野良犬の巣編8



 それからクーとマティアスは時々一緒に過ごすようになった。そして、なんだかんだとクーにかまうブリュノとロイも時々交ざり、不思議な友情をはぐくんだ。


「まだ半年も先なのに、お祭りみたいだ」


 聖女選定の神託が下ってから一ヶ月もするとバザールのテントに並ぶ品々に、聖女が描かれたものが増え始めた。そして半年が経つとバザールが開かれるたびに祭りのような賑わいになっている。


 王都の商人はたくましいもので、導きの聖女フィオリーナや建国王にあやかった品々を売りはじめ、客はこぞってそれを買い求めた。

 マティアスは首をかしげる。王都では日頃から導きの聖女が描かれた肖像画や装飾品が売られているが、ここまでではなかったのだ。


「えっと、無理やりにでも賑わったふりをすると、金の回りがよくなって本当にそうなる? ……んだよ!」


「それ、このまえ僕が言った話、そのままじゃないですか」


 ロイがやれやれといった顔をして指摘する。クーが知ったかぶってマティアスに教えたことはロイの受け売りだった。

 少年三人のあきれた表情にクーは頬を膨らませる。


「僕もね、最近こっそり教師を雇ったりして、いろいろと勉強しているんだよ。……与えられたものだけを受け入れて、ただ生かされているのは嫌なんだ」


「お貴族様も大変なんだね」


「うん、……クーはなんだか嬉しそうだね」


「だって“加護ありし御代”になれば、少しは住みやすくなるのかなって」


「……クーは、それを信じているの?」


「わかんないよ。でも、信じないより信じるほうが……わからないものを疑うよりもだまされているほうが楽じゃない? だから私、わりと神殿にも行ってるし」


 神殿にいるすべての聖職者に、神の声を聞く力があるとはクーには思えない。見世物小屋の一座が突然解散して、路頭ろとうに迷ったとき、クーは最初に神殿がやっている慈善院へ行ったのだ。

 その頃は住む場所や仕事、家族を失った子供が王都中にあふれかえっている状態で、とても入れてもらえる状況ではなかった。

 それでも、神殿に見捨てられたら死んでしまうと慈悲を請うクーを、若い神官が殴りつけて追い払った。


「……私たちが救われないのは悪いことをたくさんしているせいなのかなぁ? でもね、ロイが言うには加護ありし御代になって景気がよくなれば、少しは楽になるってさ。でしょ、ロイ?」


「ええ、まぁ……」


 クーは野良犬の巣の住人の中でも、あまり犯罪に手を染めていないほうだ。それでも、金が落ちていたら自分のものにするし、あの場所自体が違法な建物なのだから、清廉潔白せいれんけっぱくな人間とはいえない。

 自身を含めた野良犬たちが救われないのは、そのせいなのだろうかと考えたことがある。でも、過去をふり返っていく度も頭の中でやり直してみても、神の教えに忠実でいたら死んでいただろう、という想像しかできなかった。


「薄汚れた手でいくら祈っても、きっと無駄なんだろうけどさ。って、なんでマティアスが泣きそうな顔をするの?」


「ごめんね、クー……」


「なに? マティアスがお貴族様だからって、所詮は子供でしょう。責任感じちゃってるの?」


 マティアスの眼差しがあまりに真剣で、どこか悲しそうだったので、クーはあわてた。


「……そうだね。僕はなんの力も持たない無能だけど。だけど、……ごめん」


「変なの!」


「僕たち子供ですしね」


「思い上がりじゃね?」


 マティアスが相当身分の高い家の人間だと、野良犬たちは知っている。だからといって、たかが十六になったばかりの少年にいったいなにができるというのだろう。ましてや彼は肩身のせまいめかけの子なのだから。

 少年たちの励ましにマティアスは笑顔で答えたが、その表情はどこか無理をしているように思えてクーは寂しかった。彼女たちの励ましは少年の心に届いていないと思ったのだ。


 この日は少し歩いて王都のはずれにある高台まで行くことにした。マティアスが王都を外から見たことがないと話したことがきっかけだ。クーたち三人もこの場所に用があったので、ちょうどよかった。

 途中で川を渡り、古き神殿の塀に沿ってしばらく歩くと、見晴台まで行ける石畳の階段がある。


 クーたちはまず、神殿の中に入った。高台の下に建つ古き神殿は、年老いた神官が一人で管理している。

 神は皆に平等だと言いながら、神殿にもいろいろあるようだ。王宮の隣にある大神殿は王侯貴族しか入れないようになっている。貴族には貴族の、民には民の、そして野良犬には野良犬の。それぞれふさわしい祈りの場があるということなのだろう。

