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 朝、烏乃書店にたどり着くとやはり沙也加は先に来ていた。いつもどおり和装で、今日は黄色地に格子模様が可愛らしい一着である。彼女は座敷に正座して本を読んでいた。足が痺れないのか心配になる。傍らにはいつも通りコーヒーカップが湯気を立てていた。

「おはよう、何読んでんのさ」

「おはようございます」

 彼女はページから目を離さず、表紙を僕に見やすいよう掲げた。

 表紙には『夢占い大事典』というタイトルが印字されている。事典、という名に偽りは無いようで頁はかなり分厚い。

机に目をやると他にも本が何冊か積み重なっていた。『夢の辞典』『夢と眠りの博物誌』『睡眠の科学』『夢を見るとき脳は』『夢判断』『見たい夢をみる方法』『狂骨の夢』……夢占いから神経脳科学、心理学から小説まで、ジャンルは横断しているがとにかく夢とつく本が机を占拠している。

「まさか“こいしさま”の件、まだ諦めてないとか?」

 以前関わった事件で夢に纏わる呪いに関わったことがある。特定の手順を踏んだ小石を白い紙に包み、それをバレないように特定の相手の近くに置く。するとその相手を夢の中で見ることが出来るようになる……というものである。

 彼女はその触媒となる小石を手に入れ、何か怪奇現象でも起きないかと楽しみにしていたようなのだが、そうしたことは一向に起こら無かった。

 一時はその石に対して執心を見せていたが最近はなりをひそめていたこともあって、すっかり諦めたものかと思っていたのである。

「諦めるわけないでしょう。まさかもまだもありません。様子見にシフトしただけです」

 僕の言葉に「セキくんごときに見くびられたものです。心外です」と拗ねた様子で言い放つ。別に見くびっていないし、というかごときとはなんだ、ごときとは。

「とはいえ、この間の事件からの連想ではあります。よくよく考えてみますと夢というのは身近にありながら極めて神秘的、かつ知的好奇心を刺激するものです。なのにこれまでそこに目を向けてきませんでした。私としたことが片手落ちです」

 円藤沙也加には怪異が視えない。彼女の周囲では怪奇現象も起こらない。彼女が関わるとそうした存在たちは一気に大人しくなる。彼女はその体質を利用して魔を退ける仕事をしている。しかし、それ以上に彼女は怪なるもの、奇なるものを愛し、追い求めてもいた。

 僕が知っている(というか巻き込まれた)ものだけでもこっくりさん、心霊スポットへの肝試し、夜通しの百物語、ひとりかくれんぼ……とまぁ、一通りのことはやってきている。すべて仕事の関係ないプライベートでの活動である。結果は芳しくなかった。その情熱が今度は夢へと向かっている、ということらしい。

「夢というのは脳神経学的に言うとレム睡眠時に見るもの、というのはご存じかと思います」

「なんだっけ。記憶の定着に効果があるんだっけか」

「……と、思うじゃないですか。しかしこちらを読むと、違う考え方もあるそうで」

 そういって掲げたのは先ほどの中の一冊、『睡眠の科学』という新書である。受け取って奥付を見てみたら僕が鉛筆で書き加えた“400”という数字が見えた。店の売り物だったらしい。

「睡眠時にはノンレム睡眠とレム睡眠が交互にやってくるといいます。深い眠りと夢を見る浅い眠りですね。この際、記憶の定着に寄与しているのはどうやらノンレム睡眠時らしいのです。つまり夢を見ない方の眠りです。ではレム睡眠……つまり夢を見る時、脳は何をしているのか?こちらの新書では夢自体に大きな意味は無い、としています。しかし」

 そういってまた別の一冊を手に掲げる。

「こちらの『夢を見るとき脳は』ではまた違った見解をされています。色々と専門的な議論をされていますが……私なりの理解をかいつまんでお伝えするなら、夢というのは忘れるために見るもの、という説を唱えているのです」

「へぇ?」

 かなり意外な結論に声が漏れる。人物、事件など過去の「こんなことを覚えていたのか」というような懐かしい記憶が飛び出ることが夢には多くある。それを考えると、忘れるという行為と夢にどのようなつながりがあるのか興味がある。

