11 了
すべては後日聞いた話である。
剣を用いた儀式によって、”首を吊る影”は宇賀ハスミの前から消えた。例の廃屋の前を通りがかっても、具合が悪くなることも無くなった、という。
烏乃書店にお礼を述べに尋ねてきた宇賀ハスミの様子には沈んだ様子も無く、健康そうに見えた。
ありがとうございます、と頭を下げて帰って行く二人の様子は特に変わったところは無い。魔は退け、なべて世はことも無し……などと言うには、どこか後ろめたいところもある。
「後ろめたく思うことなど無いでしょう」
僕のつぶやきを聞いていた沙也加が言い放つ。彼女はいつもどおり、座敷で正座しながらコーヒーを啜っていた。
「どうなるか……どういう可能性があるのかは、事前に説明しました」
あの夜、首を吊る影を視た、という連絡を受けた翌日。僕と沙也加は再び宇賀ハスミに連絡を取った。彼女に伝えるべきことがあったからである。
即ち……怪異を退けることで、天野才との関係が壊れる可能性がある、ということを伝えるためだった。
僕たちが出した結論は次のようなものだ。
『宇賀ハスミが視た影は一家心中の結果顕れた幽霊などではない』
『彼女が視たモノの正体は宇賀ハスミが生み出したものである』
発端となった廃屋の実状と二人からの聞き取りを総合するとそのように結論づける他無かった。
宇賀ハスミは架空接続者であり、恐怖心によって怪異を世界に出力するほどの強い力を持っている、ということである。いわばマッチポンプ……というと酷だろうか。彼女にはその自覚が無いのだから。
それに、あの影は宇賀ハスミだけが生み出した、とも言い切れないところがあった。
『宇賀ハスミの視た怪異の成立には天野才とのコミュニケーションが大きく関与している』
それが三つ目の結論である。
「私の見立てでは、過去に視たという怪異……水子霊でしたか。それと首吊りの影は同じモノなのではないか、と思うのです。宇賀さんには怪異を生み出す能力がある。架空接続仮説に基づけば架空接続者、セキくん風に言えば糸の集積がある、ということですね。架空接続仮説において、怪異を生み出すものが人間の想像だとして、ではそれに反応するものは何か……ということは大きなテーマとなっています。大抵の人はエーテルやアストラルのような触媒を想像していますが……セキくんが剣を通して視た、という世界のことを考えると、また別の説も出せると思うのですよ」
僕があの剣を通した視た世界。朧気な記憶と沙也加から聞いたトランス中の僕の言葉を合わせると、あの世界は……無数の細胞によって形作られるシナプスのようなものによって形作られているのでは無いか。そういう話を彼女にしたことがあった。
「シナプスとは結合そのもの。糸の集積自体が怪異を形作る……というのがどれだけ正確かは分かりません。データを集めれば学会に発表するのもいいでしょうが。と、それは兎も角しておきましょう。ここで問題になるのが宇賀さんが怪異を見始めた時期です。確か始めて見たのが中学生の頃でしたか」
言い換えると、宇賀ハスミと天野才が出会った時期である。
「宇賀さんの話によれば、怪異を視るようになってから天野さんと関係が出来て、それから彼に好意をもった……ということでした。しかし、もしかすると順序が逆なのではないか、と思ったのです。まず天野さんのことが気になるようになった。天野さんは幽霊のようなオカルト系の話題に関心を抱く人間だった。だから」
天野才が興味を抱くような出来事が、自分の周りに起きればいいのに。そういう心理が、最初の怪異を生み出した。
「……天野さんと関係性が出来た後は、さらに怪異はその存在を定着させていくことになります。天野さんはそうした話題を好んでいたようですし」
あの二人のコミュニケーションの繰り返しが怪異を練り上げていった。
宇賀ハスミが視た少しの現象を、天野才が噂や怪談などの情報を元に方向付ける。それによって宇賀ハスミがさらに強固な怪異を視るようになる。
そういえば、過去に怪異が治まった、というケースも話していた。あれは……
「天野さんの興味の方向が変わった、ということかも知れませんね。天野さんの様子をみて、宇賀さんは無意識に怪異を強めたり弱めたりしていった。まさしく、
……そういえば、その話題について話していたっけか。郵便局に行くだ行かないだの話で思い出したのかと思っていたが違っていたらしい。
