怪より始めよ~烏乃書店怪異録~
佐倉真理
心中屋敷、首吊り 依頼人:天野才 宇賀ハスミ
1
中野にある古いテナントビルの四階、店舗がまばらに林立し、寒々とした長い廊下を超えた寂しい一カ所。そこが僕の現在の職場だった。
外側には低価格の古本が詰まった棚がふたつ並んでおり、その丁度中間に出入り口がある。外から見えるとおり、既に灯りがついている。雇い主は先に来ているようだった。
暖簾をくぐると、さながら書物の谷底のような様相をしていた。店内には三つの棚が縦に、平行で並んでいるが、それぞれの棚から溢れ出した本は床に直置きしたダンボールの中に詰め込まれている。開店して数年しか経っていないはずなのだが、すでに老舗の風格だけは漂っていた。
奥には会計カウンターがひとつ。その後に、作業室として使われる一室へと通じる段差がある。
谷底を抜けて、カウンターを通り過ぎ、段差へと足を掛ける。
「おはようございます、セキくん」
そこにはやはり、彼女の姿があった。
臙脂と濃い緑の着物……彼女曰く「銘仙のアンティーク」らしい……という出で立ちですっきりとした座敷の中、座布団にちょこんと正座している姿は、外側に広がる乱雑な古書店の主とは思えない。
きっかり三畳の座敷には木製のテーブルがひとつ、その上には紙コップに入ったコーヒーとノートパソコンがある。彼女は普段、それで業務処理を行っている。
彼女の挨拶に「おはよう」と返して対面に座った。
これが現在の職場。店主である円藤沙也加の経営する古書店の業務スタッフが僕の仕事のひとつだった。
沙也加とは大学以来の付き合いだ。とあるきっかけで出会い、大学卒業後も縁が続いている。
「なんか仕事ある?」
「ネットでお買い上げがありましたよ。この間仕入れた『憑霊信仰論』が一冊、他にも数冊細々と売れてました。同じ方が購入されてますね。まとめて包装しといてくださいね」
「了解」
そうすると現状、仕事はほとんど無いに等しい。
この
とはいえ、あまり賑わってはいない。出版業界の不振もあって本自体があまり売れていない昨今、さらに特定ジャンルの古書となるとパイは小さい。その小さいパイの中にも競合他社は数多いる。このテナントビルだけ見ても、オカルト系古書を取り扱う大手がいるくらいだ。
そういうわけで古書の売れ行きは芳しくなく、時折客が訪ねてきて数冊買い求めて帰って行くか、外にある投げ売り本が少しはけていくか、あるいは今みたいにネットで数冊が売れるか……というくらいしか売り上げは無い。
余人が見ればよくこんなので商売として成り立っているな……と思われるだろう。実際のところ成り立っていない。古書店は完全に沙也加の道楽である。
今日も店番という名の茶飲み話に終始すること請け合いだった。
ひとまず先ほど売れたという『憑霊信仰論』……小松和彦の論文が纏められた文庫本ということだった……などを包装することにしよう。注文画面を見ながら、書棚の中、申し訳程度に為された分類と記憶を頼りにその数冊を何とか探し出して座敷へと持ち帰る。それを梱包材や紙袋で包み、発送票に記入すればあとは送るだけだ。
「しかしこの本、私も持っていましたが大変参考になる本ですよねぇ」
店主たる沙也加は僕の作業を尻目に紙コップのコーヒーを啜った。
「へぇ……そうなんだ」
「はい。……あれ、もしかして読んだこと無いんですかぁ?セキくんともあろう者が?」
「君が僕のことをどう思ってるか知らないがね。この世に本がどれだけあると思ってるんだ?全部読めるわけないだろ」
「言い訳ですか。自分の浅学を棚に上げるのは見苦しいですよ」
いくら何でもそこまで言われる謂われは無い。なんで文庫本一冊読んでないだけでこんなに絡まれねばならんのか。
「さて、そんなザコザコ積読マンにも親切に解説してあげますと」
そもそも積んですらないのだが。
「じゃあ訂正します。ザコザコマンのために解説しますとですね」
訂正箇所を聞くに異論を挟んだのは徒労だったらしい。
「憑霊への信仰、というタイトル通り、憑き物筋とか民間信仰におけるシャーマニズムの例について論考した本ですね。まず『憑き物』という言葉の『ツキ』の概念について広く捉えていくことから始めるのですよ。憑き物というとどこか禍々しい雰囲気が感じ取れると思います」
「まぁ、そうだね」
