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———蛇に睨まれた蛙、エサを取られたモルモット、フリーWi-Fiで見る動画サイト。例えるならそんなところでしょうか。
かつて、沙也加が沙巫を評して言ったことである。何かのきっかけで聞いたことがあるのだ。恐怖に耐性の無い霊能力者・円藤沙巫が怪異をまともに認識してしまったらどうなるのか、と。その答えがこの分かるのか分からないのか、何とも評しづらい例えの数々だった。
———とにかく動かなくはなりますね。呼吸が乱れて瞳孔も開きます。心拍も早くなってるんじゃないでしょうか。流石に測ったことまではありませんが。
———過去にそういうことがあったのですよ。すーちゃんの帰りが妙に遅い時とか……あの子、用心深いのであまり遅い時間まで外に出歩きませんからね。そういう時は家族総出で探しに行って……そうすると、道端で立ち尽くしているすーちゃんの姿を発見するわけです。私には何も視えないんですが、そういう時は“そこに何かがいる”ということになる訳でして。
楽しかったなぁ、と沙也加はうっとりとした表情でそう結んだ。こう聞くと酷い姉のようである。一面では確かにそうなのだろう。しかし彼女は沙巫を助けた上でそう言ってもいるし、もしかすると家族にしか分からない関係性の機微があるのでは……とその時はあまり立ち入ったコメントはしなかった。
沙也加の姉としての素質は置いておこう。
このエピソードから読み取れるのは、沙巫は怪異を視ると動けなくなる、ということである。沙也加以外に彼女を知る関係者に話を聞いても同じような答えをされたので、これはきっと間違いない。
だが、昨日見た二回目の夢においての彼女はどうだろう。
追いかけてくる女にたいして冷静に……伝え聞く彼女のこれまでを思えば驚くほど冷静に対処していた。
夢の中だから。あるいは沙也加の語る沙巫は過去の姿であり、姉の預かり知れぬところで恐怖心を克服していた……という可能性も無くは無い。
だが、いずれも僕には違和感があった。
昨日と同じ店。沙巫がスパゲッティとクレープを平らげるのを眺めたのと同じ席で、同じように僕と沙巫は対面して座っていた。時刻は朝10時を回った頃。話がしたい、と彼女を呼び出したのだった。沙巫は取らなければならない講義がほとんどなく、問題なく来れるのは分かっている。僕の方は沙也加に「ちょっと遅れる」とだけ伝えれば特に怪しまれることも無い。
「あはは……呼び出されてホイホイ来ちゃいましたけど、どうしたんすか?」
彼女はあくまで惚けた様子だった。それならばそれでいい。おそらく、核心を突けばすべて応えてくれるはず。僕は早速本題を切り出した。
「その友達……ハッシーさん、だっけ?その人のことを知りたいんだが」
「そう、ですよね。言わないとダメですよね……」
沙巫は見るからに気が重そうだった。だが、ここで引き下がるわけにも行かない。夢がいつまで続くかは分からないし、夢の中で並んでいる謎の列のこともある。まるでネット怪談の『猿夢』のような、カウントダウンでもされているような不快な夢だ。回を追うごとに列が縮んでいるのである。夢の中では現実世界の時間の間も列は進んでいる、というようなことを警備員風の影は言っていた。あの夢が何なのかは分からないが……沙巫も視ている以上、ただの夢では無いのだろう。可能なら一刻も早く解決したい。そのためにも、沙巫が知っている情報はすべて教えてもらわなければ困る。
「分かりました。お話します」
ハッシーこと長田橋深とは大学になってからの友人だという。同学部の同学年で、ガイダンスで隣り合ったことをきっかけに仲良くなったらしい。
一緒にサークルを見て回ったり、時間割についての情報共有をしたりしていたという。大学生活が軌道に乗ると、お互いの家に泊まったり、一緒に旅行にいったりしていたらしい。
「仲のいい友達だったんすよ」
だった、と沙巫は過去形を使った。
在るタイミング……正確に言えば去年頃から関係性が変わってきてしまったのだという。原因は異性関係だった。
「合コンで出会った人が……その、まぁ?ちょっと良いなって感じだったんです」
「ハッシーさんも、君も、ということだね」
「そうっすね……」
ふと、頭に連想が過った。あの夢の中である名前を聞いた……いや、僕がそう呼ばれたのだった。聞いたことの無い、これまで縁もゆかりもない名前だったが……
「トモヨシ」
僕がそう呟くと、沙巫はまるで物の怪でも見るような目をした。
