奇物工房ブラフマン
ワビヒコ
第1話 霊フォン
「おやおや、お客さんお目が高い」
何の気なしに立ち寄った古びた雑貨屋。入り口脇の棚に一台だけポツンと置かれたスマートフォンを手に取った私に向けられた言葉だ。言葉の主は、店内奥、暗闇から頭を掻きながら現れた。よもや無人かと不安にさせる程の森閑であった店内だが、どうやら人はいたらしい。
「それはねお客さん、ウチのアトリエで作られたもんでね、ちょーっとばかし変わったものなのよ」
歳の項にして三十代半ばあたりか。甚平につっかけと、店員と認識するには些か怪しさが勝るが、商品の説明を始めたからにはきっとそうなのだろう。カウンターにもたれ掛かり、僕ではなく天井を見上げながら語る姿は少しばかり雰囲気がある。
「ガワは皆さんよく知るあれです。国内シェア率一位のあのスマホ。中だけイジらせてもらってね」
僕が使用しているスマートフォンと同じメーカー。手に持つこれは3世代前の物だ。というか販売していいのか。
「もちろん許可なんて取れるはずないから他言無用でお願いしますよ」
早速疑問が払拭されたが、まだ謎は残る。彼が言うところの中をイジるとは、物理的にストレージやメモリを増やしたのか、またはいわゆる脱獄と呼ばれる手口でメーカーの設定したルールから抜け出したのか。値段次第ではオモチャとして購入するのもありかもしれない。
「性能、気になりますよね? これね、通信相手は幽霊なんですわ」
僕は無言で棚に置きなおし、出口へと向かう。
「ああ、ああ、待って待って。ちゃーんとご説明しますんで。もうちょっと付き合ってくださいよ」
そう言って彼は店内に置かれた椅子に腰を下ろした。右手のひらを返して、僕を向かいの席に座るよう案内する。この後の予定まで1時間。まあ良いかと僕は席についた。
「いやぁ、ありがとうございます。どうも私は商売が下手くそでね。自分のところの商品を売り込む事もままならない。ご説明しますね。このデバイスは霊フォンと言いまして。ふふ、私がつけた名前じゃないですよ? 作り手が他にいましてね。何て名前だい? って聞いたもんなら数秒天井を見上げてそう言ったんですわ。本当にセンスがない」
おかしそうにクスクスと笑いながら彼は続ける。
「ただ中身は本当におもしろい。snsやメールもそうですが、電話や動画でも霊と交信ができるっていうんだから。まあ普通に考えたらそんなもの信用できませんよね。普通はね。だけどウチで作ってる物に関しては、普通でないことが普通なんです。だってアイツ、普通の物が作れないんだから。これを見せられた時も、ああまた売れない物作っちゃったよ。って頭抱えたもんです」
商品の胡散臭さもさる事ながら、目の前に座る彼もまた同様に信用ならない。一切こちらの目を見ずに語り続けている。時折棚に置かれた霊フォンなるものをチラチラと見ているので、その視線に誘導されるように僕もまた霊フォンを見る。無論何の変哲もない。
「それでね。ウチはまあいわゆる『普通』の古物も扱ってはいるんですが、そうではない物も需要ありましてね。私らはそれらを『オブジェクト』って言ってまして。まあそれらを手に取るお客さんもね、総じて普通じゃないんです」
なんだ? 今彼は僕の事を普通じゃないと、そう言ったのか? 唐突のことで失礼とすら感じないが、脳が理解に追いつくに連れて肌寒さを感じる。胃の物が逆流する手前の様な気分の悪さ。
全く意味の分からない現象が体や精神に起きている。体温を測って初めて自身の不調を知るような。傷口を見てから痛みが発生するような。認識に事実が追いつく感覚。思わず席を立とうとする僕の肩を彼が片手で押さえる。
「普通じゃないんでしょ? あなた。大概、じゃない。絶対そうなってるんだ。これが面白くてこの商売続けていてね。稼ぎなんて本当に二束三文ですよ。本当にバカのやる商売だ。それでもたまに大口が入ってくるから何とか続けられている」
僕が動かないとみるや、彼は手を離して胸ポケットからタバコをとりだす。灰皿もなしに火をつけ、深く吸って紫炎を燻らせた。
「それでね、あなたみたいな人たちは一見普通なんです。私がこうやって説明する時も、まあ普通の人の反応なんです。胡散臭そうにして私のことをみてる。私の話を聞いてる。帰るそぶりもみせる。そしてね、最初に手に取ったオブジェクトを買って帰る」
