野良犬の巣編2



 ブリュノたちのおかげで、二人は誰かに見られることもなくクーの家へたどり着く。

 家というより、小屋である。壁は隣の小屋と一部を共有していて、明らかに廃材を利用して作られている、粗末な小屋。すきま風が入り込むどころか、出入り口には扉がなく、目隠しの布がかけられているだけだ。


「カ、カビくさい……」


「そう? 私はべつに気にならないけど」


 こうみえてもクーはきれい好きだ。川の水を使って洗濯もこまめにしているし、部屋はいつでも片付いている。カビくさいのは、基礎がないせいで雨水が中に入り込み、木材を下のほうから腐らせるせいなのだから、彼女にはどうすることもできない。

 ちなみに部屋の中が片付いているのは、出入り口の扉が腐ってなくなってしまったので、泥棒対策のためだった。金目の物は肌身離さずもっているしかない。

 あきらかに寝床を兼ねているソファは、中に詰められた綿が飛び出していて、適当な布をかぶせてごまかしている。それ以外には机が一つ、椅子が二つ。たったそれだけしかない小屋だ。


「そこに座っていいよ、お兄さん」


 クーは少年にソファをすすめて、彼女自身は少し離れた場所に椅子を移動させ、そこへ座る。


「ありがとう。僕の名前はマティアス、君は?」


「うーん、クーだよ」


「クー……なに?」


 おそらくマティアスは、クーというのは愛称で、正式な名前は違うのだと思ったのだろう。女の子にしては、かわいらしさもなにもない短い名だったからそれも当然だ。


「ただのクー。ずっとそう呼ばれているから」


「ご、ごめんね。……それで、僕のことなんだけど」


「二回聞くのは面倒だから、あとの二人が来てからでいいよ。マティアスはここのこと、どれくらい知ってるの?」


「え、えっと、貧民街でしょう?」


 いかにも自信がないといった顔をする。

 王都の一般庶民なら決して入り込んだりしないし、名前も知っているだろう。それすら知らない箱入り息子に困惑しながらも、彼女は雑談まじりにこの場所について説明をすることにした。


 レドナークという、国名と同じ名前の王都には七つの地区がある。その中で七番街はいわゆる貧民街。貧民街に隣接していて、住所すらない地区がこの野良犬の巣だ。

 つい最近まで隣国との戦争があったから、今この国は職を失った傭兵や戦争孤児で溢れかえっている。

 王都なら、国教であるネオロノーク教の神殿が多く存在しているから、庇護がもらえると想像して。あるいは単純に地方より仕事が多いはずだと考えて、孤児達はこの場所に集まった。

 現実は人間扱いなどされず、野良犬にしかなれなかったのだが。


「ここにいるのは、不法占拠している戦争孤児と負傷して働けない元傭兵とか、それくらいかな?」


「クーは戦争孤児なの?」


「ううん、私はたぶん違う。……私は見世物小屋で育ったんだけど、戦争中に娯楽なんてもうかるわけないでしょ? 一座が解散してここへ流れ着いたってわけ」


「たぶん?」


「親がどういう人かなんて知らない。だから、たぶん」


 クーは物心がついた時には見世物小屋の一座にいた。座長が言うには、捨て子だったそうだが、拾われたのか買われたのか、実際のところはわからない。

 そして、クーがこの野良犬の巣のまとめ役をしているのは、ナイフの扱いが上手いことと簡単な読み書きや計算、応急処置ができることが理由だ。実質的なリーダーはブリュノで、補佐役として一人くらい女がいたほうが、都合がいいというのもある。