 高台の下の神殿は、あまり管理が行き届いておらず、ところどころ外壁が壊れているが、出入りは自由だった。だからクーは時々、この場所に来て祈りを捧げている。


 野良犬の少年たちの目的地は神殿の脇にある石碑だ。


「ここはね、私たちの仲間が眠る場所なんだ」


 石碑に野花を供えて時間をかけて祈りを捧げたクーは、マティアスにそうおしえる。


「え……?」


「死んじまった人間をそのままにしておけねぇだろ? ここは貧民街のやつらがまとめて埋められてる場所なんだよ」


 王都に住む権利を持たぬ者、神殿にお布施ができない者。そういう者たちは死んでしまったあとに行き場がない。だからといって、そのままにしていたら腐臭がただよい、王都全体の衛生状態が悪化する。だから、どこかに埋めなければならない。

 王都から少しはずれた場所にある陸の孤島のようなこの場所は、そういった者たちが眠る場所だ。


「ここの神官さん、けっこういい人なんですよね。……たぶん左遷されて、引退寸前のおじいさんですけど」


「だから、私たち時々ここでお祈りしてるんだ」


「金が払えねぇから、雨漏りの補修とか雑草むしったりもしてるけどな」


「そうなんだ」


「まぁ、暗い話はこのへんにしてさ。……ねぇ、壁画を見に行こうよ!」


 祈りを終えたクーがそう提案をする。


「壁画?」


「こっちこっち」


 クーはマティアスの手をぐいぐい引っ張り、神殿の中に連れていく。

 石造りの神殿はかなり古いもので装飾が少ない分、おもむきがある。重たい扉を開けば、高い天井を支えるため、いくつもの柱が立てられた薄暗い空間が広がる。礼拝用の椅子が並べられているが、そこに座る者はなく、四人の足音だけが響く。


 中央の祭壇にはこの国を守護するネオロノーク神の像が鎮座している。クーの目的はそちらではなく、側廊そくろうにある壁画だった。


 主神とだけ呼ばれている父なる神と、その五柱の息子神の伝説からはじまる物語。


 小国が乱立し、争いの絶えない混沌とした世界をなげいた主神が、五人の男たちに加護を与え、それぞれの国を治めるように命じた。そして五柱の息子神に、覇王となるべき男を守護するように命じたのだ。

 加護を与えられた者の一人が、のちの健国王ベリザリオだった。

 ネオロノーク神は、父である主神の命にしたがい、ベリザリオの助けとなるため、自らの声を届ける聖女を遣わした。それが導きの聖女フィオリーナで、彼女は未来を見通す力があったとされる。


 壁画には主神が建国王に加護を与えた場面が描かれている。

 薄暗い側廊、長い年月ですっかり色あせてしまっている壁画。歴史書に残るベリザリオの髪は亜麻色、瞳の色は紫を帯びた青。それはマティアスの色だ。それらをつなぎ合わせれば、壁画の中の建国王がクーの頭の中で鮮やかによみがえる。


「マティアスに似ていると思わない?」


「うそだろ? 建国王はこんなひょろひょろの女みたいな男じゃねぇよ」


「髪の色と目の色は……きっとそうなんだろうなぁ、程度ですよね。この壁画、色あせているし」


 野良犬の巣の少年二人は、クーの目が曇っている、と言いたそうにしている。


「そうかなぁ?」


 彼女はマティアスに出会ってから、この絵が描かれた当初、どんな色をしていたのかをはっきりと想像できるようになった。だから余計に壁画に描かれている人物と彼を重ねてしまうのかもしれない。

 クーがちらりと横目で見ると、マティアスはひどく真剣な表情で、古い壁画を見つめている。


 クーにとってはただ頼りないだけの、到底年上とは思えないマティアスという名の少年。たった半年で成長できるはずもないのに、時々大人びた顔をする瞬間がある。

 彼女はマティアスのそういう表情を見ることが嫌だった。

 本当の彼の生活は別にあって、クーや少年たちと過ごすのは彼にとってはほんの一瞬、非日常なのだろう。

 クーにとってもそれは同じだというのに、なにかが違う。

 マティアスとは同じ時間を過ごしても、同じ感覚を共有できていない。それが嫌なのだ。


「マティアス? どうしたの?」


 クーはおそらく、彼女の中にある鮮やかな建国王の姿をマティアスに見せたくて、同じ気持ちを共有したくてここへ誘ったのだ。でも、彼は壁画の先になにかクーとは違うものを見て、違うことを考えている。


「ああ、ごめん。とってもきれいな絵だったから」


「な、なら、見せてよかった……」


 素直ではない。クーはしっかりと自分の性格を把握していた。とっさに思っていることと逆のことを言ってしまい、後悔するのはいつものこと。でも、気持ちを知られたくなくて、意識して思っていることと反対の言葉を口にしたのは、彼女にとってはじめてのことだったのかもしれない。


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