野良犬の巣編7



 大成功で演技を終えたクーたちは、観客の前に逆さまにした帽子を差し出し、おひねりを集める。


「とっても面白かったよ、クー」


 キャスケット帽を深めにかぶり、黄ばんだシャツと色あせたベスト、そして膝丈のズボンというありふれた服装の少年が少女の名を呼ぶ。


「マティアス。また来たの?」


 マティアスはにっこり笑って、クーの持っている帽子に銅貨を入れる。今回はきちんと、周囲の人間がいくら入れているのかを観察してから行動をしているようだ。


「ねぇ、終わるまで待っていてもいい?」


「べつにいいけど」


 マティアスは少女の仕事の邪魔をしないようにと、観客がいなくなるまで少し離れた場所に立っていることにしたようだ。



(ほんとに来るなんて……)



 庶民の暮らしをおしえてほしいとマティアスは言っていた。だが、常識で考えれば、よりにもよって野良犬の巣の住人を頼る理由はない。

 マティアスが貴族であることは疑いようもない話だが、貴族の屋敷には大勢の使用人がいる。下男やメイドなら平民もいるだろうから、その者に案内させればいいはずだ。クーはおひねりを集めながらちらちらとマティアスの方を見て、そんなことを考えた。


「このまえ一緒だった人は?」


 観客がいなくなったあと、クーたち三人のところまでマティアスが寄ってくる。マティアスの口うるさそうな従者がいないことをクーは疑問に思う。


「うん、反対ばかりで面倒だから置いてきた」


「えっ、護衛なしなんですか?」


「お坊ちゃんは全然反省してねぇな」


 悪びれる様子もなくそう告げるマティアス。ロイとブリュノがぎょっとする。


「でも、今日は大丈夫だったでしょう? ねぇ、この前の話、僕は本気だから」


「町を案内しろってやつね。……別にいいよ、仕事はもう終わったし」


 今日のマティアスの服装や行動は、この前よりもかなりマシだ。野良犬に混じればさすがに上品そうだが、五番街にいる人々と比べて特別目立つ雰囲気ではない。

 クーはそのことから、マティアスがわりと本気で庶民の暮らしを知りたいのだと判断して、依頼を受けることにした。


「おい、大丈夫かよ?」


「僕たちは夜から別の仕事だから、一緒に行けませんよ? 昼寝しないともたないですし」


 ブリュノとロイは不安げだ。頼りない貴族のお坊ちゃんと、まだ子供のクーの組み合わせでは、そう思われても当然かもしれない。


「危ないところには行かないよ! それに、ロイはともかく、ブリュノなんかと一緒にいたら余計に目立つじゃん」


 まだ十七歳だというのに、ほとんど大人と変わらない体つきの黒髪の少年はとにかく目立つ。五番街でも、彼が野良犬たちのまとめ役であることはわりと知られているのだ。

 クーは少年二人に約束の二割のおひねりに加え、帰りの荷物運びの分として少し色をつけた小銭を渡す。


「けっこう儲かりましたね」


 巾着に入れられた小銭を数えながらロイが嬉しそうにしている。


「ロイの迫真はくしんの演技がよかったんじゃない?」


「演技じゃないんですけど……。もうまとの役はやりたくないなぁ」


 ロイは胸の手を当てて、大きく息を吐き出した。思い出しただけでも、気分が悪くなるという態度に、他の三人はふき出すように笑う。


「僕からしたら、ロイさんが本気で怖がっていたから、クーの腕前が心配になって、ひやひやした……というのは確かにあったかな?」


「ロイはとってもいい活躍だったって私も思うよ!」


「う、嬉しくありません。それよりも、二人とも十分に気をつけてくださいね」」


 何度も念を押してくるロイは少し心配性すぎる。彼にとってクーは妹のような存在なのかもしれないが、少々過保護だとクーは思うのだ。


「わかってるって! じゃあ、あとはよろしくね」


 荷物運びを丸投げすることに少しだけ罪悪感を覚えながら、クーは少年二人に手をふり、マティアスと一緒にその場を離れる。


「マティアス、昼ごはんは?」


「まだだけど?」


「じゃあ、私が一緒に行ってあげるから、まずは屋台でなんか買おうよ。もちろん、マティアスのお金でね!」


 以前と同じように、クーは少年の手を引いて、屋台が集まる中心部へと繰り出した。



***



 五番街を中心に食べ歩きながら、いろいろな場所を見て回っていた二人だが、クーより先にマティアスがバテてしまい、また川沿いの土手に座って一休みすることにした。

 少年は自らの足をさすりながら、疲労困憊ひろうこんぱいといった様子だ。