「嫌な夢というのがありますよね。悪夢だけではありません。これからプレゼンがあるのに準備が全くできていない、とかそういうタイプの夢です」

「まぁ、確かによく見るけど」

 あと一回休んだら単位を落とす、という講義を受けに歩いていたら沙也加に話しかけられ、気づいたら二人して神保町でビールを飲んでいた……という夢はいまだに何度か見る。学生時代に近いシチュエーションが実際にあったのだ。ちょっとしたトラウマである。

「こういう夢を見る時、焦燥の情動が刺激されています。ところで、夢では直接的に関わりが無かったり、辻褄が合わない要素やシチュエーションを組み合わせることが多くあります。よく言われる夢の支離滅裂さですね。」

 僕の夢の場合で言うと……“いつの間にか神保町でビールを飲んでいた”という部分に当たるのだろうか。実際に起きたことは学内で話し込んでいたら講義をすっぽかした、である。流石に神保町まで行って、あまつさえ酒を飲もうなどと言われたら流石に途中で引き返すはずだ。

「これが起こる理由がまさに忘れるためらしいのです。嫌な情動と、それとはまったく関係のないシチュエーションを組み合わせる。これによってトラウマを解消する、ということです。プレゼンより分かりやすい例えをするなら……例えばセキくんが過去に牡蠣に当たったとしますね?この体験のままでは牡蠣に対して拒否感を抱いてしまいます。見るだけで嘔吐です。憐れセキくんは二度と牡蠣を食べられないのです。可哀想ですねぇ」

 ちなみに僕は当たったことなど無い。彼女の憐憫はまったく謂れがないものだった。

「しかし夢においてはその時の苦しかった情動を別の出来事……同じ腹痛や怠さでもマラソンによって痛みを感じている、というようなシチュエーションと組み合わせるわけです。これで『牡蠣を食べて気持ち悪くなった』という体験から牡蠣が切り離されて、脳に残るのは過去に『気持ち悪くなった』ことだけになるそうなのですね。良かったですね、これからも牡蠣が食べられますよ。私に感謝してくれてかまいませんよ?」

 繰り返して言うが僕は牡蠣に当たったことは無い。よしんばこの一連のメカニズムが実際に働いていたとして、彼女に感謝する筋合いは一切ない。まるで夢のごとき支離滅裂さである。それを意図しているのならかなりのハイコンテクストさだ。

「この本では戦争によってPTSDを患った方の例も出しています。この方はPTSDとは別に、戦場での経験をきっかけに眠りが極端に浅くなっていたそうでして。まぁ、いつ襲撃が起こるか、というような状況だとぐっすり眠るわけにも行きませんからね。そういうこともあってレム睡眠が十分に取れない体質になっていたようなのですね。そこから著者は『戦場でのトラウマが解消されないのは夢を見て忘れることが出来なくなったからでは』という仮説を建てていました。大変興味深いことです」

 沙也加はコーヒーカップを口につけ一息吐くと、その余韻も残らぬうちに「しかし」と話を続けた。

「これではつまらないです」

 ばっさり、つまらないと切り捨てる。

 これまで結構楽しそうに語っていたように見えたのだが。

「それはそれ、これはこれ、です。夢というのはもっとこう……未来を暗示、あるいは予知したり、あるいは過去の体験を解釈するようなものであったり無意識に込められた性的倒錯の表れであったり、神や仏などの上位存在から啓示を与えられるものだったり……はたまた、怪異との邂逅の場であったり。そういうものである方が私は好きですね。そういうわけで、そこらへんの落としどころを掴むためにも今日は夢三昧で行こうかと」

 そういうことらしかった。そのまま彼女は再び読書へと戻って行く。

 三昧というのは元々インド語のサマーディ……瞑想などで集中した状態を表す言葉を音訳したものだという。夢三昧、と彼女が言う通り、確かに深く集中している様子が見えた。

依頼と聞き紛う怪談話も始まる様子は無い。どうやら査定や注文などの仕事も入っていないようだった。

僕も今朝のことがあってちょっと気怠かったし、そういえば読みたい本が何冊かあったことを思い出した。たまには静かに過ごすことにしよう。

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