真実への一歩
【東京郊外某所】
キュッキュッ、キュッキュッ。
足音が響き渡る。扉が開き、光が部屋の中に差し込んだ。
この部屋はマイナス20℃に設定されている。部屋に訪れた男の吐く息が、白く宙を舞った。
「ただいま。ママ」
暗い部屋には女性が一人、ディナーを前に座っている。でも何かが変だ。女性は一言も発することなく、動くこともない。顔や手には霜が降りている。
男はスマホに映る映像を女性に見せる。そこに映るのはベッドの上にいる髪の長い女性。どうやら眠っているようだ。赤いネイルがひときわ美しく、まるで祈りを捧げているように見える。
男は満足げな笑みを浮かべ、こう呟いた。
「また来るよ、ママ。今度は彼女を連れて。一人じゃ寂しいだろ?」
扉が閉まる音が聞こえた。
※ ※ ※
昨夜、斗真がいきなり現れた時、本気でビックリした。
俺が見られたくない姿を、斗真に見せることなく朝を迎えられたのは奇跡だ。
「おはようございます。九条さん、都筑さん」
「おはようございます!」
「すごく眠そうですけど…、大丈夫ですか?」
今朝は如月刑事が約束通り、俺たちを迎えにきてくれた。昨日と同じスーツを着ているから、泊まりだったのかもしれない。
「あれ? 守屋さんは?」
「現地で合流です」
後部座席に俺たち、助手席には
その視線を無視して、俺は如月刑事に話しかけた。きっと彼女も俺たちが何故同席することになったのか知りたいんじゃないか、と思ったからだ。
「如月さん、俺たちと柏木さんのことは聞いてますか?」
「えぇ、あの後守屋から説明を受けました。お二人が現場にいたことも。大変でしたね」
大変というか、斗真にとっては初めての経験だっただろう。俺だって普通の学生だったら、人の残虐死体なんてお目にかかることはない。
朝の渋滞に巻き込まれながら、俺たちあまり楽しいとは言えない話を続けていた。
「あの…如月さん」
「はい」
「柏木 薫くんのことは、何か分かりました?」
「あの幼い子どものことですよね? 薫くんのご遺体が冷凍保存されていたことで、正確な死亡日時を出すのは難しいとのことです。母である、柏木 弥生の証言を待つしかなさそうですね。でも、彼の生年月日を見ると、生きていれば12歳であることはわかっています」
「小さな子どもが居なくなれば、それなりに問題になるでしょう?」
斗真が真っ当なことを口にする。こいつは基本、人に優しい。悪くいえば、単なるお人好しか?
その言葉に如月さんが頷いた。
「近所の人には、別れた夫の家に引き取られたと言っていたそうです…。それで、教育費を貰っていたのだから、どれだけ子どもに興味がない家族だったのか、簡単に想像できます」
ひどい話だ、と俺も斗真も憤りを感じていた。俺は母の温もりを知らないけど、爺ちゃんや姉ちゃんに愛情を注がれて育ってきたと、自信をもって言える。それなのに、世の中には酷い話がゴロゴロ転がっているのだ。
薫くんは確か…あの時、4歳だと教えてくれた。ということは、薫くんが殺害されてから8年経過しているということだ。
公園の迷子の男の子の噂は、ここ1年で噂が広まっている。このタイムラグは何だろう? 何故このタイミングで?
俺は腕を組み考える。何か公園の工事と関係があるのだろうか…?
「わからない…」
俺の心の声が車内に響き渡る。
「
「えっ? あ、ごめん。ちょっと考えごと」
『ボクちゃん、薫くんはお母さんの危機を察していたのかもしれないね。だから誰かに気付いて欲しかったんじゃない?』
俺は流れていく景色を見ながら、薫くんはただお母さんに会いたかっただけじゃない、と思い始めていた。薫くんは、ずっと倉庫の中にいたのだから、お母さんが受けていたDVについても見ていたはず。
そんな事を考えていると、車は病院の駐車場に到着していた。
「着きましたよ」
※ ※ ※
「よっ、お二人さん」
小さい袋からピーナッツを取り出し、口に運びながら、守屋刑事が俺たちを出迎えてくれた。
いかにも怪しいオヤジという感じだ。通りすぎる人たちもチラチラ見ている。
「おはようございます。朝からピーナッツですか?」
「朝だからだよ。お前たちも食うか?」
俺は丁重にお断りを入れ、守屋刑事について柏木 弥生の病室へ向かった。
「守屋さん、柏木 弥生に会うことを定松課長に言ってないのですよね?」
「何か言われたか?」
「課長が後で報告しろと、朝イチで電話がありました。守屋さん、スマホの電源オフにしてますよね」
守屋刑事は「ここは病院だからな」と、いっこうに気にせず先頭を歩く。全くこのオヤジは…、苦笑いしかないけど嫌いじゃない。
【柏木 弥生(カシワギ ヤヨイ)】と書かれた部屋に、俺たちは到着した。
中に入るとベッドが一つ、そこには髪の長い女性が至る所傷の手当てを受け、痛々しい姿で横たわっていた。
その横に座っていた警察関係者と思われる女性が立ち上がり、軽く俺らに会釈して入れ替わるように部屋を出ていった。
柏木 弥生さん。薫くんが一番大好きな母親であり、俺の目の前で殺されかけた哀れな女性。そして、薫くんを殺した女。
俺はベッドに近付くことができなかった。薫くんの姿が、苦しむ姿が俺の心を支配する。
ふと
柏木 弥生はというと、ボーッと天井を眺めている。まるで彼女は、感情をどこかに置いてきてしまったかにように、俺たちの言葉に反応することはなかった。
彼女は、薫くんの遺体が見つかったことも知っているのだろうか?
「柏木さん、体調はいかがですか?」
この場にふさわしくないダミ声が部屋に響いた。
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