「今日はもうだめかも……」


「普段歩いてないからでしょ?」


 二つも年上の少年の様子にクーはあきれてしまう。


「うっ、まぁ、そうかもしれない。ねぇ、僕のこと聞いてくれる? 話せないこともあるんだけど、話せることは知っていて欲しいんだ」


「別にいいけど」


 クーはたいした興味などないというような態度だ。でも、本当はそうではなく、自分のことを知って欲しいというマティアスの言葉は、素直に嬉しいと思っている。


「僕はね、君が知っているとおり、特権階級の人間なんだけど、僕の母は……なんと言ったらいいのかな、めかけってわかる?」


「それくらいわかるけど……、お貴族様は、そういうの許されないんじゃないの? やばいじゃん」


 身分が高い人間ほど、ネオロノークの教えに背く行いは許されない。野良犬の巣の住人の中にも、そういう事情で捨てられて、流れ着いた者が多くいる。

 金持ちほど、敬虔けいけんだとは思わないが、金持ちほど世間体を気にして平気で子供を捨てるものだ、というのがクーの認識だ。


「そうだね。だから僕はいちおう父から息子として認められているけど、跡継ぎではなくて。……最低限のことしか教わってこなかったんだ。でも、それではいけないと思ってね」


「じゃあ、家の人に内緒でここに来てるってこと?」


「……実母の実家が協力してくれているんだ。君も会ったでしょ? アランは僕の従兄いとこで、彼の父の勧めであの日は外に出たんだ」


 従者のアランという青年も、その言動があきらかに庶民ではなかった。妾の子だというのに、従者にまでそれなりの家柄の者がついているマティアスは、いったいどれだけのお坊ちゃんなのか。

 簡単に推測できてしまうことをいろいろと話してしまうマティアスは、どう考えても隙だらけだ。こんなお坊ちゃんを外に出そうとする彼の伯父も似たり寄ったりなのだろう。クーは少年のことが心配になる。


「マティアスの伯父さんも迂闊うかつじゃない?」


「いいや、たぶん危険な目に遭うくらいがちょうどいいと思ったんじゃないかな? なかなか怖い人なんだ」


 彼は少し目を伏せる。外の世界を見てくるように勧めた彼の伯父も、彼にとっての味方ではないのだろう。


「……寂しい?」


 深い意味など考えず、クーはつぶやく。


「身内に恵まれていないことが? だとしたら、君たちだって同じでしょう? 僕だけが不幸じゃない、僕は恵まれているから」


「私は寂しいよ。……でもマティアスは? それは、自分より不幸な人がいたら、思うことが許されない気持ちなの? マティアスは変なの!」


 初めて会った日に、きっと空腹を感じたことすらないのだろうと憤ったはずなのに、だから同情などしないと思ったはずなのに、クーの思考はひどく矛盾している。

 でも家族を知らないクーが、身内にすら心を許せない彼の寂しさを知ることはできないのだ。


「クーは優しいんだね」


「そんなんじゃない。それに、私のことは信用しないでね。仕事に関しては信用第一ってだけ!」


「はいはい」


 マティアスは素直ではないクーを見てほほえむ。帽子のつばが落とす陰で少し見えづらくなった瞳の色は、紫を帯びた青。帽子から少しはみ出す、くせのない髪は亜麻あま色。


(そうか……。壁画の建国王と同じ色なんだ。だからかな?)


 庶民ではあまりいないが、建国王と同じ色を持つ人間は貴族にはそれなりにいる。前回と違って、今回は瞳の色を目立たなくするために帽子をかぶっているのだろう。

 マティアスに「優しい」と言われて素直になれないのは、マティアスの瞳の色がどこまでも澄んでいて、けがれのないものに見えるから。自分よりもよほど美しいものにほめられても、受け入れられないのは当然だった。

 クーが彼のことを穢れがなくどこか神秘的な人だと感じるのは、神殿の壁画に描かれている古き時代の英雄と、彼が重なって見えるからなのかもしれない。





 この日、聖女選定に関する神託が下り、その翌日には王都の隅々にまで神託の内容が知れ渡った。



『今日より一年後、神託によって聖女が遣わされる。その心清き乙女は神の声を聞き、必ずやレドナークに繁栄をもたらすであろう』



 ある者は心から歓喜し、ある者はどうせ茶番だと笑いながら、けれど多くの民はその神託をよろこんで受け入れた。

 民は戦により疲弊ひへいした国が立ち直るきっかけを、変化を切望していたのだから。


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