第2話 現実

「……い、…………のか。…………い!」


 微睡む視界の中で青く大きな何かが揺れているのが見えた。


「――授業中だぞ守屋! 寝るな!」

「――げっ」

「俺の授業で居眠りなんて、大した度胸だなぁおい!」


 意識が一気に鮮明になる。

 眼前には青色のジャージを着た体育教師——芳賀の姿があった。角刈りの頭に、繋がりそうな濃い眉毛。生徒の間では「芳賀ゴリ」と呼ばれている。


「あー……すみません……」


 寝ていた。

 午後一の授業で保健体育のビデオ鑑賞なんて寝るに決まってる。


「お昼寝で良い夢見るのは幼稚園までだぞ、バカタレが」

「いや、正直良い夢でもなかったというか――」

「ごちゃごちゃうるせえ」

「――むぐ」


 そして、俺の脳天には硬い教科書の角が叩き下ろされるのであった。

 鈍い音と共に、意識は現実という海に錨を降ろす。


*** *** ***


「和君、また芳賀先生の授業で居眠りしてたんだって?」


「む……なぜ優香がそのことを」


「一花ちゃんに聞いたの。ダメだよ、ちゃんと睡眠とらなきゃ。健康第一」


「夜はちゃんと寝てんだけどなぁ……」


「栄養不足とか? ちゃんとご飯食べてる?」


「流石に食べてる」


「好き嫌いしてない?」


「してない。いやオカンかよ」


「むー、オカンじゃなくて彼女だっ……よ!」


「……なんで詰まったんだ」


「……だ、だって、恥ずかしいもん。付き合ってもう半年だけどさ。今でもまだ一緒に帰るのドキドキするし……ごめん、手汗大丈夫かな?」


「全然大丈夫……ま、まあ俺も同じ感じだし……」


 彼女と歩いて帰る、高校二年の夏。

 普通に学校に通って、だるそうに勉強して、それとなく部活と学校行事をこなして、成り行きで仲良くなった同年代の女子と恋を始める。

 俺は「青春」というにふさわしい時間を過ごしていたのだろう。

 誰かと同じような人生で、誰かと同じような感受性で、個の意思を捨てて群れの中に溶け込んでいた。

 それが良いと思っていた。


 だから、だからこそ。

 俺は日常の中に転がる異物を見て見ぬふりが出来なかったのだと思う。

 平穏な日常に潜む影を、排除しなければならないと思ったのだろう。


「――昨日さ、雨降ってたっけ?」


「え? 雨? 負って無かったと思うけど……どうしたの?」


「昨日の夜、変な夢見てさ。雨が降ってたことしか覚えてないんだけど、妙に現実じみてたっていうかなんつーか……実は夢じゃなかったのかなって……」


「うーん……。夢は人の深層心理を映し出す、みたいな話もあるけど……え、なに、心霊的な話? 私怖いの無理だよ?」


「ちがうちがう、そんなんじゃないけど……うーん、なんか、引っかかるんだよなぁ……後味悪いというか、変に記憶に残っちゃうんだよな」


「それが雨ってこと?」


「そ。ただ降り続けてる雨の音が聞こえるんだ。不規則で、それでいて心が揺さぶられるような落ち着くような……」


「……和君、相当疲れてるんじゃない? 病院行く?」


「おい、異常者扱いすんな」


 くすっと笑う彼女を見て、俺もまた笑った。


*** *** ***


「あ、もう着いちゃった……残念。また明日ね和君。今日はしっかり休んでよ?」

「あぁ、ちゃんと休むよ。また明日」


 満開の花のような可憐な笑みを見せて手を振る彼女。

 俺も手を挙げて別れを告げる。


 今日はとっとと寝よう。本当に疲れていただけかもしれないし。


「……まじで何なんだろうな、あの夢……」


 セミがうるさく鳴く夕方に、脳裏で雨音を被せる。

 しかし、霧雨の向こうの記憶は一切思い出せなかった。

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Soul Bullet @ex_legend

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