二人だけの夜

 俺たちは如月刑事が買ってきてくれたコンビニ飯を食べ、「もう遅いから」ということで守屋刑事の運転する車の中にいた。


「守屋刑事、ご馳走様でした」

「あははは。まだ食い足りなかっただろ? ま、事件が解決したら旨いもんでも食わせてやるよ」


 守屋刑事は、バックミラー越しに俺を見てそう言った。この人の言う旨いものってなんだろう? 不安だ。


「柏木 弥生、例の母親だが…先ほど意識が回復したそうだ。明日会いに行く。お前たちも行くだろ?」

「「えっ?」」


 唐突にこの人は何を? 普通の刑事なら、俺たちを連れて行くなんて選択肢はない。


「お前たちは彼女の命を救った。それにだ、息子のことを彼女がどう言うか聞いてみたいだろ?」


 鏡越しに守屋刑事のニヤつく顔が見える。このオヤジ、やっぱり只者じゃない。


「明日、如月を迎えに寄越す」

「守屋刑事」

「あん? それな」

「えっ?」

碧海あくあよ、外で『刑事』と呼んでくれるな。俺たちの職業がバレると、相手が警戒することもある」


 守屋刑事は相変わらず前を向いたまま、「頼むな」と念押しする。


「わかりました。守屋さん」

「うん?」

「俺ん家、その角のところです」



 俺が車を先に降りると、斗真が捨てられた犬のような目で俺を見ている。そんな目で見られても、このまま斗真の家に向かう訳にはいかない。服は汚れているし、何より薫くんの事でダメージがでかすぎる。一人になりたい自分がいた。


碧海あくあ…」

「そんな目で俺を見るな。明日の朝、起きたら連絡するよ。守屋さん、明日俺は斗真の家にいるので、如月さんにはそっちに迎えにきて欲しいと伝えてください!」

「あぁ、わかった」


 斗真を乗せた車が静かに走り去る。俺は車が見えなくなるまで手を振って見送っていた。


 斗真の奴「俺ん家はそこです」って、守屋刑事にちゃんと伝えられるかな?


 若干の不安材料を抱え、俺は部屋へ向かった。


* * *


「ただいま!」

『お帰りっ』


 部屋の奥から未来ミクちゃんの声が聞こえてきた。俺は何故かホッとする。さっき警察署から『先に戻ってるね』と言って姿を消してしまった未来ミクちゃん。このまま会えなくなるじゃないかと思ったのだ。もしかしたら、何かを思い出したのかもしれない。


 俺はお気に入りのレモネードを手に、定位置に座った。無惨な死、闇に囚われていく薫くんの霊、そして冷凍保存された薫くんの遺体を思い出し、思っていた以上に心も体も疲れていることに気づいた。


「飲む? って、飲めないかもだけど」


 俺はグラスにレモネードを注いで、未来ミクちゃんの前にそっと置いた。『ありがとう』と言うと、未来ミクちゃんはグラスを手に美味しそうにレモネードを飲み干した。


「えっ?」


 俺はビックリしてグラスを覗き込む。そこには俺の注いだレモネードがそのまま残っていて、グラスが動いた形跡もない。でも、確かに彼女はゴクゴクと飲んでいた。


『何? そんなに見つめて。照れるよ』


 にっこり笑いかけるその笑顔は、俺のイチオシのミクちゃんのそれと全く同じだった。

 ゴクっ。俺は何故か唾を飲み込み、彼女から目が離せなくなっている。


『あぁ~これ? よくわからないんだけどね。私に手向たむけてくれたものは、受け取れるみたいなんだよね。不思議でしょ? 今、ボクちゃんは私のために飲み物を用意してくれた。だからこうして受け取ることができたんだと思う』


 未来ミクちゃんは、空っぽのグラスを掲げて可愛らしく微笑んだ。マジで可愛い。幽霊だなんて、信じられない。


『どうしたの? ボクちゃん』

「あ、イヤ…」


 俺は慌てて未来ミクちゃんから目をそらし、残りのレモネードを飲み干した。


「俺、風呂に入ってくるから、今度は絶対に入ってくんなよ」

『わかってるよ。もう覗いたりしません。っていうか…ボクちゃんって、ホント女の子の扱いを知らないよね』

「な、何だよ急に」


 俺が立ち上がると彼女の指先が、俺のこぼしたコーヒーの後をゆっくりとなぞり始める。

 何だ? 実際に触られてる訳じゃないのに、電気が走るみたいにゾクゾクする。


『座って』


 ポンポンと、ベッドの上を叩く仕草。

 俺にどうしろと? そう思いながらも言われた通り俺はベッドに腰をかけた。


『私を見て』

「見えてるよ」

『そうじゃなくて、今ボクちゃんがして欲しいこと、言ってみて』


 えっ? えっ? 俺は一瞬にして全身の血が巡る感覚に襲われた。

 目の前に、ずっと憧れていた憧れのミクちゃんが潤んだ瞳で俺を見ている。何だ? このシチュエーション。おれの心臓がドクンドクン音をたてる。


『教えてあげる』

「……」


 ダメだ。彼女は死んでる。触れたくても触れることもできない。で、でも…。


 ゆっくりと、ミクちゃんに瓜二つの未来ミクちゃんが近付いてくる。俺が目を閉じた瞬間、唇にフワッとした風を感じた。


「……っ」


 ほのかにレモンの香りがして、俺の頭が真っ白になる。しかも目の前の未来ミクちゃんは、男性物の白いダボシャツのボタンを外し、惜しげもなく肌を見せつけていた。


 ドクンドクン…。俺の心臓は口から飛び出しそうだ。ヤバい、落ち着け俺!


『ボクちゃん……しよっか』

「えっ? な、な、何を?」


『恋人同士がすることだよ』

「えっ? えっ?」


 ドクンドクン…。ドクンドクン…。俺の心臓の音だけが聞こえてくる。

 目の前に、俺が何度も頭の中で思い描いていたミクちゃんの綺麗な肌が。俺の理性はぶっ飛んだ。


未来ミクちゃん…」


 触れたい、でも触れることができない存在。


 

 ブルブル。

 その時俺のスマホが鳴いた。続いて「ピンポーン」とドアベルが鳴る。


「えっ?」


碧海あくあ~? 起きてるか~? おーい」

「げ、斗真!?」


 何で斗真が?

 俺は慌ててバスタオルを抱え、風呂場に向かう。こんな自家発電中みたいな姿を見せられない。


 ヤバい、ヤバい。

 チラッと未来ミクちゃんを見ると、彼女はいつも通り、何事もなかったかのようにスマホをいじっていた。


 罰ゲームか何かか? 俺、何か悪いことしました?

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