公園デートは終わりを告げる

 パトカーと救急車のサイレンが、遠くの方から聞こえてくる。黄色いテープの向こう側から野次馬たちのイカれた声や、警察関係者の足音。世の中はこんなにも色んな音で溢れかえっていることに、今更ながらに気づく。


『ボクちゃん…』


 隣には未来ミクちゃんがいて、俺はガラスで切った腕や頬の応急処置を受けていた。斗真は守屋刑事に連絡をした後、駆けつけた警官と庭に来たところで倒れたらしい。現状を見て卒倒し、今は救急車の中だ。


「あの男…死んだのか?」

『うん』


 周りは慌ただしく、俺がぶつぶつ未来ミクちゃんに話しかけていることを気にする者は誰もいなかった。


 死んだ男は呆然として自分の無惨な亡骸を見つめている。体にはガラスが舞った際についた無数の切り傷、そして…首元に刺さった大きな破片が、ここからも見える。それが致命傷となったのだろう。


「薫くんのお母さんは?」

『……病院』


 未来ミクちゃんが、ボソッと呟く。

 周りからはカチャカチャとガラスを踏みつける音が、何とも言えず耳障りだった。


 あの時、薫くんの手に握られたガラスの破片。そしてそれに群がる無数の黒い影が、あの男を死へ導いた。色々な状態で亡くなった人を見てきた俺でさえも、恐怖を覚えるほどの力が働いていた。


 そうだ…。俺は怖かったんだ。薫くんを助けたいって思っていたのに、動けなかった。薫くんはただママに愛されたかっただけだ。ママに会って光の方向に向かわなくちゃならなかったのに。闇に取り込まれていった。


 爺ちゃん…、俺は何も出来なかったよ。


「ごめん…」

『ボクちゃん』

未来ミクちゃんが、助けを求めてくれたのに…」



「よっ、弥勒の義弟よ。しけたツラしてるじゃねーか」


 パトカーの向こう側から、聞き慣れたダミ声が聞こえてきた。


「守屋刑事?」

「だいぶ派手にやらかしたな〜。ま、傷は男の勲章だな」


 守屋刑事は嬉しそうに、どかっと俺の横に座った。そこ、さっきまで未来ミクちゃんが座ってたとこだけどな。

 当の未来ミクちゃんは慌てて席を立ち『私の席だったのにぃ〜』とふくれっ面をしている。当たり前だけど、守屋刑事は気づかない。


「守屋刑事」

「あん?」

碧海あくあです。碧海あくあ


 守屋刑事はニヤとした顔で、俺に缶コーヒーを投げてよこした。「あっつ」と思わず声が出る。

 俺から目線を外し、守屋刑事は缶コーヒーを口に含む。コーヒーの良い香りが一気に広がり、ダメダメな俺の心を落ち着かせてくれた。


「残念ながら傷跡は残らなさそうです」

「そうか、最近の医療の進歩はすげーな」


 俺たちは何も言わず、缶コーヒーを飲みながら鑑識の人たちが行ったり来たりしているのを眺めていた。

 何となく沈黙が気まずくて、先に口を開いたのは俺だった。


「来てくれて…ありがとうございます」

「いや、遅くなって悪かったな。都築って奴が要領を得なくてな」

「すみません…。あ、あの女性は?」

「あぁ~、命に別状はないだろうとさ。ただ、殴られていたのか骨折や痣が…ひどいもんだな」


 そうですか、と言うのが精一杯だった。俺は両手で缶コーヒーを握りしめ、彼女はあの時殺されていた方が幸せだったのかもしれない、と…そんなことを思っていた。


「それにしても、やってくれたな。お前の見たものは正しかったわけだ」

「でも…俺は何もできなかったんです」

「何もできなかったわけじゃない。少なくとも彼女は命を失うこともなく、生きてる。そして、お前が教えてくれた例の男の事が解れば、青木 円香の命も救える」


『そうだよ、ボクちゃん。このオジサンの言うとおりだよ。薫くんはママを助けて欲しかったんだから、願い事を1つ叶えてあげれたんだよ』


 未来ミクちゃんの優しい声が聞こえたと思った瞬間、プレハブ倉庫のあたりが一気に騒めく。


「班長!」


 捜査官と思われる人物が、関係者を呼ぶ声が聞こえた。

 守屋刑事の顔が一瞬にして険しくなる。


「子どもです! こ、子どもの遺体が保存されています!」


 現場はさらに慌ただしさを増していた。部屋の中には血まみれの男性の死体。プレハブ倉庫からは子どもの遺体。この家はどうなっているんだ? と言う声が聞こえてくる。


碧海あくあ、あれは、お前が言っていた公園のガキか?」

『ボクちゃん…。薫くんだよ』


 守屋刑事と未来ミクちゃんが同時に振り向くから、俺はびっくりして缶コーヒーの中身をこぼしてしまった。それを見た二人が「現場を汚したな」と言う顔で俺を責める。シンクロしすぎだろ?


 俺は守屋刑事と並んで、男の子が入れられていた冷凍庫が運び出されるのを見守っていた。この光景、この大きな冷凍庫は、薫くんが最後に俺に見せた映像そのものだった。


「おい、大丈夫か?」

「はい…。彼はこの家の子、先ほどの女性の子どもに間違いないと思います。名前は…薫」


「薫…こんな小さい子どもを、一体誰が…?」


 守屋刑事も怒りを隠すことなく、現場検証を見つめていた。


 目に映る光景は、惨いとしか言いようのないモノだった。髪の毛にも顔にも霜が降りた状態の小さな男の子が膝を抱え保存され、その姿はまるで寒さに耐えているかの様に見えた。


 俺の目にはあの時感じた薫くんの悲しみがオーバーラップされる。


「彼は…薫くんは、母親に殺されました。大好きな母に…。すごく辛くて苦しかったと思います。そしてそのきっかけを与えたのは、おそらく…防犯カメラの男」

「くそっ」


 守屋刑事が叫び、手に持っていた缶コーヒーを片手で握りつぶした。


 もちろん…「現場を荒らすな!」とお叱りを受けたことは言うまでもない。

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