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 円藤沙巫えんどうすなふは沙也加の妹である。

沙也加は妹のことをすーちゃん、と呼ぶ。僕も姉に倣ってそう呼ばせてもらっていた。

 ふたりは姉妹だけあって顔立ちや口調、ふとした仕草が良く似ているのだが、一方で性向は正反対でもある。

服装や髪型などの趣味は沙也加に比べて一般的なものだ。「和服とか面倒なの絶対ムリ。気が知れない」という。

 お喋りなのは姉妹で同じだが、沙也加みたいな屁理屈を語ることはあまりなく、素直で明るい性格をしている。もっともこれは僕が他人だから余所行きの態度を取られている、というところもあるかも知れない。

 だが、何より違うのは……そう、怪異に関することなのだった。

 円藤沙巫は霊能力者である。霊や人間のオーラ、過去や未来と言った本来なら見えざるものたちを視る、類い稀な才能を持っているという。ではその才能を遺憾なく発揮しているのか……というとそんなこと全くない。彼女はそうした物事から出来るだけ遠ざかろうとしていた。関わることはおろか例え創作だとしても、見ることも聞くことも語ることもしようとはしない。

 怪異、怪談、ホラー作品、オカルト……人の想像力が生み出す奇なるもの、怪なるものすべてを嫌悪している。

 その理由を彼女の口から直接聞いたことは無かったが、おおむね想像は付く。

昏夜に鬼を語る事なかれ。鬼を語れば怪至る———

鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』の青行灯の頁にある文句として有名だが、先行する中国小説の翻訳集である『伽婢子』にもこの一文が存在するという。さらに遡れば柳宗元なる唐代の詩人が編纂した怪異譚集『龍城録』に行き当たるようなのだが……とそれは兎も角、亀に毛として。

 つまり彼女は語るだけで怪に至ってしまう。そういう星の元に生まれついている。彼女はそれを、決して良しとしない。何から何まで、沙也加と真逆の人間なのだった。


「ここはどこなんだ?」

 まず場所を知ろうと思った。それから時間も。そう思ってポケットを弄ったが、スマートフォンは見当たらない。探しても探しても見つからない……という状況が今日だけで何回も続いている。その状況に可笑しみを感じている自分がいた。沙巫が現れてから心に少し余裕ができた気がする。

「知らないっすよ。……あいや、どこかは分からないですケド、何かは何となく分かります」

「……何かって?」

「夢です」

「じゃあ何かな。これは明晰夢ってヤツか」

 しかし夢に沙也加の妹が出てきた……というのはどういうことなのだろうか。沙也加に語ろうものなら面倒なことに見舞われそうである。

———まさかすーちゃんにあの『こいしさま』の呪術を使ったんじゃないでしょうね?脳が破壊されそうなんですけど。

とかなんとか。あらぬことを疑われる未来が容易に想像できる。

 投げやりで冗談めかした僕の言葉に、沙巫は呆れたように僕を見た。

「……まだ寝惚けてるんすか?ああ、もう……心底嫌なんですけど、話しますよ?こういう話するの本当レアなんで。よく聞いてください。いいですか、これは夢です。とはいっても多分セキくんさんの夢じゃないですし、私の夢でも無いと思います。多分、誰かの夢……それも悪夢っすね。それに巻き込まれてるんです」

 悪夢に巻き込まれている……か。

 言われてみればこれまでの出来事すべて、どこか支離滅裂なものがあった。

「本当ならどこかに隠れて、何もしないで目が覚めるのを待つんすけど。セキくんさんが見えちゃったんで……放っておくことも出来ないし。態々助けたんですよ。感謝してください」

「じゃあ改めて。ありがとう、すーちゃん」

「感謝ポイントが足りません。今度なんか奢ってください社会人」

 社会人と言っても道楽古書店と退魔師の助手の兼業である。おおよそ社会の本道から足を踏み外していると言わざるを得ない。

「……冗談抜きで言います。ここ、本当ヤバいです。イヤすぎです。なんかしようとか考えないで、出来るならここでやり過ごして……」

 そこまで言って沙巫は押し黙ってしまった。

 やり過ごして、なんだろう?

 その次の言葉を待っているのだが、一向に言葉が出てこない。不思議に思って彼女の顔を見た。

「……すーちゃん?」

 様子が可笑しいのに気が付いた。

 次の言葉を考えている、という雰囲気ではなかった。目を見開いたまま、表情が固まっている。どこかを……いや、何か。それも彼女が嫌悪するようなモノを目にしてしまい、どうにもできない、とでもいうような……

 彼女の目線は僕の背後に注がれていた。厭な予感があった。何か、沙巫が嫌悪するようなモノが僕の背後にいる。心臓の鼓動が早くなる。汗が玉のように吹き出る。頭の中の血管がはちきれんばかりに膨らむのが感じられた。

 僕は、ゆっくりと。それを視ようと振り向こうとして……




 まるでフィルムが急に故障した映画のように。僕の意識は覚醒した。

 ここはあの図書館じゃない。眠り慣れた僕の寝室である。僕の頭の傍らにはスマートフォンが充電ケーブルに繋がれている。電源ボタンを押すと午前4時を回ったくらいだった。変な時間に目覚めてしまったようだ。

 鼓動と汗は夢の中と同じように異常をきたしていた。身体を包み込む緊張感もそのままだ。

 スマートフォンの光とゴワゴワした布団の感触に身をゆだねること10秒、

「はぁー……」

 深いため息を吐きながらようやく緊張を解いた。

 夢の中で沙巫が語ったように、やはり夢だったらしい。奇妙で怖くてレアな夢だ。沙也加の妹が出てきて手を繋いだ……というのは少し気恥ずかしいが。そういう願望でもあるのだろうか、と自分を疑ってしまう。

 安堵感に身を弛緩させながら、少し冷静になった頭で夢の内容を反芻する。

 奇妙な図書館。謎の影と行列。その先にある、悍ましいソウテイカなるなんらかの処置……

「これも怪談話に出来るかな?」

 ふふ、と笑みが漏れる。ちょっと改変して沙也加に語ってみるのも良いかもしれない。いい話のタネになりそうだ。

 それにしても……沙巫が視た何か。恐怖に固まってしまうようなモノを視れなかったのは少し残念だった。折角なら、それだけでも見て夢を終わりたかったのだが。

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