裏、底、あるいは最果ての国

あかな

第1話

 記紀神話は日本の始まりを語る。

しかし、エピソードの全てが『大和』の話ではなく、異なる土地の説話、神話、伝説を取り込んで成立した、と以前何かで読んだ記憶がある。

 キリスト教圏でも同様に土着の神や精霊、妖精を巻き込んで取り込んで現在の形になったときく。

とどのつまり、西洋でも東洋でも為政者のやる事に大きな違いがないのだ。


 かつての神の像や形代、依代は全て破棄される。

しかし精神面に残る残像は消せない。

あるいは面影だろうか。

幼い頃の記憶が鮮明に思い浮かぶ瞬間があったりしないだろうか?

ふと頭によぎる映像だったり、以前に嗅いだ香りを違う場所で嗅いだり。

神仏習合はだからこそだ。

人々の八百万の神への思慕や敬愛が

有ったから。


 それ以前に起こった事象。

神仏習合が『神➕仏』なら『神➕神』はどう表現すればいいのか。

神が神を吸収してしまった。

吸収したの方は天津神、吸収された方は国津神と呼ばれた。


 天の岩戸。

天津神のエピソードで超有名な話。

元ネタは日蝕なのでは?と言われてる。

 自分が思いついたのは月の満ち欠けが元ネタじゃないか?だった。

 太陽は地平線から昇り、南中の前後に最も強くなり、そこから衰え地平線に沈んで終わる。

地平線から現れた時が『誕生』

南中の時は『成人』

地平線に沈む時が『死亡』

昇って沈んでは『岩戸に籠る』の表現に

重なりにくい。

 月も昇って沈むが、三日月、半月、満月の変化はそれと関係ない。

新月から満月は『岩戸が開く』

満月から新月は『岩戸が閉じる』

『空の闇=天の岩戸』とすれば、

全体のイメージとか話として持つ意味は似通う。

『光の消失への恐れ』が『光の復活を願い祈る』行動になる。

話の全てが古来から伝わっていたのではないだろう。

『天津神仕様』になってるだろう。

けれど現在も一部の地域で残る月待信仰はこの名残じゃないかな。

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裏、底、あるいは最果ての国 あかな @koubai_1024

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