なんとなく、民俗学的な知見を援用したホラー作品を思い返す。そこでは憑き物という言葉には否定的な雰囲気がまとわりついていた。
「一方で、です。幸運があると「ついてる」と言いますよね。道ばたでお金を拾ったとか、欲しいものが無料で手に入ったとか。セキくんが私のような才色兼備の美少女と出会えたとか」
なんとなく、言いたいことが分かってきた。
一般的に憑き物、という言葉からはマイナスのイメージが漂っているように思える。『憑き物筋』という言葉などは蔑称だが、その一方でそうした家々は地方の名家であるケースも多いと聞く。つまり、憑き物の風聞は富と表裏一体である……ということだろうか。
「最後の例文について何かコメントはないのでしょうか」
ありません。
「……このツキの概念が、村社会においてどのようにマイナスの方向に語られるようになったのか、なぜ狐や座敷童のような妖怪と結びついたのか。と、そういうことを語っていく大変興味深い一冊なのですが」
しかし、と彼女は妙な流し目をして僕を見つめてきた。
「私が何より面白く感じるのは『護法信仰論』に収録されている平安時代の物の怪退治の実例です。これが大変参考になります。例えば清少納言の枕草子には物の怪を退治する宗教者を描写した一節があるそうなのですが、ここに登場する宗教者というのが祈祷僧と子供なのですよ」
「彼らは二人で一人のコンビです。まず祈祷僧が真言などの修法を用いて憑かれた人物から物の怪を引き剥がし、巫女に憑けるのだそうです。巫女に憑いた物の怪は様々なこと……例えばその来歴、なぜ祟るのか、誰に祟ろうとしているのか……を語るわけですが、その言葉から僧侶が取るべき対策を判断します。本では
「そういや最近見たホラー映画でそういうのあったっけ。霊能力者がふたり一組で、片方が精霊を憑けて片方がそれを制御する、みたいなシーン」
「ほぅ?なんて映画です?」
「台湾の映画で……『赤い服の少女』の二作目だったかな」
「台湾ですか。道教とかですかね?」
ですかね、と聞かれても返答に困るのだが。キリスト教や仏教、神道などと違っていたのは確かだった。
「その方面には明るくないのですが……そちらも大変参考になりそうです。今度一緒に見ましょう。と、それは兎も角」
ちなみに「兎も角」というイディオムには続きがある。「兎に角、亀に毛」と続くのである。いずれも在りそうに無いことの例えだったか。そんなどうでも良いことを頭に浮かべながら彼女の言葉の続きを待った。
「この世にあり得ざる者たちには役割があるのです。理解できないことを、理解できないままに説明するための論理という役割ですね。例えばなぜあの家は栄えて我々は窮乏するのか。なぜまんだらけはあんなに客が沢山いるのに我々の書店には客が来ないのか……そういうことについてですね」
少なくとも後者については資本の差とかテナント数、ネームバリューでは無いか……と言いかけて「ああ」と理解する。憑き物筋が存在した社会にはそういう概念が無かった。経済活動によって起こる富の偏りを理解出来なかった。だから別の論理……狐狸や座敷童が富をもたらした、と語ったのだろう。
「つまり怪異を生み出すのは人間の認識、ということになります。対して、それを祓う人々もいたわけですが、彼らのしてきたことも、結局は同じわけです。怪異を語る人間を前にして、その言葉を解釈すること。ヨリマシと司霊者の例で言えば、ヨリマシの語る人ならざる混沌の論理を、我々の世界の秩序に整えるのが司霊者の仕事、ということになりますかね」
心なしか顔つきに艶が出てきたように見える。先ほどまで朝ということもあってちょっと気怠げな雰囲気を醸していたが、こうして語っている内にエンジンが掛かってきたらしい。
僕の方も本の包装と宛名書きはすっかり終わっており、一段落付いたところだ。昼くらいに郵便局にいくことにしよう。
僕がその意を伝えると「そうだ」と沙也加が声を上げた。
「ちょっと思い出したことがあるのです。聞いてくださいますか?」
……彼女がそう言うのなら聞かないなんてことは無い。周囲を見回しても人通りは無かった。時折通りかかる者も他の店舗のスタッフである。昼頃になるまでほとんどの店舗は開かないので、客足は少ない。聞く時間はいくらでもあった。
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