5

 中野駅から二人が通う高校まで、電車だけでも40分ほど。そこから歩いて15~20分くらい、ということだった。

 駅の規模は小さくは無い。周囲を見回せば駅ビルもあるし商店街やスーパーなども揃っていて、暮らすのも通学するのにも便利そうだった。

 駅で宇賀ハスミと別れ、天野才を先導にして道を歩く。

 人の声や物音が少しずつ潜まっていく。周囲を見渡しても民家や、あってもクリーニング店やコンビニくらいという、住宅街にありがちな風景である。

「天野さんは普段は別のルートを使ってるんでいいんだよね?」

「はい。俺は逆側の駅なんで」

 とはいえ、彼の学校の周辺ではあるので土地勘はあるようだった。

「そろそろですか?」

 ふと、沙也加が呟いた。すると天野は驚いた様子で沙也加を見た。

「え……は、はい。あの角です」

「やはり。そんな感じがしていました」

「……やっぱり分かるんですか」

「ええ」 

 モノは言いよう……いや、語りようである。沙也加は何か、霊的な気配とか空気を感じ取った……という雰囲気を醸しているが、事前に知らされていた地図からなんとなく場所を覚えていただけだろう。

 何せ沙也加には、そういうモノを感じ取るような力は一切無いのだから。


 退魔の家系に生まれながら、彼女には霊が視えない。感じ取ることも出来なければ、そうした声を聴くことだって出来ない。怪異の影も姿も、彼女は感じ取ることは出来ない。

 霊能力が無い。彼女にとって、それは大きなコンプレックスだった。

 なので、彼女が今語っている言葉に何か異論を挟もう物ならとてつもなく面倒なことになる。突っ込みたいが下手に突っ込めない。

 そもそも目の前には依頼者がいる。わざわざ沙也加に霊能力が無い、ということを伝えるのは信用の観点から言っても得策では無い。なので「吹かしてんなー」と横目で眺めるのが精々である。


 到着した例の家を前にして、沙也加は「ほほぅ、これは……」と意味ありげに呟く。それを隣の天野はキラキラした瞳で眺めている。なんだかいたたまれない。

 とはいえ、確かに目の前の建物は厭な雰囲気を湛えているように見えた。

 見た目は二階建ての一軒家、壁はベージュに塗り込まれていて、建てられた当時は明るい、文化的な雰囲気であったことは想像に難くない。

 しかし、今は。

『薄黒い』

 宇賀ハスミはそう評していたのだったか。確かに薄黒い。ベージュ色の壁のところどころに薄黒い煤のような汚れが散らされているのだ。

 比喩表現では無い。加えて言うなら、僕に強い霊能力が在るわけでも無い。

「……サヤさん」

「ええ。確かに、禍々しい色合いです。素晴らし……もとい、恐ろしいロケーションですね」

 僕の確認の意を込めた呼びかけに、偉くシリアスな表情で返してくるところを見るに彼女にも見えているらしい。

 つまり、薄黒いというのは物理的に黒い汚れが散らされている、ということなのだろう。 とは言え、それが即ちこの家が異常でない、ということを示すものでは無いし、それが怪異の不在……宇賀ハスミが感じ取ったものが存在しない、ということを意味するわけでも無い。

 閑静な住宅街の中、周囲を見わたすと、マンションやアパート、他の一軒家なども存在する。それらはそれぞれ、経年による生活感を感じさせている。

 この家だけは、少し違う。壁の塗装もさることながら、敷地内は荒れているし、部屋の中も薄暗く、灯りが付いている様子は無かった。少なくとも今、この家に人がいる様子は無い。廃屋、というのは確かなのだろう。

「……影の姿は見えないが」

 そこが問題のひとつだった。

 宇賀ハスミが二階の窓に視たという、天井から吊された三つの影。こちらは霊能を持たない僕たちには観測できていない。何かの見間違いとか、そうしたものを想起させるオブジェクトは無さそうだった。

「時間帯の問題かも知れませんし……あるいはそうで無く……ですね。天野さん、お聞きしても宜しいですか?」

「なんですか」

「天野さんと宇賀さんのお二人がともに下校した際、天野さんには霊の姿は見えなかった、ということで宜しいですね?」

「……はい。怖がってたのはハスミだけで」

「なるほど。ではもうひとつ。宇賀さんがその後、この道を通ったとか、あの影の姿を視た、という話は聞きましたか?」

「そうっすね……ハスミはこの家と関わりたくないって。それがどういう……」

 そう言いかけて、彼の顔が変わった。沙也加が含意したある可能性に行き当たったようである。

「まさか、その霊がここから移動してるって言いたいんですか?」

 可能性の話に過ぎない。が、

「そうですねぇ……起きた現象だけを語るなら、可能性はゼロでは無いと思うのですよ。少なくとも、吊された影はハスミさんの部屋の窓に現れています」

 天野は腕を組んで何かを考え込むような表情になる。彼の脳内で様々な悪い仮説が組み立てられているのだろう、ということは想像に難くない。


 ともかくも、その日は一度解散する流れになった。二人には我々の業務番号を教え「何かあれば連絡してください。すぐに向かいますので」と言い聞かせる。


 そうして二人きりになった帰りの電車の中、沙也加が口を開いた。

「どう思いました?」

 あの家のことか、それとも二人のことか。

「どちらでも大丈夫です。今のところの意見をお聞かせください」

「家はよく分からない。調べてみないと、だな。二人の方は……なんだか、危うい気がする」

「危うい、ときましたか」

「うん……なんというか、宇賀さんは自己が無い。対して天野さんは語りすぎてる」

「言いたいことは分かります。つまり……いえ、憶測で物を言うのは止めましょう。ともかく種は蒔きました。これから状況が進展した場合は……」

 一つの仮説が建てられる。というか、既に沙也加の中には成立しているのだろう。

「いずれにせよこれから色々調べ物をしていきましょう。さし当たってはあの家の噂についてから」

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