第43話

 カナは起き上がろうと頭を浮かせていたのだが、体に負担のかかる体勢のためゆっくり仰向けになった。

 しまった。仰向けだと逃げにくい。せめて上半身は起こしておくんだった。

 そう気づいても遅い。

 リョウはカナの上に乗るわけでも、首を絞めるわけでもない。震えながらもその優しさにきゅんとし、いやでも上に乗られるのもありだなと頭の片隅で想像した。


「カナさん」

「は、はい」

「僕は我慢したと思いませんか?」

「は、はい」

「あなたに殺害されそうになっても、上に報告せず僕の傍に置いてたんです」


 なんだかいつものリョウと雰囲気が違う。


「カナさんを想ってのことだったんですよ。それなのにあなたは懲りず、銃口を僕に向けました」

「す、すみませ…」

「いいえ、謝罪は不要です」


 ぴしゃりと言い切られ、カナは震える唇を閉じる。

 まさか本当に殺されるのでは。

 我慢の限界がきてしまったのでは。

 こんなことならさっさと殺してしまえばよかった。暗殺者を雇ったり、拳銃を取り寄せたりすればよかった。慎重になりすぎたのだ。


「僕は生きているカナさんと向き合っているのに、あなたは死んだ僕と向き合おうとする。少し、いやかなり、腹が立つ」


 急に顔を歪め、声のトーンが下がった。

 カナは「ひっ」と喉の奥から変な声が出た。

 怒っている、物凄く怒っている。

 先程まで優しげな雰囲気を少なからず纏っていたのに、今はそんな雰囲気が微塵も残っていない。

 リョウがこんなに怒るなんて初めてだ。

 カナは無意識に胸の上で両手を握りしめる。

 とにかくここを乗り切る。リョウが言ってほしそうな言葉を並べてこの状況をどうにかしなければ。


「カナさんは愛を知っていますか?」

「あ、あい?」


 思わぬ単語に目を瞬かせる。

 あい、合い、会い、藍、哀。まさか愛か。


「愛というのは動物が、人間が、生きている者たちで育むものです」

「…はい」


 やはりリョウが変だ。

 いきなり愛を語り始めた。


「カナさんが死んだら僕は愛を育むことはできませんし、逆も然りです。一人で愛は育てることができません」

「…はい?」


 聞き間違いだろうか。


「二人が生きていて初めて愛が育めるのですよ」

「ま、待ってください。その話って私と先輩が相思相愛だったらの話ですよね?」

「そうですが?」

「...えっ」


 えっ。

 肯定された。


「カナさん、死んだ僕ではなくて生きている僕を愛してくれませんか?」


 愛の告白の割には涼しげな表情だ。

 それも、愛している女の額に銃口を突きつけながら吐く台詞ではない。

 それなのに、カナの心臓はうるさく高鳴る。

 告白された、愛している人から愛の告白をされた。

 今ここで飛びあがって喜びの舞を踊りたい気分だ。


「せせせせせせ先輩!!」


 はぁはぁと鼻息が荒くなり、リョウに向かって手を伸ばすが、その手は払い落とされた。

 あれ。


「何度も言いますが、生きている者同士で愛を育みます」

「はぁはぁはぁ、はいっ」

「カナさんが僕を殺そうとするならば、看過できません。僕一人で愛は育めません」


 生きている自分を愛してほしい。

 そんなお願いをされたが、カナとしては頷きにくい。

 死んだ人間が綺麗だ。それが好きな男であれば尚更死体にしたい。

 返事をしないでいると、リョウは再度問う。


「生きている僕を愛してください」

「私も愛してます先輩っ!」


 涎が床にぱたぱたと落ちていく。

 目はぎらつき、興奮しているカナであるが「分かりました」の一言が嘘でも言えない。


「その様子だと、今後も僕の殺害計画でも立てそうですね」


 顔色を変えず、銃口をカナの額から外す。

 解放してもらえるのか、と期待したがリョウは拳銃を構え直し、発砲した。

 鼓膜が破けそうな音を立てて発砲された弾丸は、カナの顔の横にめり込んだ。

 ぎぎぎ、と機械のように横を向く。

 床には穴が空いていた。

 あと少しずれていたら、カナの顔にめり込んでいた。

 興奮は冷め、代わりに冷や汗が毛穴から噴出される。