「なんです?セキくんさんもついに視えるようになっちゃいました?」
まぁ、夢の中で普通なら知り得ない情報を得る、というのは一般的には異能になるのだろう。そう思うと満更でも無い。……と、それは兎も角。
沙巫の反応を見るに、どうやら合コンで出会ったという男性の名前はトモヨシで合っているらしい。
「フルネームは朋喜幸来って言います。学校は違いますけど、私たちと同い年でした」
「……名前じゃなかったんだ」
「え?ああ。ちょっと珍しい名字っすよね」
トモヨシもコウキも名前のように聞こえる。
逆に干乃も赤冶も名字の様に思われがちな身として少し親近感を覚えた。
と、これは余計なことか。
沙巫は最初、朋喜に対して好感を抱いていたという。
「まぁ、最初は?私も良いなって少し思ってたんです。だけど……」
「だけど?」
「なんていうのかな。……見境が無いというか」
「まさか二股でもしてた?」
「うーん……当たらずも遠からずっすね。アイツは、その……なら誰でも良いというか」
「え?」
良く聞こえなかったので聞き返す。沙巫は少し躊躇する素振りを見せたが、意を決して言い切った。
「そういうチカラがあれば誰でも良かったんです。私のチカラ目当てだったんすよ」
……端から聞いている分には別の話のように聞こえそうだ。
沙巫が語るところによると、どうやら朋嘉幸来は霊能力者、あるいは怪異に関わったことのある、というような人物を自分の周囲に集めていたらしい。それも女性ばかり、とのことだった。
「なんかもう……二重に無いなって」
そういう、怪異的なものに関わろうとするメンタリティのみならず、周囲に女性ばかりを侍らせている、というのが沙巫には「キモい」と感じられたらしい。
幸いと言うべきか、何というか。当初、朋嘉の標的は長田橋深だった。長田はかつて、夢に纏わる奇妙な状況に見舞われたことがあった。その話を朋嘉が聞きつけ、知り合いに頼んで合コンをセッティングした……という流れだったようだ。
その標的とされた長田にしても満更でもない様子だった。彼女は朋喜に対して強い信頼と親愛を向けるようになった。周囲に女性の影が多い、ということも長田にとっては魅力的な男性を奪い合うゲームのように思っていたのでは、と沙巫は推測している。
「お幸せにーって感じですよね。ブタにフタっすよ」
割れ蓋に綴じ蓋、と言いたいのだろう。
その時点では沙巫の素性……円藤が退魔の家柄であるとか、彼女自身に霊能力があるとか、そういうことは知られていなかったのだ。これ以上問題が起こらない内に関係を断とうとした。
しかし。
「多分、取り巻きの中にホンモノがいたんだと思います」
あるタイミングから朋喜は沙巫に急激なアプローチを掛けてきた。
沙巫が自分で言いふらすようなことは無い。やはり朋喜の周囲にいる人物が何らかの方法で知り、沙巫が強力な霊能力を持っていることを知らせたのだろう。
面白くないのは長田である。どうやら彼女は、沙巫が自分から朋喜にアピールし始めた、と思ったようだった。
「そんなわけないじゃないですか。言ってねぇし、ああいう手合いに絶対言わねぇし。あっちが勝手に聞きつけてきただけでいい迷惑なんすよ」
長田には何度も「自分にはそういう気持ちは無い」と伝えたらしい。だが、聞き入れてもらえなかったようだ。
「……正直、最初の方にちょっとでも良いなって思ったのは本当なんすよね。それで、それをハッシーに言っちゃってるんすよ」
沙巫の急な改心は事情が分かっている人間には自明だが、知らない人間にとっては納得しかねるものがあるのだろう。そうなると興味のない振りをしてコソコソ近づく狡猾な女、という方が理解しやすい。
こうなってはどうしようもなかった。沙巫は朋喜のみならず、長田との友人関係も破綻したものとして諦めてフェードアウトしたらしい。
「……それだけなら良かったんすけどね。まさかこんなことになるとは」
こんなこと、というのは一昨日から続く夢についての事件のことを指しているようだった。
ここまで聞いても、夢と長田の関係は見えてこない。
思えば色々な謎が横たわっている。
例えば沙巫は早い段階から……確か、最初の夢の翌日には夢の主を特定していた様子だった。一方で最初の夢の時点では、彼女はこう言っていたはずだ。「多分誰かの夢っすね」と。つまり初日のあの段階ではこの夢が長田のものとは考えていなかったのではないだろうか。それが、翌日の昼頃には誰の夢かい確信を持っている様子だった。彼女は一体、どのタイミングで気が付いたのだろう?
