Shoes of Glass
真木清明
$hoes of Glass
ある日の午後。古びた工房。そこには一台の少年型の機械。それと一人の少女がいました。
途中まで入った足が引き抜かれる。少年はこの結果を、残念そうに見届けました。なんとなくわかっていたのです。この靴は少女の足より小さい。つまり彼女には履けないことは。
少年はからくり仕掛けの靴職人。動機も目的も忘れ、ただただ靴を作るのが仕事。けれど彼は不器用です。床に散らばる生地たちが、その出来の良さを物語っていました。
「これ、誰かのサイズに合わせて作ってるの?」
「そうです。そのはず、なんですけど……」
誰に合わせたんだっけ。誰のためだったっけ。わからない。昔のことは全部、あめ玉みたいに溶けてしまうから。少年はなかなか、次の言葉を紡げません。
「……多分、この靴は『お姫さま』のためのもので。だから、これが僕のたからもの。……特別なんです」
これぐらいしか覚えていないし、これしか作れなかったけど。僕はできそこないだから――。
「そんなことない。……君はそんなんじゃないよ」
作りものの手を、少女は優しく握りました。
「自分のことを想って、ここまで立派な靴を作ってくれた。きっとそれだけで、その人は喜んでくれるよ」
「そう、なんですかね……」
「きっとそうだって」
お互いに、少し照れくさそうに返しました。返してもらった靴は、甘く抱えられたまま。その甘みが、誰かに苦みの根を降ろしたとも知らずに。
部屋の鍵をかけ、少女は浅く息を吐く。胸の苦みは今にも花を咲かせそうです。
あの靴にぴったり合うのは、多分彼の言う『お姫さま』だけ。叶わないことだとは知っていても。それだけで、自分の足が憎くなっていきました。
……けれど、『お姫さま』になれる魔法はある。何度十二時を回っても灰被りに戻らなくなる、絶対的な手段が。
『これが僕のたからもの。……特別なんです』
綿菓子みたいにふわふわとして、甘かった少年の笑み。彼との付き合いはそれなりに長い。けれども彼のあんな顔を見たのは初めてで。なによりそれは、自分に向けられていないのは明らかでした。
確かな甘みが、夢のような苦みに変質していく。それは、少女を突き動かす動機には十分でした。だから。
「足、小さくしちゃえばいいんだよね」
こうすればきっと、私が『お姫さま』になれる。物置のノコギリをかかとにあてがう。ならばこの身を削ってでも、あの子のお姫様になってみせる。少女はなんのためらいも抱きませんでした。
自分の手のひらに、いつしか少年の目は吸い込まれていました。ぼんやりと、少女の顔が焼き付く。彼女の手に握られた記憶。歯車でも関節でもない何かが、甘く軋む感覚。想いが身体中を巡っていきました。
不意に、少年はベッドから身を起こしました。そうして手に取るのです、『お姫さまの靴』を。
けれども、この王子さまはできそこないです。できそこないですから、歯車はいくつか欠けています。不器用で物覚えだって良くはない。だから、瞬く間に記憶が上書きされたのも仕方がないのです。彼女の、
『……君はそんなんじゃないよ』
「そうだ。僕はきっと、君のために。……そうだったね」
『新しいお姫さま』の、その言葉ただひとつで。
苦笑を浮かべ、忘れん坊は工具を取り出しました。かつて大切だった何か。その記憶。想い出。それが今塗り潰されているのに。
今手にしたそれは、誰のための靴だったのか。
「もうちょっと大きかったよね」
少年は手を見つめ直しました。一番まともな『失敗作の』靴。実に正確に、からくり仕掛けの靴職人はそれに手を加えていく。かつての主人だった『前のお姫さま』のことも。そこに込めた想いも、全て忘却の海に沈んで、溺れて。
『お姫さま』の靴は、次第にその形を忘れる。そして今度は、少し大きめに作り直されていきました。
Shoes of Glass 真木清明 @LifelineLight2005
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