「一緒にいた二人は、どんな人なの?」


「大きいほう、ブリュノは元少年兵でここのリーダーみたいなやつだよ。ロイはいいところの生まれで、親が『しゅくせー』されたとか、なんとか」


 その時、マティアスのお腹がグーっと鳴る。繊細な造りの彼の顔は一気に真っ赤に染まり、恥ずかしそうに下を向く。


「ごめん……」


「いいよ。でもこっちはいいところのお坊ちゃんに恵んであげられるものなんてないんだ。どーせ、口に合わないだろうしね」


 恵まれた環境で暮らしているらしい少年に対して、クーは少し意地の悪い気持ちになる。

 一日くらいなにも食べなくても死んだりはしない。クーはマティアスに「なにも食べていないだなんて、かわいそう」と言ったりはしない。むしろ逆で、お腹が鳴ったくらいで恥ずかしそうにする少年の態度が気にさわる。


 マティアスは彼女の気持ちには気がつかない様子で、なにかを思いついたように外套がいとうを脱ぎはじめ、腰につけていた巾着をごそごそと漁る。


「こんなのしかないけど、よかったら一緒に食べようよ」


 マティアスが取り出したのはナッツがたくさん入った焼き菓子だった。手のひらにちょこんと乗る大きさのそれを半分にして、片方をクーに差し出す。


「……ありがとう」


 甘いお菓子を食べる機会など多くない。クーはもらえるものはもらう主義なので、ありがたく受け取る。


「ふぁ……おいしい!」


 香ばしいナッツと甘いサクサクとした生地の焼き菓子は、たった一口で無くなってしまった。


「よかった。僕の乳母が持たせてくれたものなんだ」


「ふーん」


 にこにことほほえむマティアスには、まるで警戒心がない。もらえる物だけもらっておいてどうかとは思うが、クーは彼の態度にまた腹が立つ。


「ねぇ、私やここの住人をもっと警戒しなきゃ死ぬよ? 私に言わせれば『乳母がつくほど、金持ってるお坊ちゃんです』って自慢しているようにしか聞こえない。殺されて身ぐるみはがされるよ」


「ご、ごめん。……そんなつもりじゃなかったんだ。でも、クーはそんなことをする子には見えない」


「……ちがうよ! ここの住人で悪いことを一度もやってない人間なんていない。マティアスから金を奪ったら危険だからしないだけ。バカじゃないからしないだけ!」


「でも!」


 クーは、なにも知らないのに「そんなことをする子には見えない」などと勝手なことを言うマティアスにいきどおる。マティアスは容姿も心もとても純粋で綺麗な者に見えたのだ。

 例えば生まれながらにして自分の周囲が泥だらけなら、どうやったら手を汚さずに生きてこられたというのだろう。綺麗なマティアスとの差を見せつけられると、まるで心にまで貴賤きせんがあると言われているようで、クーは声を荒げた。


 椅子から立ち上がり、スカートの下から足にくくりつけてあるナイフを取り出す。そしてなんのためらいもなく、マティアス目がけて投げた。


 ナイフはマティアスの亜麻色の髪を何本か床に落とし、部屋の壁に突き刺さる。


「ほら! お坊ちゃんが、なめたこと言ってると……次は当ててやる」


 ほんの一瞬のことに、マティアスは目を見開いて固まっている。しばらくしてから後ろをふり返り、壁に突き刺さるナイフを見つめた。


「クー。怒ってる? ごめんね、僕はちょっと無神経だったみたい」


「別に、私はあんたみたいなお坊ちゃんと、なれ合う気なんてないっておしえただけ」


 本当は違った。ナイフを投げられても困った顔をして謝るだけの少年の態度はさらに少女を不快にさせるものだった。ただ、少年に対する自身の憤りが理不尽なものであるという自覚が多少なりともあったので、踏みとどまっただけだ。


