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 急ぎ、夜の街を駆け出していく。今日は袴を履いておいてよかった。普段よりかは走りやすい。

 ヘッドセットからはまだ声は聞こえていない。こういう時、赤冶が直接いないシチュエーションではお互いの声が聞こえるよう、こうして通信しあって声が聞こえるようにしている。

 息せき切らして入谷さんのアパート前の門にまでたどり着いた時……ようやく、彼の声が耳に届いた。

『みるもののためのかげがイトとなってよりあつまって、門の前にぐるぐるとわだかまってかたちをなして、あるのはあいやこいではなく、いかり、どこまでいってもにんげんはそういうかんじょうからぬけ出せないままなのだな、いつまでたってもイトのつらなりからぬけだせないのだなと———』

 いつもと違う声。憐みを感じているらしい声。

 時折、この視点の彼がつぶやく超越的な視点だ。彼の意識……いや魂は別の次元にスライドされている。糸の連なりとして見える世界において、現実世界では忘れてしまうけれど、より大きな情報とか知識を、その世界で得ている感覚があるらしい。今の彼からしたらこの現実は憐れなものであるのかもしれない。

「相手はいまどこにいますか?」

 ヘッドセット越しに尋ねる。

 相手はこちらを憐れんでいるし、何かよく分からない視点で物事を語ることもあるが……たいていは、尋ねれば応えてくれる。それが赤冶の意識によるものなのか、あるいは憐みゆえなのかまでは分からない。

『さきにじゅっぽ、みぎななめまえ』

 今回の答えは簡潔。ならば、と即座にその方向へ足を向けた。

 そのまま、手にした剣を振りかぶる。

 ……が、手ごたえが無い。

 外したか、と同じ方向に横なぎにする。それでも空を切った感覚しかなかった。

 剣が何かを切れば、もう少し……そう、水に刃を差し込んだくらいの手ごたえはあるものなのだが。

『うしろ、に、いる』

 即座に振り向きざま、刃を振りかざす。

 後ろにいる。そう言われても恐怖心は動かない。むしろワクワクしている。なにせ、私は怪異を視ない。感じることもない。相手に呪われることも無い。これまで何度もあったことだ。周囲の退魔師がバタバタ倒れる状況でも、私だけはぴんぴんしていることもあった。そういう状況が……私以外の誰かがそこにいる、と語ってくれる状況こそが、私が怪を感じられる唯一の瞬間なのである。

 振りかざした刃には、またしても外手応えがない。

 なぜ……と考えて。ああ、と理解する。相手のサイズを計算に入れていなかった。もちろん私には影の大きさは視えていない。だが、これまでの調べから予想はつくのである。

 私は前へと駆け出し……斜め下。私の腰くらいの当たりの高さに刃を振るった。今日話した相手のことを考えると、これくらいが丁度いいはずだ。

 案の定、手ごたえがある。

 きちんと当たった。刃は怪に干渉し、切り裂いた。ただ、完全消滅には至っていないだろう。この剣で怪異を消しても、それは葉を毟っただけ……というのは赤冶の例えだったか。

「セキくん、どうなってます?」

 剣を前にかざしながら、ヘッドセットに問う。

例の影がどうなったかを赤冶に視てもらいたくてそうしたのだが……

『アガッ』

 聞こえてきたのは奇妙な呻きだった。何かの歯車が狂ったような音が続いて鳴り響く。

 しまった。

 この呪剣には弱点がある。あまり離れた位置から、長時間使い続けると本来の肉体から魂が離れていってしまう。中国の民話には離魂についてのエピソードが存在するが……それに近いものなのかも知れない。この呪具自体が離魂を引き起こすものである、と言い換えることも出来るだろう。

 普段はなるべく短期決戦、かつ赤冶ともあまり離れないように運用するのが基本だった。この間の依頼の際は剣のすぐ傍にいてもらったし、一撃で決められたので魂が離れるのも長時間では無かったが……今日の場合、時間はさほどではないにしろ場所が離れすぎている。

「すみません。もう十分です」

 急ぎ、懐にしまった布を刀身に巻いていく。

 そうしてすべて巻き終わると、ヘッドセット越しに聞こえる奇声が収まり、穏やかな寝息へと移っていった。どうやら魂は元の場所へと戻って行ったらしい。

 ふぅ、と安堵して周囲を見回す。

 剣は仕舞ったし、今の私には相手が視えない。手詰まり……かと思ったが「ああ」とまたしても閃きが頭を過った。

 元々の場所……つまり入谷氏が視たものが、どこに居たのかを考えればいいのである。

 つまりは自販機の後ろの影。今日、しばし調査をして、人が隠れられるほどの場所は無い、と私も赤冶も結論付けた。それに間違いはない。だが、隠れているのは人ではないとすれば……

 腕をまくって例の自販機の後ろをまさぐった。手で届く範囲には見当たらない。仕方ないので剣も使ってまさぐる。……かつん、と手応えがあった。怪異を切った手応えではもちろんない。今は呪いは発動していないから当然だ。物理的なものである。

 剣を使ってそれを引き寄せていき……ついに、手で摘まめる場所まで持ってきた。

「やっぱり。予想通りです」

 そこにあったのは小石と何かの金属片をルーズリーフ様の白い紙で包んだものだった。おそらく中を覗けば入谷氏の名前と私物、あと術者の髪の毛が挟まっているに違いない。つまりは、あの『こいしさま』だった。




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