冷や汗が出る。鳥肌が立つ。霊フォンの説明など交信ができる事以外聞いていない。価格も知らない。それなのに僕は中腰をあげて、後ろポケットから財布を取り出す。1枚のカードを取り出して彼に差し出す。
「あ、ウチ、カード使えません」
帰宅後、テーブルに置かれた霊フォンを眺める。箱などついていなかった剥き出しの端末を、電源も入れずに眺めみる。異様に惹かれたこの端末を。
手にとって細部を具に確認するが、特に異常はみられない。続けてサイドボタンを長押しして電源をつける。問題なく画面は点灯した。通常であれば初期設定となるところだが、ロック画面を飛ばして整然と並べられたアプリが目に入った。
【LINE】【メッセージ】【電話】【カメラ】
この4つのみで構成されたホーム画面の背景は黒一色。不思議なことにフル充電されている。
「直前まで充電していたのか」
何となく一人ごち、「カメラ」のアプリをタップする。すぐに画面は木製のテーブルを映した。そして僕はそのまま硬直し、購入後に彼が言った言葉を思い返した。
「こいつを作った奴がね、アストラル体だかエーテル体だとか云々言っていたけど、正直私にはその辺のギミックはよく分からないんですよ。ただね、仕組みは分からんでも、加減は覚えたほうがいい。アイツが強くそう言っていたんです。まあ私は販売者責任として言っておくだけなんで、後はお客さんの好きなように使えば良いんですけどね。私としてはお金さえ払ってもらえれば、その先はどうだっていいんです。こんな商売にアフターサービスはないものでね。だから先にこうやって注意だけはしておくんです。お客さん、深淵を覗く時、深淵もまたってやつだ。心して使ってくださいね」
ゆめゆめ忘れるな。そう結んで彼は店の奥に戻って行った。
「深淵を覗く時……」
余計な事を言いやがって。僕はサイドボタンを押して霊フォンをスリープ状態にした。台所に立ち夕食の用意をするが、脳内は霊フォンでみたされている。
TVをつけて缶ビールをあける。いつもより味の濃いペペロンチーノとビールがよく合う。食器を台所にもどして水につけ、汗を流しに浴室へ向かう。蓋をされた湯船の縁に腰を落とし、そのままシャワーを浴びる。髪の水分をタオルでとり、いつものように寝室へ向かい、飾られた写真の前に腰を下ろす。
「エミちゃん」
写真に映る彼女は笑っている。横の写真も笑っている。別の写真もまた笑っている。
リビングに戻って霊フォンをひらく。カメラが起動されたままだったのでそれを終了し、LINEのアイコンをタップする。エミちゃんとはいつもこのSNSアプリで連絡を取っていた。友達検索にアカウント名を入れて検索すると、ほどなくして彼女のアカウントを発見した。
『ひさしぶり。ケイゴです』
アホらしい。ありえないだろう。自分の愚かな行いに笑いが込み上げ、霊フォンの電源を落とそうとすると、独特の着信音が鳴った。
『ひさしぶり』
返事。アカウントは確かに彼女のもの。しかしまだ信じられない。
『エミちゃん?』
『うん』
もちろん完璧になど信じていない。しかし、なかば捨て鉢となっていた思いが、僕を霊フォンへ縋り付かせていた。それでも、あの店の店員に謀られている可能性は否定できない。
『証明できる?』
『1995.6.30』
彼女の誕生日だ。
『2020.12.26』
結婚記念日。物忘れの多い僕が忘れない様にと、クリスマスの翌日に籍をいれた。あの店員がそれを知る由はない。続けてまた着信音が鳴る。
『髪、ちゃんと乾かしたら?』
ドライヤーをかけていない少し冷たい髪を触る。
『風邪ひいちゃうよ』
喜びと共存した怖気が鳥肌をたてる。
『部屋にいるの?』
『暗くて分からない』
『何でドライヤー使ってない事がわかるの』
『ドライヤーの音しなかったから』
つまらない事で喧嘩をした。
『耳は聞こえる?』
『聞こえてた』
回数が増え、嫌悪感を覚える様になった。
『いつからいたの?』
『分からないけど多分ずっと』
嫌悪感は不信感へとなり、彼女の私生活に疑いを持つ様になった。
『ずっと一緒にいたってこと?』
