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 宇賀ハスミという女子高校生の身に起きたことだという。

 それはいつもどおりの朝だった。いつもどおり制服に着替えて、母の作った朝食を摂り、鞄の中にノートや筆記用具を詰めて、家を出た。電車に乗って十数分、そこからまた十五分ほど歩いて学校に通っている。彼女の通うルートは同じ学校でも使ってる人は少ない。少なくとも友人の中にはいなかった。なので通学の時は彼女ひとりだった。

 ……いつもどおりの朝だ。だから、ここを通りかかって厭な気分になるのも、やはりいつも通りのことだった。

 通学路の途中にある小径、そこにある一軒の廃屋。彼女はその前を通りかかると、いつも気分が悪くなる。胸が押しつぶされたような、息苦しい気分に襲われる。

 時折、そういう場所があった。幼い頃、町中で急に気分が悪くなったり頭が痛くなったりするのだ。

 家が放つ気のようなもの、というのか。薄黒いものが溢れ出し、彼女を害している……

 それでも、彼女はその道を使い続けていた。登下校の最短ルートに面していて、別の道を使うとかなりの時間のロスになってしまう。


 教室に着いたハスミは自分の机でつっぷして、荒い息を整える。昨日は大丈夫だったし、今日もなんとか学校に来れた。明日も……彼女はそう思いながらも、朝から憂鬱な気分に陥っていた。

「大丈夫か?」

 後から声が掛けられる。クラスメイトの天野才が心配そうな様子で彼女を見ていた。彼は中学生の頃からの友人で、ことあるごとに彼女に気を掛けてくれていた。

「また例のヤツ?」

「……そう。あの廃屋」

 ハスミにいわゆる霊感があることを彼は知っていたし、今回のことも相談していた。ある家の前を通りかかると、気分が悪くなる……そういうことを語ると「家に何か悪いことがあるんじゃないか」と色々調べてくれていた。

「クラスメイトに聞いた感じだと、……」

 天野はためらう様子を見せた。おそらくハスミのことを慮ってのことだった。が、ハスミが先を促すと意を決したように口を開く。

「心中があったんじゃないかっていう話なんだよな」

「心中……?」

 彼が語るところによると、元々あそこには両親と息子の三人一家が住んでいたようだった。両親は安定した職に就いていて、息子も大学までは進学していたらしい。そこまでは特に問題が無かったが……彼は大学を卒業した後、職に就くことが出来なかった。息子はそのまま家に引きこもり、ニート生活を始めた。当初は見守っていた両親も、それが数年、十数年と続くと話は変わってくる。両親は彼に口酸っぱく職を探すように勧めたが、次第に息子は両親に暴力を振るうようになったのだという。

「それを苦にして、父親が奥さんと息子を」

 殺したのだ、という。

 それが彼が調べたあの家についての噂だった。

「他にも色々調べて見ようと思ってる。何か解ることがあるかも知れないし」

 そう、とハスミは答える。天野への感謝と気の滅入る気分が同時に過った。彼の頑張りは嬉しく思っている。昔から、彼はハスミの霊感絡みの出来事に親身になってくれた。

「本当に大丈夫かよ。なんか顔色悪いよ?」

「……そうかな」

「そうだよ。昨日より具合悪そうだぞ」

 そうなのだろうか。そうなのかも知れない。

 天野は何かを思案し、やがてぽつりと口を開いた。

「蓄積してる、とか」

「え?」

「原因はあの家なんだろ。通りかかるたびに……その、何か悪い気があふれ出てる。それをハスミが感じているのなら……それが毒みたいに、少しずつ蓄積して行ってるのかも知れない」

 ……だとしたら。これからは悪くなる一方、と言うことになら無いだろうか。




「今日は俺も一緒に帰る」という天野の言葉に甘えて、連れだって下校する。天野とは下校するルートが違う。ハスミと同じ駅に向かうのは遠回りになってしまうのだが、彼は頑として譲らなかった。

 彼と一緒に歩くのは、ひとりよりも気が楽になる気がした。自分一人だと憂鬱だが、誰かがいてくれるだけでも違う。特に自分のことを慮ってくれる天野のような人ならなおさらだった。天野は彼女の気を紛らわせようとしてくれたのか、なんてことのない世間話やとか冗談でハスミを笑わせてくれた。

 それでも、例の廃屋が近づくと、二人の間に緊張が走る。

「緊張するなよ。落ち着け」

「……うん」

 しかし、そう言われれば言われるほど緊張が過ってくる様な気がする。そうして、ついにその家の前を通って……

「あ」

 声が漏れた。

 いつも通り、薄黒い空気が漂う。呼吸が乱れて息苦しい。それは変わらない。しかし……

 廃屋の二階に、何かが見えた。

 吊された人の影だった。ひとつじゃない。奥にも二つ、全部で三つ。


 叫び出しそうになるのを必死にこらえた。なんとか立っていようとした。しかし、へなへなと足の力が抜けていく。それでも、あの場所から目が離せない。

 吊された影の、頭に当たる部分。そこにある瞳が、まるで生きているように彼女を見返していた。



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