 心臓は暴れ、ときめきではない鼓動を感じる。


「しぇ、しぇんぱ…」


 声が裏返った。

 情けなく涙が一筋目尻から流れた。

 拳銃は本物で、リョウは簡単に引き金を引くことができ、カナは劣勢である。

 自分の死が隣にあることを強く感じた。


「生きている僕を愛せ、と言いました。これに対し、あなたが助かるにはyesかはい以外ありません。返事を聞かせてください」


 Noかいいえを言えば助からない。

 愛は一人じゃ育めない、と言っていたくせに。横暴だ。


「返事は?」


 カナの額に銃口を当て、一切の感情を捨てた表情でカナを見下ろす。


「は、はは...はは…えと…」


 口角がひきつる。

 「いいえ」と言いたいところだが、そんなことをすればすぐに引き金が引かれてしまう。

 絶対に、生きている人間よりも死んでいる人間の方が美しい。

 しかし、まあ、生きている人間と恋人らしいことをしてからでもいいのではないか。プライベートでデートをするのもいいかもしれない。水族館や動物園、テーマパークもいいな。定番デートスポットで、リョウがどんな反応をするのか興味がある。

 それを味わってからでも、遅くないのでは。

 恐怖故に逃げの思考をしていることは否めないが、本心でもある。

 実際に、リョウと結婚する場面を思い描いたことだってある。

 結婚もいいな。リョウが夫になり、子どもを育てる。一体どんな夫になるのか。

 とても気になる。

 腹は決まった。


「はい…生きてる先輩を愛します」


 うっとりと返事をするカナに満足し、リョウは拳銃を懐にしまった。


「嘘だったらその時は、容赦しませんよ」


 柔らかく笑っているが、言っていることは物騒である。

 暫くはリョウ以外の死体を手に入れることを誓った。

 また明日にでも自殺名所に行こう。ほやほやの死体があるかもしれない。

 飾り物はまだ二体しかない。

 あと三体はほしいものだ。

 リョウがカナから離れると、カナは身体を起こす。

 痛かった体が一層痛い。

 負傷した女に足を引っかけて転がし、更に銃口を向けるなんて優しいとは言い難い。

 でもそんなところも好き。

 リョウが幹部の拳銃も懐に入れていると、携帯が鳴った。


「幹部の死体についてですか?」


 カナが問うた通り、メールの内容は幹部についてだった。


「えぇ、そうです」

「安置室行きます?」

「はい」


 リョウはカナに返事をすると、「謹んでお受けいたします」と携帯に打ち込み、送信した。


「カナさん、別の人間とペアになるのと、仕事内容が変わりますが僕と一緒に仕事をするの、どちらがいいですか?」

「先輩と一緒がいいです!!」

「分かりました」


 リョウは携帯をポケットにしまい、口元を緩める。


「忙しくなりそうですね」

「え?そうですか?」


 リョウはカナの頭を一度撫でると、幹部の死体を運ぶため代車をとりに部屋を出た。

 撫でられた頭を押さえ、その場で何度も跳ねる。

 晴れてリョウと恋人同士になったのだ。ただの後輩の時ではできなかったあんなことやこんなことが合法的にできるのだ。日々違法に塗れているが、恋人は合法なのだ。

 きゃっきゃと跳ねていたが、ふと引っかかることがあり、動きが止まる。


「…恋人?」


 自分たちは恋人なのだろうか。

 生きている僕を愛して、と言われたが、恋人になれとは言われていない。

 愛を育むには、と語っていたが、愛しているとも好きだとも言われていない。

 明言されていないのだ。

 本当に愛しているなら、言葉にするものだ。

 今までカナがリョウに好きだと伝えたように、想いはあふれ出てしまうものだからだ。

 喜んだのも束の間、呆然と立ち尽くし、リョウが戻ってくるなりボールペンの先を向けた。

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職業は、死体の回収係です 円寺える @jeetan02

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