野良犬の巣編1



「よそ者が入りこんでる? 本当か、クー?」


 クーと呼ばれた赤毛の少女は、仲間二人と一緒に先が見えないほど入り組んだ細い道を歩く。

 彼女にそうたずねたのは、この“野良犬の巣”と呼ばれる最貧民街の住人で、ブリュノという名の少年だ。浅黒い肌、黒い髪は後ろだけが長く適当に束ねられている。同世代の少年より頭一つ分大きな体をもつ彼は、この最貧民街のまとめ役をしている。


「らしいよ。……そんで、どっかのやばそうな大人まで引き連れてきたってさ」


 クーは面倒くさそうにくちびるをとがらせる。


「僕が聞いた話だと、一人は身なりのいい子供で、あとは七番街あたりのゴロツキだってことでしたよ」


「ふーん。ロイも聞いたんだ? 私が聞いた話もだいたい同じだよ。追われているのは貴族か商家の坊ちゃん? 別に好きにやらせとけばいいじゃん」


 一人だけ、丁寧な話し方をするのはひょろひょろとした体と細い目が印象的な灰色の髪の少年。見た目は野良犬というよりも、猫のような雰囲気だ。


「どっかの金持ちのぼんぼんが、どこでどう死んだって構わねぇよ。だが、ここ・・でされるとまずいからな」


「僕も同感です。保護して送り届けるか、外に追い出してからにしてもらうか、どちらかです」


 二人がそういうのなら、クーはそれにしたがうしかない。三人で、戦争孤児が多く集まるこの地区のまとめ役をしているが、十三歳のクーよりもブリュノとロイは三つほど年上だ。その分、頭も回現在る。


「……よ、よーするに。ここで金持ち坊ちゃんに死なれると、兵隊がやってくるかもしれないから、まずいってことでしょ? わかってるよ!」


 まとめ役の一人なのに、自分だけがわかっていないと思われるのは、彼女にとって屈辱だ。クーがあわてて、本当はわかっているのだと主張すると、ロイは細い目をさらに細めて優しく笑い、ブリュノも口の端を少しだけつり上げる。


 野良犬の巣と呼ばれているこの地区は、王都の貧民街――――七番街に隣接した住所すらない最貧民街だ。建物は違法建築、住民は王都に住みながら、王都の民ではない。

 負け戦から立ち直っていない今のこの状況で、不法占拠だからといって野良犬の巣を撤去することはできないだろう。

 野良犬同士や隣の七番街の人間とのトラブルであれば、まったく問題にならない。ここでは病気だろうが殺人だろうが人が死ぬのは毎日のことなのだ。

 でも、よそ者――――富裕層の人間がここで事件に巻き込まれたとしたら話は別だ。

 兵隊が押し寄せてきて、下手をすればこんな場所があるからいけないのだと、取り壊されるかもしれない。


「なんで、こんなところに逃げ込むかなぁ……」


 ブリュノがぼやく。目撃情報どおり、身なりのよい子供が逃げ込んだのだとしたら、ここにいる野良犬たちにとってもいい獲物だ。早く保護しないと大変なことになる。


 廃材をつなぎ合わせて適当に造られた小屋が無秩序に立ち並ぶ。道は細く、新たに家を建てようとする人間に道幅をそろえようなんて気がないので、右に左にせり出して先が見通せない。


 何人かの住人から情報を集めながら場所を絞り込めば、勝手知ったる三人はすぐに自分たちの巣を荒らす者のところにたどり着けるはずだ。


 クーがふと、人一人が歩けるか歩けないか、という幅の細い路地の先を見つめると、建物の陰に隠れて、かすかに何かが動いているのを発見する。

 彼女は無言のまま、その細い路地へ足を踏み入れる。

 よどんだ空気の中に、かすかにふわりと花のような香りがただよう。


「おい、クー!」


 ブリュノが、なにも告げずに勝手に自分たちのそばから離れたクーをとがめる。


「みーつけた!」


 まるでかくれんぼでもしていたかのように明るい声。

 彼女の視線の先には、少し不安気な表情で身を小さくしている少年がいる。少年は目の前にいるのが自分より小さな子供であることに拍子抜けしたような顔をして、じっとクーを見つめている。


「き、君は……?」


「うわぁ、なにこの子。美人さんだ……」


 クーは思わずその場にしゃがんでまじまじと少年を見つめる。

 まとっている外套がいとうは質素なものだが、履いている靴は上質な革のブーツで、外套からはみ出している真っ白なシャツには光沢がある。もしかしたら絹かもしれない。耳にかかる長さの亜麻あま色の髪、紫を帯びた青い瞳。少女ではないことはわかるが、決して男らしいとは言えない。そして甘い花のようないい香りをまとっている。


 外套だけが妙に庶民的であることから考えると、お忍びで庶民ごっこをしていたが、全然隠しきれていない貴族のぼっちゃん――――というところだろうか。


「美人って!? 僕は男なんだけど。それに、どう見ても君のほうが年下に見えるし」


 それまで少し怯えていた表情の少年は、自分より小さな少女の存在に安堵したのか、頬を膨らませて不満そうだ。

 二人の会話をさえぎるように、いつの間にかブリュノとロイが少年を挟み込むように立っていて、がしっと拘束する。


「わっ、なにをするんですか!?」


「迷子のお坊ちゃん。悪いが、ちょっときてもらうぜ」


「悪いようにはしませんよ、たぶん」


 ロイの「たぶん」はあくまで「たぶん」でしかない。少年たちの背中を追いかけながら、クーは「たぶん」の確率を頭の中で計算してみる。

 いい香りのする美人さんが、無残なしかばねになってそのあたりに捨てられるのはもったいない。彼女はついそんなことを考えてしまったのだ。


「ところで、どこに連れていくの?」


「ここから、人目につかずに移動できる場所といえば……クーの家ですね」


 ロイがちらりと後ろをふり返り、当然のことのようにそう言い出す。確かにこの先の路地をいくつか曲がったところに彼女の家はあるし、ブリュノたちの家よりは近い。


「えー? イヤだなぁ……四人も入れるかなぁ?」


 クーは狭い自宅の中に大柄なブリュノを含めた少年三人が座っている光景を想像してみる。いい香りのする少年はともかく、ほかの二人はなんとなく嫌だと思った。


「おい、クー。お前、このお坊ちゃんを連れて先に行ってろ」


 ブリュノがそう言ったのとほぼ同時に、クーとロイも人が近づいてくる気配を察知していた。ここの住人にしては大きな足音、おそらく少年を追っている奴らだろう。


「わかった。お兄さん、ついてきて」


「う、うん」


 ブリュノたちに代わって、クーが少年の手をしっかりとにぎり、引っ張るようにして連れていく。彼を追っていた人間よりもクーたちのほうがましだと判断したのか、少年はうなずきおとなしくそれに従った。


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