〈魂送り〉の儀

一枝 唯

01

 都市エディスンにあるのは、何も十年に一度の大祭〈風神祭イルセンデル〉だけではない。


 暖かいところに位置するため〈冬至祭フィロンド〉の習慣こそないものの、ほかの街町と同じように年越しの大騒ぎや年明けの祭りはあるし、春秋の収穫の祭りや、祭りという規模にまで行かなくても「ちょっとした行事」という程度の集まりはちょくちょく存在する。


 〈たま送りの儀〉も、もともとは神殿クラキルが執り行う厳粛な儀式であったと言う。


 死者の魂が、何らかの事情で冥界の導き手たる精霊ラファランの手を取り損なうことがある。だが一年に一度、その魂たちは神官たちの祈りで、再び冥界へ行く機会を与えられるのだ。


 秋口、収穫の祭りと同じ頃に行われていたそれは、次第に俗信と絡まり合って、本来のものから外れた不可思議な形態を取ることになる。


 本来の目的は、魂の救済だ。冥界へ行くべきなのに死者が迷ってしまっているのを救うという解釈である。しかし、ラファランに導かれなかったということは、その資格がない、獄界行きの魂であるという解釈も一般的なものだった。


 それらが混在し、〈魂送りの儀〉の日は、「下手に出歩くと悪い魂に一緒に連れていかれてしまうから外出をしないように」という話になった。


 それがいつしか「悪い魂に見つからないように変装をすれば大丈夫」という話になった。


 そしていつの間にか、〈魂送りの儀〉の夜になると、奇態な格好をして街を歩く人間が増えていった。


 更に時が流れればそれは祭りの一種と同じ扱いとなり、もともとの厳粛な雰囲気はどこへやら、子供たちからいい大人まで、仮装をして酒盛り――をするのは、主に大人だが――やら歌い踊りやらする、能天気なものになっていた。


 もっとも神殿では相変わらず真面目に儀式をやっていたが、それに参加するのはごく一部の信心深い人間や、前年に親しい者を失い、もしもその魂が迷っていたらと案ずる者たちくらいで、たいていの人間にとってはそれは賑やかしいお楽しみのひとつになっていたのである。




 ――というような話を新王の末子にしたのは、確かにローデンであった。


 彼としては、本来の儀式が形式になり、力を失っていく様を伝えようとしたつもりであったが、十歳の子供にはいささか難しかった、ということになるだろう。


 ヴェルフレスト・ラエル・エディスン新第三王子が記憶していたことは、その日になれば仮装をして楽しむらしい、ということだけである。


 去年までは、彼はそんなことを知らなかった。王城のなかでは誰もそんな――馬鹿な――真似はしていないのだから当たり前である。


 だが知ったからには、面白いことはやらなければ損である。


 侍女に命じてけったいなかぶり物を作らせた王子殿下は、ご満悦であった。


「ローデン、ローデン!」


 呼ばれて振り向いた宮廷魔術師にして公爵はそのとき、何とも珍しい表情を見せた。要するに、ぎょっとしたのである。


「……ヴェル殿下」


「どうだ、これ、どうだ」


 ヴェルフレストは完全にはしゃいで、赤茶色をしたかぶり物を指差している。大きな野菜をくりぬき、顔のように目、鼻、口を削ってある様は、何と言おうか――とても、間が抜けていた。


「何をしてらっしゃるんです」


 言わずもがなのことを尋ねている、と思いながらもローデンは言った。


 彼は三十の半ばにして王の第一顧問たる重職に就いたが、それは前王の急逝に伴うカトライ・シヴィル・エディスンの突然の即位に因るもので、特別に望んだ地位という訳ではなかった。


 この半年というものはてんやわんやで、〈混沌の術師〉の異名を持った彼ですら片づけては生じる問題の混乱状態にうんざりし、書類を全部燃やしてしまおうかなどと思ったものである。それらの心労のためか、彼の表情は常に険しいものとなり、顔立ちは年齢よりも上に見えたが、若ければ頭の固い連中になめられるのだからこれでちょうどいいだろうなどと当人は思っていた。


 もっとも、魔術師相手になめた態度を取るような勇気ある者は、ほとんどいなかったのだが。


「何って、お前が言ったんじゃないか。仮装だ」


 あっけらかんと王子は言った。ヴェルフレストはもちろんローデンを「なめて」はいないが、持ち前の素直さ故に「魔術師は忌まわしい」とか「気味が悪い」などとは思わない。ときどきは怖いが、怒鳴り声を上げたり、ぶったりするようなことはないし――王家の子供にそうしようとするものもやはり、ほとんどいなかったが――他の学問の教師たちと違い、一風変わった話をしてくれる面白い相手であると考えていた。


