こんなの……」と何か動揺した声を上げた。彼女は列から抜け出そうとした。逃げだそうというのではないようだった。前の列にいる、憐れな友人を助けだそうとしているようだ。少し、感心する。やはり彼女は人並に邪悪なだけのただの人間なのだ。
『長田は動けない』。
しかし残念ながら彼女の意思は尊重できない。やだぁ、やだぁ……と子供のように泣きじゃくる声が鳴り響くだけである。
「そんな、そんなつもりじゃ……」
「でも、殺そうとしたんだろ?」
最後の仕上げに、声を掛けた。全く知らないはずの男性に話しかけられたのだが、もはやそれどころでは無いのだろう。彼女は感情的に否定した。
「違う!ちょっと脅かしてやろうって思っただけで……」
「なら、君も一緒だ。君を虐めてたやつらと」
当てずっぽうの言葉だったが、痛いところを突いていたらしい。
長田は、顔をくしゃくしゃにしながら涙を流した。それは悔悟の涙のようにも見えたし、あるいは……自分の過ちを認めたくない卑怯さの表れにも見える。両方なのかもしれない。人間の感情は白黒つけられるものではない。
向こう側からはイマジナリー沙也加の声が響き続ける。扉がぎぃ、と。開く音がした。
……そろそろ、終わらせよう。これ以上僕の本位ではない。
だから『これで夢は終わり』。
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