行列の夢 依頼人:ーーー

1

 話は長くなるが……始まりは変な夢を見たことだった。


 薄暗い部屋の中を、延々とさまよっていた。窓は無く、灯りと言えば頭上をチラチラと照らす蛍光灯だけ。

 いいや。蛍光灯があるのなら十分ではないか?それなのに、なぜ僕は薄暗いと思うのか―――

 部屋の中には一面、書架が並んでいる。金属製でクリーム色のペンキが塗られた無味乾燥なものたち。そこにぎっちりと本が詰まっていた。

 一冊抜き取る。違う。

 その隣の一冊を抜く。違う。

 さらに隣、隣、隣、隣……

 いくら中を確認しても目当てのものが見つからない。確かにこの部屋の何処かにあるはずなのに。焦燥が身を過る。汗が頬を伝って本に落ちそうだ。気づけば照明はどんどん色を変えていった。紅く、紅く……映画などで見る現像室はこんな感じだったか。あれに近い禍々しさが部屋を包み込む。ああ、いよいよもって薄暗くなってきた。もう文字も満足に見れない。なのに、本を抜き取って確認する手は止められない。僕はここで、何かを見つけなければならないのに……

 何を?いいや、そもそも何が書かれていたかなど僕は確認していただろうか。偶々手に取っていた一冊へ目をこらす。文字は……読めない。日本語じゃない。かといって英語などアルファベットを使った言語でも無さそうだ。一番近いのは中国語だろうか?

 しかし眺めていると漢字のような密度の高い文字とひらがなやカタカナのようなあっさりとした文字とが規則的に並んでいて、やはり日本語に近い形をしているように思える……

 それを考えている間にも、汗は次々と流れていった。こうしている場合では無い、という考えが無闇に流れていく。その焦りが最高潮にまで高まった時。

 チャイムが流れた。音の震え方からすると館内放送のようだ。続いてマイクに息が入った時の不快な雑音が耳朶を揺らす。

『現在、ソウテイカの希望者を募集しています。お望みの方は3階ソウテイシツにまでいらしてください』

 ああ、ソウテイカか。それなら行かなくては……

 自然と足は怪談の方へと向かっていた。先ほどまで躍起になって何かを探していたはずなのに。その焦りはあっさりと霧散した。

 階段を昇った先には廊下が広がっている。影いくつか見えた。僕より一足先にソウテイカに来た者たちらしい。

 彼らはゆらりゆらり、幽鬼のようにふらふらと歩いて行く。その流れに従って廊下を進んでいった。

 道行きはやはり薄暗い。天井に照明は無く、代わりに足下をぼんやりとした青い光がわずかに照らしている。

 しばらく行くと、まだらだった影の群れが列をなしていた。近くにいた影たちはひとつ、またひとつその列に加わっていく。僕もそれに倣った。

 頭上の先を見わたすと、行列は観音開きの扉によって仕切られた一室へと繋がっているようだった。扉の上には青地に白で抜かれた文字が書かれた看板が煌々と掲げられていて、まるで手術室のようだった。

 扉が開いた。その中に、先頭の影が入り込んだようだ。看板の色が青から赤に変わると、何か……羽虫のような音が廊下を満ちてく。小さい音ではあったがまとわりつくような雰囲気がある。その不快な音を聞きながら、列が進むの待ち続けていく。

 しかし、ソウテイカとは何なのだろう?

 そう思った矢先に列の左側から流れに逆らって歩いてくる影が見えた。それは警察官か警備員のような格好をしている。丁度いい。彼なら何か知っているかも知れない。

 あの、と呼びかけると、立ち止まってこちらを向いた。

「ソウテイカとは何でしょう?」

「ソウテイカならこの先だ。君もソウテイカだろう?ならこの先だ」

 そう言って、そのまま先に行ってしまった。僕はありがとうございます、と礼を言おうとしたが声はうまく出てこなかった。

 しかし、ソウテイカとは何なのだろう?