「仮装、とはまたいったい、何故なにゆえに」


「何って」


 子供は目をしばたたいた。


「お前が言ったんじゃないか」


 繰り返す。


「今日は、あれだろう。たまおくりのなんとかだ」


「――は」


 ローデンは口をぽかんと開けそうになったが、どうにかこらえた。


「仮装をして楽しむのだと言ったじゃないか。上手な仮装をした子供は菓子がもらえると」


 王子は片手を差し出した。


「くれ」


「……ヴェル殿下」


 ローデンは額に手をやった。頭痛がしそうだ。


「あれは、下々の祭りです。王家の者であれば、俗悪な祭りを楽しむのではなく、正しい神殿の儀式に参加するべき」


「そんなのは面白くなさそうだ。俺は、面白くなければ嫌だ」


 何ともきっぱりと、ヴェルフレストは主張した。


「その格好で、王宮内を走り回ってきたのですか」


「そんなには回っていない。最初に、お前のところにきたんだ」


「ならば、私のところで最後にしていただきます」


 このあられもない姿で父王のもとへ出向かせ、カトライの頭痛の種を増やす訳にもいかない。王の友人は嘆息した。


「どうしてだ」


 きょとんとして、王子は言った。


「まだ、前王陛下のご逝去から半年ほどしか経っていないのです」


 この説明がどこまでこの能天気なガキ――もとい、お子様に通じるものだろうかと思いながら、ローデンは答えた。


「だからって、みんなして哀しい顔や、たいへんそうな顔をしていればいいと言うのか」


 ヴェルフレストは首を傾げようとしたが、かぶり物が横から落ちそうになったので慌てて支えた。


「世の中は楽しくて面白い方がいいだろう!」


 えっへん、と王子は胸を張った。今度はかぶり物が後ろに落ちそうになって、また慌てる。


「……それは、まあ、確かに」


 楽しくて面白ければそれがいちばんだが、そうするためには世の中、努力とか忍耐が必要なのである。しかし、それをいま説いても、何にもならなさそうだった。


「認めたな!」


 王子は勝ち誇った。そういう訳でもないのだが、子供相手にむきになっても仕方がない。


「なら、菓子だ!」


 ヴェルフレストはまた、小さな手を差し出した。


「結論になっていないようですよ」


 ローデンは指摘した。


「何か甘い物が欲しいのであれば、侍女に一言命じれば済むことでしょう。夕飯前であればとめられましょうが、それくらいの我慢は覚えていただかなくては」


「違う。菓子が食べたいんじゃない。菓子がほしいんだ」


 子供はよく判らないことを言った。


「主張として破綻していますね」


 公爵は冷たく言った。うー、と王子は唸る。


「だから、食べたいんじゃないんだ。上手な仮装は、人を楽しませるとも言ったろう。俺はお前の笑った顔なんか見たことがない」


「それは、原因と結果が逆さまです」


 やはり冷静に、教師はぴしゃりとやる。


「三番目でその責は少ないと言えども、あなたは王子殿下なのですぞ。下々の馬鹿げた真似などはやめて、いますぐその野菜を頭から外し、お部屋へお戻りなさい。これ以上は言いません」


 うー、とまた王子は唸った。こういう口調のときのローデンは、とりつく島がない。たいていにおいてこういう口調ではあるのだが。


「殿下」


「判った、もう判ったともっ」


 ヴェルフレストは乱暴に、ふざけた顔をした野菜を取り去ると、むっつりとした顔で公爵に背を向けた。


 せっかく楽しい気持ちでいたのに、完全に水を差され、しかも何だか説教まで食らった。


 理不尽だ、と彼としては思ったが、ほかの誰に聞いてももっともな叱責であっただろう。


「――ヴェルフレスト殿下、もうお戻りですか」


 侍女が驚いた顔をして小さな王子を迎えた。


「ローデン閣下に、楽しんでいただけましたか」


「ちっとも」


 不機嫌な調子で、ヴェルフレストは答えた。


「怒られただけだった。もう、しない」


 すっかり拗ねてしまったヴェルフレストは、赤茶色の戯けた頭を侍女にずいっと差し出した。


「まあ」


 侍女はそれを受け取って、にっこりと笑った。


「楽しんでいただけたんじゃありませんか」


 王子は目をぱちくりとさせた。


 差し出されたそれをのぞき込めば、くり抜かれた南瓜ウェルーイのなかには、たくさんの菓子が詰まっていた。




―了―

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