野良犬の巣編6



 十日に一度行われるバザールの日、クーはロイ、ブリュノと一緒に五番街まで来ていた。


「本当に、本当に、大丈夫なんですよね?」


 ロイが猫のような印象の細い目を、限界まで見開き不安をうったえる。


「まかせて! 私を信じてよ」


「やっぱり、ブリュノに頼んだほうが……」


 ロイは自分と同じように荷物を背負い、すぐ横を歩くブリュノを見る。


「ブリュノは背が高すぎて、私の得意な高さに投げられないの。他の子にも何度もお願いしたことあるし、失敗なんてしたことないから、大船にのった気持ちでいてくれていいよ」


 今日は行き交う人々で賑わう五番街で、大道芸を披露するのだ。金はいくらあっても困ることはない。マティアスからもらったお金で、しばらくのあいだ食べるものに困る心配のないクーだが、変わらず仕事をするつもりだった。


「なんで木のまとじゃいけないんですか……?」


 ロイは自身が背負う大きな板のことを気にしながらクーにたずねる。板は組み立てれば民家の扉ほどの大きさになるもので、ご丁寧に頭にりんごをのせた人の絵が描かれている。そして、頭や胸の中心に無数のナイフの突き刺さったあとがあるのだ。

 ロイは自分の背負う板が、数時間後の自分の運命を暗示しているのではないかと危惧きぐしているのだろう。


「なに言ってんの? 失敗したら頭にナイフが突き刺さるかもって緊張感が、客の心を引きつけるんでしょ。立ってるだけで、おひねりの二割がもらえるんだから、私って良心的でしょ?」


 男なら、一度決めたことはやりとげろ。クーはそう励ますつもりで、ロイの胸元を二回ほど軽く叩いた。

 同時にクーは、ロイに頼んだのは正解だと感じていた。じつは怖がってくれるほうが盛り上がるのだ。

 クーは前に一度、ブリュノに助手を頼んだことがあったのだが、元少年兵の彼は、ナイフを目の前にしてもまったく動じることがなく、的としての面白みに欠けていた。

 ブリュノには絶妙なタイミングでナイフを渡す助手役を、ロイには的の役を頼んでいる。一人でも芸を披露することはできるのだが、助手がいたほうが盛り上がる。二人に二割ずつ、合計四割ほど持っていかれたとしても、若干稼ぎが増えるのだ。

 だから時々、その日の仕事を得られなかった仲間を助手にしている。


「お前、意外と往生際が悪いのな……」


「ほんと! 男なんだから、しっかりしなよ」


「僕は、確率の問題を真剣に考えているんですよ! クーだって失敗することくらいあるでしょう?」


「ロイは的なんだから、そろそろ口ばっかり動かすのやめてくれない?」


 大きな木の下で、ブリュノとロイは的となる板を組み立てたり、客寄せのための看板を立てかけたりしている。

 クーは準備がほとんどできたところで、バザールで買い物を終えた人々を呼び込もうと四つの球を使ってお手玉をしはじめる。

 もちろんこの程度であれば、練習すれば誰にでもできることなのだが。


「それっ!」


 かけ声と一緒に、建物の二階を超えるほどの高さまで投げられた四つの球の行き先は、準備をしていた少年二人の頭だった。


「いてぇ!!」


「なにするんですか!」


 それを見ていた通行人の何人かが笑って、足を止める。もちろんこれは事前に練習していた演出の一つ。もうクーの舞台ははじまっているのだ。

 役になりきれず、ぎこちない表情で怒る少年二人が、地面に落ちている球を拾い、次々とクーに向かって投げる。

 かなりの速さで投げられた球を受け止めたクーは、再びそれを使って芸を披露しはじめる。


 人だかりが二列になったら、はじまりの合図だ。クーはブリュノに目で合図を出して、道具箱の中から筒型の帽子を出させる。

 ブリュノが帽子を手で持って構えたのを確認してから、クーは彼と帽子に背を向ける。先ほどと同じように、高く放り投げられた球は彼女から見えないはずの帽子の中に、吸い込まれるように入っていく。


 観客から、おおっという歓声があがる。


 しばらく球やりんご、バトンを使っての演技を披露したあとに、クーの一番得意なナイフを使った芸がはじまる。

 まずは球と同じように二本のナイフを交互に投げる技だ。球のときは最大四つだったので数として余裕はあるはずだが、ナイフは柄の部分を確実につかまなければならないので難易度は格段に増す。

 もちろん刃は潰してあるのだが、失敗すると怪我をするくらいには危険なものだ。

 先ほどまでの歓声は止んで、観客たちはクーの手元に意識を集中させている。


 そして最後に的に向かってナイフを投げる技を披露する。少し小型のナイフを合計六本指に挟み、高速で投げる。

 的の、人の絵が描かれている部分をすれすれで外して六本のナイフが次々に突き刺さると、観客からはため息交じりに拍手が起こる。


 怯えるロイの頭の上にブリュノがりんごを乗せる。これから、少年の上のりんごだけを狙うとクーが宣言すれば、女性客からは悲鳴が上がる。


「では、まずはあちらの的に描かれているりんごから!」


 客を安心させるため、まずは的のりんごを狙うのだ。シュッとクーが勢いよく投げた一本のナイフは、りんごではなく、描かれた人の頭に正確に刺さる。


「あれ? ……今日は風が強かったかな?」


「ひっ! ちょ、ちょっとクー!?」


 もちろんこれは、盛り上げるための演出だ。一度失敗するのは、お約束のような展開なので、大道芸を見慣れている人は驚かない。けれど、女性や子供の中には手で顔を覆い隠し、その隙間からのぞき見る者もいる。

 観客の反応よりも、大げさなのはこれから的となる予定のロイだ。このお約束展開はなんども助手をしているブリュノは知っているが、ロイにはあえて言っていない。

 なにも知らない彼の本気で青ざめた表情で、場が盛り上がるのだ。


 本気で逃げだそうとするロイをブリュノがかっしりつかんで、木の的に貼りつけ、後ろにある木の幹ごとロープでぐるぐると巻く。これでもう、彼は逃げられない。


「動くと余計に危ないって、クーが言ってたぜ?」


「ひ、ひっ!」


「男らしく腹くくれよ」


 ブリュノがりんごをロイの頭に乗せる。ロイは頭だけはかろうじて動かせる状態だが、余計に危ないと言われたら、動くに動けないだろう。


「……と、時を司りし神、ネオロノークよ。どうか、どうか僕に、祝福っ……あ、たま、え……」


 ロイは消えそうな声で神への祈りを口にしてぎゅっと目を閉じている。 クーは慎重に狙いを定め、何度も大きく呼吸をしたあとに、いつもと寸分違わぬ構えをする。

 活気に満ちあふれたバザールの喧噪けんそうが聞こえるはずの場所だが、その一帯だけ、無音になったように静まりかえる。


 クーが自然な動作でナイフを持った手をすっと引いた次の瞬間、音も立てずにナイフがりんごに突き刺さる。

 観客たちは少年の無事にほっとし、少し遅れて拍手が聞こえはじめる。りんごに刺さったナイフに釘付けになっていた観客も、隣の者の拍手の音で我に返り、大きな拍手を贈る。


 この日、一番の大歓声だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る