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「入谷さんはそのままきつく目を瞑って何とか眠りにつけたそうです。ただ……その日見た夢というのがですね。なんでも自分の部屋の前に何者かが立ってドンドンドンドン!と扉を叩いてくるという夢で……それが本当に夢であるか、入谷さんにも判断が付かないということでした。目が覚めても全く疲れは取れていなかった、ということです」

「まぁ、そうだろうね」

 いつものことだが、沙也加の話は好きだった。抑制されて落ち着いた声。それでもにじみ出る楽しそうな語り。

 とまれ、それは良い。語っている内に彼女の機嫌も直ってきたようだし。

 問題は、である。この話は一体どちらだろうか、ということだった。ただの趣味の怪談か?それとも……

 可能性は二分の一。僕は意を決して、問いかける。

「もしかして依頼の話?」

「おやご明察。セキくんにしては察しが良いですねぇ」

 当たっていたらしい。だがこの場合、当たっていてもあまり嬉しくない。

 なんというか、一難去ってまた一難というか。新しい厄介ごとが僕たちの前に転がり込んできていた。



 円藤沙也加は退魔師である。そして僕はその助手ということになっている。

 古書店を営む傍ら……いや、彼女に言わせると退魔師を営む傍らに古書店をしている、ということになる。

 仕事内容はもっぱら、怪異を祓ったり退けたりすることだった。

「そういうわけで、これから依頼者さんのお宅に向かおうと思うのですが」

 という沙也加の言葉に従って、書店を一時閉店して都内の住宅地へと赴くことになった。

「しかし、今回はティピカルですよねぇ」

 電車の中、隣に座る沙也加が話しかけてきた。

 昼間の車内は人もまばらで、会話をするのは僕たちだけである。

 どうやら今回の事件のことを言っているらしい。

「今回の依頼が?」

「はい。家に近づいてくる、いわばテリトリーを犯されるという恐怖。そして追いかけてくる、という恐怖。両方ありますが……」

 ふむ、としばし思案していると沙也加は妙ににんまりとした笑みを浮かべ始めた。僕を揶揄うネタを見つけた時の顔である。

「あれれ。思い出しませんか?前に話したことあると思うのですが。よもや若年性健忘で?」

「実在の病気をネタに軽口を叩くのは倫理上いかがなものかね」

 とは言え過去に話した、というのなら話してはいるのだろう。少し思案してみる。

 怪談、といっても色々あるがこの手のタイプの話と言えば……

「もしかして洒落怖の『猛スピード』?」

「ですです。あれ、結構気に入ってませんでしたか?」

 そうだ、と思い出す。大学時代、沙也加が催したオールナイト怪談朗読会(参加者二名)で彼女が語った怪談の中にあった記憶がある。深夜4時くらいの変なテンションで聞いたので大爆笑した挙げ句、3回くらいリピートして貰った記憶がある。その時の沙也加の声が思い出されてくる。

“いやぁ、セキくんったら欲しがりさんですねぇ。ではご期待に添いましてもう一席。「俺にはかつて、少し変な趣味があった」”

 その一文から始まるコンパクトなネット怪談である。

 家の屋上から双眼鏡で外を眺める趣味がある男が、ある日、満面の笑みを浮かべながら凄い勢いで走ってくる全裸の子供のような怪異を目撃してしまう。

 特に怪異の由来などが語られることも無ければ霊能力者もお坊さんも出てこない。ただただ、勢いが凄いエピソードである。

 夜、外を眺めていた体験者と、そこに向かって走ってくる怪異。

 確かに要素要素を見ていくと似ている部分があると言えるだろう。

「しかし、そこまでティピカルかね」

 典型的、と言い表すには少し特殊なタイプの話だと思うのだが。

「何を言うのです。追いかけてくる、テリトリーを侵犯する、というのはもっとも原始的な怪異ではありませんか。前者で言えばジェットババァやターボババァは言わずもがな、暗闇の中で追いかけてくる、というのはそれだけで恐怖ですよ。神話を見れば黄泉平坂の逸話などもありますね。民話の『三枚のお札』もこの系譜でしょうし。後者については先ほども話した通り、自身のテリトリーに侵入されるというのは厭なものでしょう。こちらは怪談ですと窓から首ヒョコ女とか……事故物件系とか屋敷ホラーも広義でこの範疇に入れても良いかもしれませんね。つまりティピカル合わせ技でダブルティピカルです」

 自身のテリトリーだと思っていた家が、実は良からぬもの、この世ならざるものが跋扈する空間である……というタイプの怪談は確かに多い。ダブルティピカルの意味は分からないが、おおむね同意できる。

「というか、そうでなくても嫌悪を催すものでしょう。例えば部屋に虫とか鼠が湧いたりしたら厭ですよね。いずれも我々のDNAに刻まれた恐怖とも言えるのでは?」

 まぁそう言われればそんな気もしてくるが……

「しかし、なぁ。追いかける系なら口裂け女とかカシマさんとか、そっちの方が典型的って言葉に似合ってる気がするけど」

「もちろんそちらも含まれていますが。あまりに分かりやすい例を出すのもニワカっぽいですからねぇ。私、玄人くろうとなので」

 退魔師としての矜持でこれを言っているなら立派な心持ちだろうが、今の彼女は趣味人の玄人くろうととして語ってるようにしか思えない。

「自分でそう名乗るようになったらいよいよおしまいだろうね」

「むっ」

「何が「むっ」だ」

「……いずれにせよ、です。この件については類例が多くあるタイプの怪異と言えます。調査すれば剣の呪具の発動条件は満たせるでしょう」

 この間も用いた呪いの剣だ。今回も使うのだろう。

 あの剣は人間の魂を写し取ることで、人々の心から生まれた怪異に干渉する力を得る。その剣によって怪を形作る架空接続者と怪異とのつながりを切り取ることで怪異の存在自体を破壊する、と言うのが推定されるロジックである。

 しかし、それにはいくつか条件があるのだ。

 端的に言って、怪異を切る上で魂を写し取る人間の認識が大きく左右してくる。

 怪異に対して多大な恐怖を抱いたり、存在しうる、存在して欲しいと思う人間が写しとられた場合、怪異を切ることが難しくなる。

 沙也加曰く「何かに弾かれた感覚……いえ、どちらかといえばノコギリで空気を切ってるような感覚と言いますか」とのこと。干渉できなくは無いが、切れ味が落ちるらしい。

 これを防ぐためには、事前に調査をしてその怪異が存在しえないことを確認しなくてはならない。つまりは取材によってそれらが風説や風聞による嘘とか虚構であることを裏どりしなくてはならないのである。

 この間、宇賀ハスミという少女が視た霊を切除したが、その際にも事前に情報収集をして「それが存在しえないこと」を納得するまで調べた。宇賀ハスミに限らない。これまで達成した依頼のほとんどでこの裏どりを行っている。

 僕と沙也加の場合は僕が怪異を存在しえないと納得することが重要となるのだ。

他にも条件や弱点などは存在するのだが……取り立てて今反芻することでもない。

「今回の例の場合、まず既存の怪談に見られる要素が多くあります。入谷さんから聞き取りを行い、そうした怪談からの影響が明らかとなれば、今日にでも切除できるでしょう」

「そう上手くいけばいいがね」

 うかつに語ると魔が差すのが未来である。吉兆を語ると実現しない、などという迷信もある。いわゆるフラグというヤツである。

「言葉にすることで引き寄せるという考え方もありますよ?言霊のチカラを信じて行きましょう」

 さて、言霊が吉と出るか凶と出るか。

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