あるいは、夢の中での沙巫の様子の可笑しさがある。
沙巫は怪異……追いかけてくる白い女と遭遇しても怯えなかった。周囲から伝え聞く人物像や、当人の徹底的に怪異を排除した話し振りなどを考えると明らかに変である。なぜ、彼女はあの女に対して毅然とした態度で臨んだのか?
分からないことは多い。確かなことを沙巫は言いたがらない。
だが、これまで小出しにされた情報と登場人物をつなげていくとある仮説にたどり着ける。それは……
「あの追いかけてくる女。彼女が長田橋深さんなんだろう?」
「……はい。そうです」
沙巫はあっさりと認めた。
円藤沙巫は怪異を恐れている。出会うとパニックを起こす。だが、夢の中で沙巫はそうならなかった。ならば、そもそもの前提が間違っていると考えるほかない。あの白い女は沙巫にとって怪異ではない、ということである。置かれている状況は奇妙だったが、現れた存在自体に怪は無かった。少なくとも沙巫にとってはそうだったのだろう。寝惚けている友達に対処しているような気持ちだったのではないだろうか。
「……昨日のあの後、ハッシーには話に行きました。でも、ダメでした。前と同じように全然聞き入れて貰えなかった。前より酷くなってたかも。なんというか、その……」
沙巫はとても言いにくそうである。なにか、聞くに堪えないことを言われたのかもしれない。
「……言いたくない?」
「いや、別に……私が朋喜のことを狙ってるって今でも思ってるみたいでした」
仲の良かった友人との関係が拗れきったことへのショックか、それとも思っても無いことを決めつけられたことへの憤りか、あるいはその両方か。沙巫は疲れ切った様子で頭を抱えている。
ともかく、これで登場人物は出そろった。その関係も把握できた。これならきっと対処できる。相手は人間だ。由来不明の怪異ではない。対処する方法はきっとある。
ともかく、その場は解散することになった。
いつまでも沙也加の書店に行かないと怪しまれるかも知れない。……いや、むしろ彼女に色々相談してみるのも良いかも知れない。
ビルの出入口まで彼女を見送ろうとして……ふと、と思い出した。
「……そういえば、答えられたらで良いんだけど」
「なんですか」
ひとつ気になったことがあったが、確認していなかった。
「その、朋喜くんがハッシーさんに興味を持ったきっかけって何だったか聞いてない?」
一応聞いてみたが、沙巫は答えないのではないかと思った。どうしても沙巫が嫌悪する方向の話にならざるを得ないからだ。
やはり彼女は躊躇はしていたが、やがて言葉を絞り出すように語り始めた。
「……高校生の頃、ハッシーの周りで……不幸が重なったらしいんすよね」
「それは———」
「ハッシー、なんか軽いいじめにあってたみたいなんすよ。いや、いじめに軽いとか重いとかは無いでしょうけど……その、いじめてた人たちが」
不幸に見舞われた、と。そういうことなのだろうか。
「ま、そっすね。なんか思い悩んでたのか、よく夢に出てきてたらしいっす。虐めてきた相手を列に並ばせる夢だとかなんとか……それで、いじめてた方も似たような夢を見てたらしくって。それが……ごめんなさい。それ以上はちょっと……」
知らないのか。それとも語りたくないのか。
礼を言い、去っていく沙巫を見送る。最後に見えた彼女の表情は何か責任を感じている様子だった。
……思ったよりもヤバい話なのでは無いだろうか。
彼女が去ってから、ようやく事態の重さに思い至る。相手は確かに人間だ。だが、舞台となる夢は確かに怪異である。沙巫は滅多なことは言わないし、言いたがらない。列に並ばされる人間。重なった不幸。長田橋深をいじめていた人物たち。彼女の言葉から予想される展開はつまり……
「あの列を並びきったら、死ぬ」
それ以外ありえない。さて、どうするべきか。
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