この仮説に至って、取るべき方向性、執るべき手段は定まった。
無数の糸、意図によって形作られたネットワーク。それらが連携することによって怪異が形作られる……もしそうだとするなら、そのネットワークを切り取ることが出来れば怪異は消滅する。
あの剣を用いればそれが可能だった。
それはつまり、宇賀ハスミが怪異を生み出す機能を切り取る、ということになる。
しかし、それでは問題が起こる可能性があった。
「宇賀さんが天野さんに好意を抱いている、ということですね。我々の手法では彼女が霊を視る力ごと切り取ることになりかねません。そうなれば……あの二人の繋がりもまた、断ち切られてしまう可能性がある」
だから、僕たちは彼女にそのリスクを伝えなければならなかった。
「我々の手法で退けた場合、貴女は二度と霊を視ないかも知れません。もし、それを惜しいと思うのなら今回は延期しましょう。また別の人物を紹介することも出来ます。ただ、その場合は一生、怪と付き合っていくことになります」
沙也加は彼女に電話越しでこう伝えたのだった。
「選ぶのは当事者であるあなたです」
宇賀ハスミは結局、僕たちの手で怪を祓うことを選んだ。根本的な解決、二度と怪を視なくなるかも知れない世界を。
「……全く、理解に苦しみますね。何が不満なんでしょう」
円藤沙也加は霊が視えない。怪異にも出会わない。そういう人間にとって、視えるのにそれを拒絶する選択は考えられないものだった。
「とは言え、やはり選んだのは宇賀さん本人ですからね。私が文句を言う筋合いはありませんし……同じようにセキくんが後ろめたさを感じる必要も無いんじゃないですか?」
沙也加の言っていることは道理だった。だが……僕が感じている後ろめたさは……なんというか、この世から怪を切り取るという所業自体に感じるものなのだった。
こうやって怪を切り取ること、視える世界を否定することが、果たして正しいことなのか。何か、大きな間違いを孕んでいるのでは無いか。そんな疑問が拭えない。
宇賀ハスミは怪異の無い世界を選んだ。そうすることで、彼女は学校に通えるようになるのだろう。これから社会の中で生活を営む中で被る不利益からも逃れられるのだろう。それは良いことだ。だけど……怪異を視ることは、人間に存在する機能のひとつ、とも言える。それを切り取ることで、僕たちが気づかないデメリットを生んでいたりはしないか。
ロボトミー手術の話を思い出す。過去に読んだことがある話だ。脳内にある前頭前野の神経を切り取ることで精神障害を消滅させる治療。しかし、後遺症として認知機能や社会性、意欲などに大きな問題を引き起こしたという。
あるいは、盲腸についての話でも良い。長らく盲腸は進化の過程で生まれた、無用の臓器と考えられていた。盲腸炎などになると、実にあっさりと切除されていたらしいのだが、実際は人体の免疫細胞の貯蔵庫であり、免疫活動に大きな意味を持っていたという。
いずれも“治療”としてこれらの臓器は簡単に切り取られてきたのだが、それぞれその時の人間には分からない必要性とか機能があった。簡単に怪を切り取るのは、それらの”治療”と同じ所業なのでは無いか。
「……分かりました」
「何を?」
「地獄に落ちるときは一緒に、ということにしましょう」
……なんというか、また重い物言いだ。そう茶化そうと思ったが、沙也加は思いのほか真面目な表情だった。
「いずれにせよ、私はこうすることでしか怪異と関われません。あなたが視た世界を私が切り裂く。なら、責任は半分こです。ねぇ、私の寄坐さん?」
僕は特化コーナーの整理をしてくる、と言って席を立った。陳列しなければならない本がいくつかあるのは本当だったし……少し恥ずかしくなったのもあった。
店舗もまだらな長い廊下を見やった。独特の匂いが漂う。
当然のことながら、二人はとっくに去っていた。彼女たちがこれからどうなるのか、もはや僕たちには分かりようもないことだった。
いずれにせよこの世界から一つの怪が切除されたことになる。その是非も分かりようが無い。
怪より始まった物語を切り取る。それが僕と彼女に出来る唯一のことだった。
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