クリームソーダ

月野志麻

クリームソーダ

 「懐かしい」と思わず声が出た。運ばれてきたクリームソーダを見て、何年ぶりだろうかと考える。

「小さい頃、ここに来るといつもこれを頼んでいたの」

柄の長いスプーンで、バニラアイスを掬う。昔は、テーブルも高いし、グラスも背が高いし、スプーンも長くて、食べづらかった覚えがある。それでも、エメラルドの宝石みたいにキラキラしているクリームソーダは、必ず頼みたいと思うくらい私には魅力的なものだった。

「ここに来るのは二十年ぶりくらいだけれど、何も変わってなくて驚いちゃった」

 老舗デパートの十階。レストランの窓際ボックス席。向かいの席に座る男の子は、手を膝の上に置いて、俯いたままだ。アイスコーヒーのグラスが汗をかいて、紙製のコースターを濡らしていることにも気付いていないのだろう。

「何歳なんだっけ?」

「もうすぐハタチです」

「ってことは、大学生?」

「はい。二年です」

「そう」

 ようやく顔を上げたその子は、泣き出してしまいそうな顔をしていた。

「……ごめんなさい」

とても小さな声だった。テーブルに額がつくんじゃないかってくらい、深く頭を下げるから、私も一瞬、言葉を失ってしまった。レストランの中は賑わっているのに、何だか長い静寂が訪れたような感覚がした。

「ここに来たのが、僕で、すみません」

「……来てくれて、よかったよ。そうじゃなかったら、ずっと待ちぼうけしちゃうところだった」

「結婚、されるんですね」

これ、と言って、彼は躊躇いがちに、アイスコーヒーの隣に置かれたハガキを一枚、指差した。私が、彼が来る前に置いておいた、結婚式の招待状だった。

「あなたは、どうして、来てくれたの?」

 二十年前。お父さんが家を出ていくときに、私にこっそりと教えてくれていた携帯の番号。そんなもの、もうとっくの昔に変わっていると思っていた。私も、お母さんに悪いんじゃないかって思って、ずっと掛けられずにいたし。すでに違う人の番号になっていたら申し訳ないって思いながら、きっとつながることなんてないだろうって思いながら、接続された留守番電話サービスに、デパートのレストランに来て欲しいって吹き込んだ。新しい家庭を築くから、私も私の家族に会っておきたかった。

 あの人にもしかしたら会えるかもって、ちょっとだけ期待していた。だからこそ、この子はここに来ることがとても怖かったはずだ。あの人とはもう会えないことを、わざわざ私に伝えに来るなんて。

「……父さんは、きっと、あなたに会いたかっただろうって思ったから」

「え?」

「いつも、携帯が鳴ると急いで確認していたんです。なんでだろうって、ずっと不思議だったんですけど……あなたからの連絡で確信しました。だから、きっと、二十年も携帯の番号を変えてなかったんじゃないかなって」

もう少し頑張ってくれてたら会えたのに、と彼は軽く目を伏せた。

「嫌じゃないの? お父さんに、他に家族がいたこと」

「……思ったより、嫌じゃなかったです。それなら、あなたも。父さんが、新しい家族を作っていたこと、嫌じゃないですか?」

「あなたと一緒かな。私も、そんなに嫌じゃなかった」

 幸せでいてくれてよかったと思った。最期をひとりで迎えたわけではないと分かって安心もした。

 ようやく彼は、少しだけ表情を安心したように和らげた。よかった、と小さな声で呟いて、胸をほっと撫で下ろす仕草をした。それから、姿勢を正して、真っすぐな目で私を見る。

「幸せになってください。それが、あなたのお父さんの願いだと思います」

瞳と同じくらい、真っすぐな声だった。

 あ、と思う。柔らかく口角の上がったその表情に、面影を見る。小さい頃、宝石みたいなクリームソーダの奥で、笑いかけてくれたお父さんが、彼に重なって見えた。

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クリームソーダ 月野志麻 @koyoi1230

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