「おい、クー。あんまりべらべらしゃべんな。外に聞こえてる」


 出入り口の布をかき分けるようにしてブリュノとロイが小屋の中へと入ってくる。


「おかえり、追っ手は?」


「追い払いましたよ。こちらの縄張りを荒らしているのはあちらですから。やっぱり七番街のゴロツキでした」


「あの、助けてくれてありがとうございました」


 マティアスはぺこりと頭を下げる。


「どういたしまして。ところでクーは彼からなにか話を聞きましたか?」


「うーん、名前だけ。マティアスっていうらしいよ。……二度手間でしょ?」


 ブリュノは扉のない入り口付近に立ち、ロイとクーはそれぞれ椅子に座る。そしてマティアスにこれまでのことを説明させた。


「詳しい身分はいいですよ。知っても面倒なだけですから」


「わかりました。えっと、僕はいわゆるお忍びで五番街のバザールを見て回ってたんだけど、従者とはぐれてしまって」


 五番街、というのは王都の中で庶民の台所のような地区だ。比較的治安もいいし、決して景気がいいとはいえない今のこの国でも、あそこだけは別世界のように賑わっている。クーもよく大道芸を披露して小銭を稼いでいる場所だ。


「それで、従者を探しているうちに怪しい人たちに追いかけられて、逃げ回っていたら……」


「なんのひねりもないですね」


 ロイが思わず口にした言葉にあとの二人が頷き同意する。

 ようするに、やはり彼は単なる世間知らずのお坊ちゃんなのだ。


「聞いているかもしれませんが、僕たちは別に善意で助けたわけじゃないんです。ここにあなたみたいな方が迷い込んで、偉い方々にここの存在を思い出されると困るんです。不法占拠だとしても、僕たちには行き場がないので」


「わかります……」


「ここの出口までは案内する。もう戻ってくんなよ、はっきり言って迷惑だから」


「え? でも、ここの出口って七番街通るじゃん!」


 クーは思わず大きな声を出してしまう。

 マティアスが追われていた理由は単純に金持ちの坊ちゃんであることがばればれだからだ。さっきのゴロツキに見つからなかったとしても、治安の悪いこのあたりを通り抜けて、無事に五番街や彼の住んでいる王都の中心部までたどり着ける気がしない。


「俺もロイも、夕方から用心棒の仕事があるんだよ」


 野良犬の巣の住人にとって、見ず知らずの貴族の坊ちゃんの命より大切なものはたくさんある。身分の保証がないからこそ、得た仕事は大切にしないと信用をなくすのだ。


「……あの、僕が従者に会えるまで護衛をお願いできないかな? もちろん、お礼はちゃんとします!」


 マティアスはまた巾着の中をごそごそと漁る。そして金色に輝く硬貨を取り出す。


「なっ!」


「…………」


「これは、確実に死にますね」


 クーは驚き、ブリュノは無言、ロイは冷静に突っ込みをいれる。


「あんた! 本当にバカなの? 金貨なんて、持ってたら襲ってくれって言ってるようなもんだし、そんなもん、どうやって換金するの? ここじゃ使えないよ!」


 ここの住人は善人ではない。隙だらけの他人から金品を奪う程度のことなら、なんのためらいもない。金貨や高価な宝石は日頃クーたちが買い物をするような店では使えない。使うためには質屋や両替所に持って行かなければならないのだ。そしてそんなものを小汚い子供が持っていたらどうなるか。即、兵を呼ばれてしまうだろう。

 クーは目の前の金貨を奪ってしまいたい気持ちと、持っていることで生じる危険性、それらを天秤にかけてごくりとつばを飲み込むのがやっとだ。ブリュノとロイも似たり寄ったりだろう。


「ご、ごめん」


 言われていることの意味くらいはわかるらしく、マティアスは焦った様子で金貨をしまい、三人の様子をうかがう。


「あぁ、もういい! ちゃんとお礼してくれるんなら、私が送るよ」


「本当に?」


 さきほどまで少し怯えるような表情をしていたのが嘘のように、ぱーっと表情を明るくするマティアスに、クーはまた腹がたった。



(私たちが野良犬なら、マティアスは誰にでもすぐにしっぽを振ってついて行っちゃう飼い犬じゃないの?)



 クーは大きくため息をついた。彼の行動のすべてがイライラするのに、どうしても放っておくことができない。


「よかったですね、マティアスさん」


「じゃあな、もう来んなよ」


 話は済んだとばかりに、少年二人はさっさと外に出てどこかへ行ってしまった。


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