『うん』
取り返しのつかない、酷い争いとなった。
『ごめん』
『なにが?』
「ごめん」
耳が聞こえるなら。そう思い語りかけてみた。耳を済ませるが何も聞こえない。窓の外で車が通り過ぎる音がした。
「ごめん」「ごめん」「ごめん」
何度も呟きながら部屋の中を歩いて回る。右手に持った霊フォンに着信が続く。
「ごめん」「ごめん」「ごめん」
何度も何度も謝り続ける。彼女専用だったキッチン、彼女がよく座っていたカウチの右側、彼女が世話をしていたサボテンの前。いるであろう場所に謝り続ける。霊フォンが鳴る。
『くらい』『歩いてるの?』『くらい』『とまって』
霊フォンが鳴る。
『カメラにして』
端末を持つ手が震える。指が震える。ホームにもどりカメラを起動する。画面にはサボテンが映る。霊フォンが鳴り、LINEを受信した。カメラを起動したままの画面上部にメッセージが表示される。
『サボテンまだ元気だね』『動画にして』
深淵を覗く時……。
画面をスワイプにして動画撮影に切り替えた。身構えたが、変わらずサボテンが写っている。このタイミングでLINEでの指示がとまった。カメラを起動させたまま部屋を歩き回るが、彼女の姿は見えない。LINEでの指示もない。玄関まで辿り着き、また部屋へ戻ろうと踵を返した際、画面の左端に黒いものが映りすぐ消えた。正体を捉えようと振り返ると、今度は右端に黒い影が映る。画面を目の前まで持ってきてもう一度試す。やはり端に黒い影が。その時、着信音と共に上部にメッセージが表示された。
『インカメラ』
画面いっぱいに僕の顔が映る。肌は青白く、怯えた目をしている。
左耳が異質な呼吸音を捉えた。
腐った水の臭気が立ち込める。
眼球が乾きひりつく。
質量のある湿気が体を縛る。
聞こえた呼吸音は、今はより近づき、耳元で風を起こしている。
かかる息の方向に少しだけカメラを向けると、左端に黒く長い髪が映り込んだ。
それは絡繰り人形のように首を軋ませ、頭を微動させ、ゆっくりとカメラを覗き込む。
たまらず仰け反り、全てが画面に表示された。
黒髪の隙間から白い面が覗いている。
裂けるほどに開かれた眼で僕を凝視し、静かに表情なく首を傾げた。
一際目立つ赤い唇は音なく上下している。
風だけを送る穴はやがて、音の出し方を思い出したかのうように短音を連発し、続けて鼓膜を刺す程の高音で人の言葉を鳴らした。
「ごめんね」
「ユージン。もしかして霊フォン売った?」
古民家風カフェを居抜き利用した雑貨屋「Atelier Bluff-man」。店内奥の暗がりから1人の女性があらわれ、灰皿もなしにタバコを吸う男性に話しかける。
「今日の昼間に売りましたよ。いやはや2桁の儲けです。走ってお金おろしに行ってました」
ユージンと呼ばれた男性はイヤらしく笑いながら返答し、傍に置かれたワインバッグを指さす。売上の一部は早々にその晩の酒へと変わっていた。女性はワインに一瞥をくれるのみで関心を示さずに話を続ける。
「ああ、そうかー。通りで」
「え、あれ売って良いんでしょ?」
「いや良いんだけどさ。そうかー。早かったなー」
両手を腰に当てて天を仰ぐ女性を眺めていたユージンは、思いついたように口を開いた。
「ナミさん。もしかしてもう?」
「うん、多分。ダメだねこりゃ。住所なんて聞いてないでしょ?」
「売ったら放置がウチのモットーですからそりゃもう。諦めましょ」
そうかー。まじかー。と呟きながら女性は再び店内奥へと戻っていった。片手にはいつの間にかワイングラスが握られていた。見送ったユージンはまたタバコを燻らせる。
理由が何であれ、死者と交信するような輩は普通ではない。普通でない事を求めていたのだから、普通でない結果が訪れるのは必然。
「私は深く関与しませんよ」
彼は床で煙草の火を消してから腰をあげる。入口外の札をcloseへと裏返し、扉の鍵をしめた。
「残念ですが、オブジェクトの回収は諦めましょう」
Atelier Bluff-manは光を消し、街は一時の普通を取り戻す。
奇物工房ブラフマン ワビヒコ @a0633014
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