7
ようやく一息吐く。ふぅ、と沙巫はへたり込んだ。気丈に見えたが気を張っていたのかも知れない。僕も彼女にならって座り込んだ
「その、ありがとう。助かった」
「いえ……何というか、私も昨日で解決できるかも、なんて思ってたくらいなんですが、甘かったっすね……」
すみません、と謝られた。だとしても、この夢は沙巫のせいではない。それよりも……
「その、夢の主との交渉は決裂だったのかな」
こうなってはその友人……ハッシー氏とやらのことを聞かなくてはなるまい。
「そうなります。なんていうのかな……聞く耳持たずっていうか」
「真面目に聞いて貰えなかったってこと?」
まぁ、どんなに親しくても夢がどうの、と言われて真面目に取るのは難しいだろう。相手にスピリチュアルとかオカルト的なものへの理解や傾倒があるのならともかく。
「……逆っすね」
「逆?」
「真面目に取られ過ぎちゃったというか……相手から誤解があるというか」
どういうことなのか、理解が追いつかない。僕の思っている以上に入り組んだ事情があるのだろうか。
いずれにしても、詳しい情報が知りたかった。僕は彼女にそのことを尋ねようとして……
機械音が残響した。先ほど沙巫が天井から伸びる紐を引いた時と同じ音……倉庫の扉が開く音だ。
お互いに緊張が走った。何かが、この倉庫にやってきている。あの影たちと同じものか、それとも。
僕は物音を立てないよう気をつけながら積み上げられたダンボール箱越しに扉の方を見た。
それは先ほどまで通りを歩いていたような影では無かった。白いワンピースを着た女性の姿が、そこに立っている。
その服装も出で立ちも、この無骨で無機質な倉庫の中にあっては異物でしかない。その姿に、言い様のない気持ち悪さを覚える。
女は倉庫の中を歩いた。靴の音が鳴り響く。それはこちらに来るまでのカウントダウンのように思えた。
「……白いワンピースの女が」
いる、というところまでは声にならない。だが沙巫は僕が見た物を語っているのだと理解したようだった。
「髪は黒くて長いっすか」
「そう、だね。何なんだ、あれ……」
誰にとも無く呟く。
理解できない。訳が分からない。不気味だ。……怖い。怖いからこそ、目が離せない。僕はもう一度、身を隠しながら女が歩く方を見る。
女は相変わらずゆっくりと歩いていた。彼女の視線は定まっていない。何かを探すかのように、あちらこちらへ泳いでいるようだった。
しかし。
「あ」
自分の声が漏れた。目が、合った。
女の目はよく見ると腫れぼったく充血している。その視線に魅入られるように身体が竦む。やばい、気づかれた。
女はしばしきょとんとして、それからニィ、と嗤った。
カッカッカッカ……
先ほどまでゆっくりと響いていた足音が速くなる。女は嗤いながらこちらへと駆けだしてきていた。
逃げ場所は無い。出口は女が来る方向にしかない。
動悸が激しくなる。自分の身に危険が迫っている、ということもあるが、それ以上に沙巫のことが気にかかった。逃げようにも、彼女が逃げられるかどうか。
円藤沙巫は類まれな霊能力者だが、それゆえに怪異を強く嫌悪している。普段は努めて無視して関わらないように心がけているそうだが、怪異をまともに認識してしまったり、逆に怪異から認識されるようなシチュエーションにおいて、彼女は大きなショックを受けて動けなくなってしまう。丁度、前回の夢において何かを目撃した時のように。
今、まさにそうした存在が迫ってきている。沙巫が真っ当に動けるとは思えなかった。まさか僕一人で逃げだすわけにも行かない。そんなことは、したくない。
いざとなったら僕が囮にでもなって沙巫から遠ざけなければ。
思い切って、白い女の前へと躍り出た。心臓はバクバクとなり響いているし、何か勝機があるわけでも無い。僕は退魔師の助手ではあるが、ここには例の呪剣は無い。いつも隣にいる沙也加もここには来れない。だけど、何もしないわけには行かなかった。
躍り出た僕の姿を見て、女は身を捩らせながらさらに嗤う。
次の出方を見極めて、いざとなったら扉の向こうへと逃げ出すことは出来ないかと隙を窺っていると……不意に、女の表情が変わった。歓喜の表情から、憤怒の相に。深い憎悪を込めた視線をこちらに向けてくる。その突然の変化に、つい後退ってしまう。
……いいや。違う。僕じゃない。女は、僕を見ていなかった。見ているのは、僕の背後。女はそこに向けて憎悪の視線を向けている。
「すーちゃん!」
振り返って声を掛ける。そこにあるのはパニックで身を竦める彼女の姿……では無かった。
きちんと、両の足で立ち、毅然とした様子で憎悪の視線を受け止めている。
怪異を視て、視られた時に起こるというパニックが起きていない。彼女は至って冷静に、むしろ覚悟を決めたような様子すらあった。
「……セキくんさん。多分追いかけてくるなら私の方です。アレ、私のこと恨んでますから」
「え?」
沙巫の発言の真意を確かめたかったが、その暇は無かった。
「ひぐぁぁぁぁっぁあああぁぁぁあああっか!」
尋常ではない奇声。その源はあの女の口からだ。動物的な、腹の底から湧き出るような。女は声にならない声を叫びながら、強い感情に悶えている。
「走ります!あいつは今、感情の整理が追い付いてないんです!走れば倉庫の外に出れます!」
そういうや、勢い良く駆け出して行った。
正直、色々と理解が追い付いていない。が、沙巫が女の傍らを通り抜けていくのを見て、僕もその後に続いた。なるべく女の顔を見ないようにして通り過ぎていく。
傍らを通る時、急に意識を取り戻して腕を掴まれたりはしないか……という一抹の恐怖があったが、幸いなことにそういうことは起こらなかった。
沙巫に追いついて倉庫の外に出る。
「二手に分かれましょう。私はこっちに行きます!さっきも言ったけど、追いかけてくるなら私の方です!」
そういって左の方へと走っていく。
「大丈夫なんだな!?なんか対策とか……」
怪異を視るとパニックに陥る体質のこととか、彼女自身の覚悟のこととか、そういったことを含意した問いかけだった。
「はい!今回は大丈夫です!」
沙巫は振り返らずに返事をした。ならば、彼女を信じることにしよう。
僕は沙巫が行った逆側へと駆け出していくことにした。
どこに逃げるべきか、何か当てがあるわけでは無かった。とにかく走って、あの女から逃れなければならない。先ほどとは違う倉庫室の中に隠れるか、それともエレベーターで他の階へと逃れるか。エレベーターはそこはかとなく不穏な気がした。相手の存在が怪異である以上、降りた先で相手が待ち構えている、なんて展開も在り得る。倉庫室は考えては見たがすぐに却下した。先ほどのように相手が入り込んできてしまった場合、逃げ場所が無い。
となると……
「階段で下に行くしか、ない!」
最初に沙巫に伴われて他の下層階に逃げた、あの階段。あれを通じて下へと逃れる。そうして逃れて……どうなるのかは分からない。建物である以上、外もあるはずだ。とにかくここから脱出しよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます