円香ちゃんの行方

 あの日から、未来ミクちゃんが俺の目の前に現れることはなかった。最初の頃と同じように俺に見えないだけなのか、どこかへ消えてしまったのかもわからず、時間が過ぎていった。


「なぁ、碧海あくあ。守屋さん達から何か連絡は来たか?」


 俺たちは多くの学生で賑わう昼の時間を避け、だいぶ遅めの昼飯を学食で食いながら、いつもとちょっと違う時間を過ごしていた。

 円香ちゃんの行方がわからなくなってからそろそろ2週間が経とうとしている。俺らと違って円香ちゃんの行方を心配している者は、果たして何人いるのだろう。


「いや、何も」

「そうか。連れ去り男の名前がわかったのに、音沙汰なしか」

「名前がわかったからといって、一人の人間の行動を突き止めるのは難しいんだと思うよ。ってか、お前は体に異変とかないのか?」


 斗真の左腕にある爺ちゃんの数珠を見て、俺はそう聞いてみた。それがなければ、円香ちゃんは自分の居場所のヒントを伝えられてるかもしれない、なんて思っている自分がいる。でもやっぱり俺は斗真を苦しませたくないらしい。その提案をゴクリと飲み込んだ。


「うん、もう全然大丈夫みたいだ」

「そうか。それはよかったな」


 俺はペットボトルのお茶を飲み干し、外を眺める。木漏れ日がキラキラと輝き、穏やかな一日を演出していた。


「で、お前は何をしているんだ?」

「あぁ〜、最近『碧海あくあくんってどんな人?』っていう問合せが多くて、『自分で聞きなよ』って返信してる」

「ほっとけよ」


 俺はため息をつく。薫くんのお母さん、柏木 弥生の事件でメディアが騒いでいることも知っている。たまたま救護されていた俺の写真がネットニュースに流れ、「果敢にも騒動を駆けつけ女性の命を救う」なんて真実を知らない大人たちが騒いでいるのだ。一時的とはいえ、良い迷惑だ。話はそんな簡単なことじゃないのにな。


 生きている人間もまた、狂気に満ちている……。



* * *


【東京郊外某所】


「う…うぅ…、許して…。お願い」

「動いちゃダメだよ。動くと痛みが強くなるよ」


 男は優しく、目の前にいる女性の耳元で囁く。目の前の女性は椅子に縛られ、翼状針が腕にセットされていた。医療目的ではない。明かに体内の血を外に排出するために施されているのだ。


「お願い、家に帰して。このことは誰にも言わない。お金もいらないから」

「何を言ってるの? 君は永遠に美しいまま僕の恋人でいられる。こんなに素晴らしいことはないだろ?」


 窓もない部屋の中で、男は必要最低限の光の中で微笑む。そして愛おしそうに彼女の手にキスをした。男が一番気に入っている指先、彼女の爪は赤く輝きを放ち、彼女の美しさを引き立てている。


「あなたの恋人になってあげるから、だからもう止めて。お願い」

「僕は君の最期の彼になるんだ。だから、君も母と同じ永遠の時の中で美しく生きらるんだ。止めろだなんて可笑しな事を言うね。ここへ来たのは君の意志だろ?」

「そ、それは…」

「今どき、食事だけ〜とかありえないでしょ。しかも、あんな弱っちい彼氏を目の前で見捨てて僕についてくるなんて。あ、責めてるんじゃない。やっと君は、あの男より僕を選んだってことだからね。嬉しいよ」


「狂ってる…」


「いい響きだ。あと何時間かで意識がなくなるだろうね。そうしたら僕の母のところに連れて行ってあげる。きっと君を気に入ると思うよ」

「嫌っ。やめて!」


 彼女は最後の力を振り絞り、椅子と自分を結びつけているものを解こうともがいた。


「何するんだ! 皮膚に傷が残るだろ!」


 男は慌てて手首、足首をチェックする。そしてゆっくり立ち上がると首を横に振った。


「残念だよ…。傷がついてしまった。失敗だ」

「お願い、許して…」


 男は後ろのカートに用意していたハサミを握りしめ、大きく振り下ろした。


「ぐはっ…」


 彼女の目は驚きと恐怖に支配され、叫ぶことなく息たえた。それでも容赦無く男はハサミを振り下ろす。何度も何度も。


「また失敗だ。今度こそキレイに完璧にできると思ったのに。この女のせいだ。あのくだらない男のせいだ! くそっ、くそっ」


 しばらくして怒りが収まったのか、男は息を整え浴室へ向かった。自分の想いが遂げられなかったことが悲しいのか、人を殺めたことへの後悔なのか、男の目から涙がこぼれ落ちた。



* * *


 今日も未来ミクちゃんの姿を見ることがなかった俺は、斗真と別れ自室に戻ってきていた。なんとなく何かが物足りない。そんな気分にさせられるのは、今まで以上に遠巻きに眺めているクラスメイトのせいなのかもしれない。


 アルバイト先の佐々木さんも、「無理するな。シフトのことは気にするな」とネットニュースを見て連絡をくれた。ありがたいんだけど、働いていた方が気が晴れることもある。


 俺はいつものレモネードと、買ってきたジャンクフードを広げテレビをつけた。どのチャンネルも面白いと感じない。これは重症だ。


「傍にいるかわからないけど、未来ミクちゃんも食べて」


 俺はコップにレモネードを、そして1つ余計に買ってきたハンバーガーをテーブルに置き、「いただきます」と言ってみる。もちろん未来ミクちゃんからの返事はなかった。

 何かが物足りない…。



 夜中、ふと人の気配を感じて目が覚めた。


 俺のベッドの足元に、誰かがちょこんと座っている。それは未来ミクちゃんだった。

 でもなんだか様子が変だ。ただじっと座ってスマホをいじっている。初めて会った時と同じだ。


「お帰り、未来ミクちゃん」


 彼女からの返事はない。

 暗い部屋の中で彼女だけが白くぼんやりと浮き出ている。俺は起き上がって辛抱強く未来ミクちゃんが何か話をしてくれるのを待った。



『ねぇ、ボクちゃん』

「うん? どうした?」

『あのさ、もし私が…薫くんみたいに怒りで自分を抑えられなくなったら』


 未来ミクちゃんが俺の方に振り向いた。柔らかそうな長い髪がフワリと揺れた。いつもと変わらない、可愛らしい整った顔が俺を見つめている。


『抑えられなくなったら』

「うん」

『もう二度と会えなくなったら…』


 未来ミクちゃんが言葉に詰まるから、俺は何て言ってあげる事が正解なのか、経験値の低い頭で考える。気の利いた言葉…それは何だ?


「大丈夫だよ。そんなことには絶対にならない」


 この時の俺に言える、精一杯の言葉だった。


『ボクちゃん…、もう少し女心を学びたまえ』


 そう言うと未来ミクちゃんが俺の肩にトンと体を預けた。重みを感じるとかそんなんじゃないんだ。ただなんとなくそんな気がする。

 そして未来ミクちゃんから、小学校の闇の中で感じた花の香りがした。忘れられないいい香りだった。

 

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