 もっと詳しい話を聞くべきだった。斜め後を覗き込んでみたが、警備員風の影は姿を消していた。戻ってきたり、あるいは前から新しい影が現れたりしないか……と期待していたが、一向に現れる気配は無かった。

 そうやって、手持ち無沙汰になって待っていると……

「ヴァァァァァァァァァァァ!!!」

けたたましく、声が響いた。

 あの扉の向こう側からだ。苦痛に身をよじるような絶叫が聞こえてくる。

 どうやらソウテイカとは思ったより苦しいものであるらしい。叫びは何度となく止まったり、また耐え切れず漏れ出たりをひとしきり繰り返してから、ついには聞こえなくなった。しばらくしてランプはまた青一色に戻り、扉が開いた。並んでいた影がひとつ、その中へと入っていく。列が詰めていくのに合わせて、足を一歩前へと進めた。扉まではあと30人ほどいる。今すぐではないが、いずれはあの扉の中に入らなければならない。一刻、一刻と近づくその時を待たなければならなかった。ああ、なんで僕はこんな苦しい……その瞬間を待っているのだろう?


 ……なんでだ?

 まるで酔いが醒めたように疑問が浮かびあがってきた。

 というか、ここはどこだ?ソウテイカとは一体……いや、そんなこと問題ではない!なぜ、そんな得体の知れないもの待つ行列に並んでいる?

 脊髄に、まるで冷水にでも浸したかのような感触が流れた。状況は何も分からない。しかし、今のままでは絶対によくない。急いでこの列から抜け出さなければ————

 そうしようとして、できなかった。

 足が動かない。限界まで走り抜けた後のように、足に力が入らない。いくら動かそうとしてみても『動かない』という焦りだけが募っていく。金縛りとはこんな感触なのだろうか。列の先には不快なものや得体の知れないもの待っているのに、それから逃れようと身をよじることすらできない。

 このままでは、僕は……

「なんでこんなところにいるんすか、セキくん!」

 声が、耳元に響いた。

 聞きなれた女性の声……いや、それによく似ているもの。

 やがて手が柔らかいものに包まれた。声の主の手が、僕の手を掴んだ。

「走って!」

その手の勢いのまま引き寄せられ、列を抜け出した。彼女は列の反対方向へと駆け出していく。彼女の疾走に僕の足はきちんと付いていけていた。先ほどまで萎えて力が入らなかったのが噓のようだ。

 ふらふらと列に引き寄せられる影たちをすり抜けて、彼女は走り、僕のそれに付いていった。階段を降り、広いフロアへと出た。一面に灰色のカーペットが引かれていて、走るたびに勢いよく叩きつけられる衝撃を和らげている。その上には背丈よりやや高いくらいの書架と、机が無数に並んでいた。その光景は図書館のようだ。いや、図書館なのだろう。あの列に並ぶより前は、書庫のような場所で何かを……そう、本を探していたのだ。

 手を引く彼女は何かを探すように立ち止まり、すぐにまた走りだした。向かった先はカウンターだった。腰ほどの高さの机の上にはパソコンや貸し出しに使う機械、パンフレットなどが収まったアクリルケースが並んでいる。

彼女は僕をカウンターの下に隠すように押し込み、自身も続いた。

お互い息が切れている。しばし呼吸を整えてから、ようやく彼女の顔を見る余裕ができた。ああ、やっぱり彼女だ。

「ありがとう、サヤさん」

 が、僕の言葉に彼女はさも心外そうに眉を吊り上げた。

「……ちょっと。寝惚けてるんすか?ああいや、夢だからそっちの方が正しいのか……?ややこしーな。よく見てください、私の顔!あと髪の毛とか服とか!」

 言われるがままに見ることにした。

 顔立ち……は沙也加によく似ている。ただ、どことなく違う。

 先ほどまで薄暗くて気が付かなかったが、髪の毛はピンク色に染めている。確かに沙也加は髪の毛を染めていない。染めるようなタイプでもない。

 それに服。茶色いワンピースの上からクリーム色のジャンパーを羽織っている。洋服だ。沙也加はこういう服を持ってない。着ているのも見たことが無かった。

「……すーちゃん、か?」

「そうです、沙巫すなふです!ようやく起きましたか寝坊助セキくんさん!」

 まったく、と悪態を付く。が、そこには嫌味というより安堵が含まれているように見えた。


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