最悪の事態

「はい、九条です」


 俺は斗真にも聞こえるようにスマホのスピーカーをONにする。


「弥勒の義弟よ、さすがだな。例の男がバッチリ映ってたぞ。青木 円香も。まずは礼を言おう。それでだ」

「守屋刑事! 良いところに!」

「な、なんだ?」

「お願いしたいことがあるんです!」


 俺は公園の男の子について簡単に話をした。その男の子の家を探していることも。


「それで、このあたりの徒歩圏内の一軒家を探しているんです」

「って言われてもな〜。俺たちの管轄外だ」

「でも、守屋刑事。例の男のこと、その母親から聞けるかもしれませんよ?」

「何?」


 斗真が初めて反応した。


碧海あくあ、どういうことだ?」


 しーっ、っと俺は人差し指を唇に押し当てる。まだ確信があるわけじゃない。こう言えば守屋刑事も食いつくだろうと思ったのだ。


「それだけの情報じゃ、俺たちは動けない。わかるだろ? ま、交番勤務の奴に連絡は入れておいてやるから、子どもの虐待、行方不明など起きてないか聞いてみろ」

「あ、そっか」

「それに、こっちもビデオに映った青木 円香の様子を見る限り、事件性がないとも言えん状況だ。都築くんだったか? 当時の様子など詳しい話を聞かせて欲しいんだが」


 えっ? 俺? っていう顔で斗真が俺に助けを求めている。お前が話さず、誰が詳細を語れるんだ?


「わかりました。後ほど斗真と一緒に署まで伺います」

「頼む。こっちは引き続き男の車を追う」


 こうして守屋刑事との電話は終わった。嵐の様なオヤジだけど、意外と良い人なのかもしれない。面構えはヤクザみたいだけど、俺の能力を疑わず気持ち悪がることもなかった。弥勒義兄とはいったい…、どんな関係なんだろう?

 ま、いっか。俺は無言のスマホを上着にしまった。


碧海あくあ、交番に行くんだろ?」

「あぁ、急ごう」


 俺たちは守屋刑事に言われた通り、交番に向かった。

 急いだ方がいい。何だかとても嫌な予感がする。



* * *


「うーん。虐待報告ね〜。そういうのは児童相談所に確認するのが早いんだよね」


 交番にたどり着いた俺たちは、薫くんのことがわかりそうなヒントを、いくつかお巡りさんに伝えた。事前に守屋刑事から連絡をもらっていたという目の前のお巡りさんは、いかにも面倒だと言わんばかりにパソコンをいじっている。


「あれでしょ〜? 最近公園に出るっていう子どもの幽霊。君たちもその話を聞いて来たんだよね? 警視庁の刑事さんにどんなコネがあるかわからんけど、こういうの困るんだよね」


 市民を守るのが警察じゃないのかよ? 俺も斗真も目の前のオヤジに腹を立て始めていた。警官の制服を着ているけど、中身は空っぽ。しかも肩にはモヤっとした影が複数体憑いている。過去に何かやらかしたに違いない。


「あんたたち、職質かけられた子たちだよね。困るんだよな〜」

「あのさー…」


 我慢の限界を迎えた斗真が、席を立った瞬間だった。


『ボクちゃん! 助けてっ!』

未来ミクちゃん!」


 俺は声のする方角に向かって、交番を飛び出していた。


「お、おい! 碧海あくあ!」

「こっちだ斗真!」


 未来ミクちゃんが俺を呼んでいる。

 俺たちは導かれるまま、何の確信もないけれど間違いなく薫くんの家に向かっていた。




 ガシャーンっ。


 ガラスの割れる音が響く。道を歩く人は足を止め、音のする方を眺めていた。

 ここだ、ここに薫くんと未来ミクちゃんがいる。


「斗真、頼む。守屋刑事に連絡してくれ」

「えっ? 俺電話番号知らない」

「俺は家の中に」


 俺は斗真にスマホを押し付け、家の中に入るために野次馬たちを掻き分ける。


碧海あくあ、この家がそうとは限らないぞ!?」

「大丈夫。多分ここだよ。斗真は守屋刑事に連絡してくれ。頼んだぞ」

「あ、碧海あくあ!」


 くそっ、と斗真の声が聞こえたけど、俺は迷わず玄関のドアノブを回す。

 案の定鍵がかかっていて中には入れない。その間にも物が壊れる音が聞こえてくる。


 考えろ、俺。考えるんだ! 確かこの家には庭があって、そこは大きなガラス窓があったはず。そこからなら中の様子も見えるはずだ!


 俺はゆっくりと中の人に気付かれないように庭の方に向かった。


 ガッシャーーーーンっ。ドスンドスン。

 また新しい物音が聞こえた。中は相当ヤバイことになっていると、簡単に想像ができる。急げ!


 クモの巣を払い退け庭に入ると、左手に物置小屋の様なプレハブ、右側に縁側があり、そこから中を覗けそうだ。


 俺はそっと近付き中を確認する。


 ガシャーーーーンっ。新たな音ともに女性が壁に投げ飛ばされ、俺の視界に飛び込んできた。そしてその上に若い男が馬乗りになる。


「やめろーーーーっ!」


 その時部屋の中に薫くんの姿が見えた。その後ろで未来ミクちゃんがしっかりと薫くんを抱き締めている。

 その薫くんは怒りを抱え、体全体に黒い靄をまとい今にも爆発寸前だ。俺を突き飛ばした時よりも、もっと大きな負のパワーを抱え、じっと男を睨み付けている。


 ヤバイ!


『や…め…て』


 薫くんの声が俺にははっきりと聞こえた。でも男にはこの怒りのこもった声は聞こえない。


 馬乗りになった男の手が薫くんのお母さんの細い首を締め上げていく。早く何とかしなければ、薫くんのお母さんの命が危ない。


 アイツを止めるためには、ガラスを割るしかない! 俺は庭の周りを探す。石、石、レンガでもいい、何か固くて大きいものを急げ!


 庭の花壇に使われていたレンガが目に入ったその時、未来ミクちゃんの声がした。


『ボクちゃんっ、危ない! 伏せて!』


 その声とほぼ同時にガラスが割れる大きな音が聞こえた。それは部屋の内側から外に向かって突風が吹いたかの様に、窓ガラスが破られ飛び散った音だった。


 俺は咄嗟に身を屈め、ガラスの破片は俺を飛び越えて庭に散らばった。


 部屋の中には、驚き腰を抜かしてへたり込んでいる男、そして毛を逆立て怒りに燃えたぎった薫くんがいた。

 その薫くんの周りには、どこからわいてきたのか多くの黒い靄がぐるぐると薫くんを取り巻いていた。

 それらはきっと、成仏することを諦め悪意の塊となった者たちだ。黒いフードをかぶり、もはや人間の原型をとどめていない。彼らが薫くんに力を与えているのか!?


 男のもとへ近付かないよう、未来ミクちゃんが必死で薫くんを押さえ込んでいるのが見える。


「ダメだ。薫くん! そっち側に行っちゃダメだ!」


 俺は迷わず駆け出そうとした。だけど思うように足が動かない。


「クソっ!」


 唐突に、俺の世界が色を失い、俺の足や腕を押さえ込む黒いフードの悪意がハッキリと見える。未来ミクちゃんの悲しそうな顔が、もう手遅れだと物語っていた。


 未来ミクちゃんの手が薫くんから離れる。


 あぁ、また俺は彼らの想いに応えてあげられなかった。罪悪感が俺を襲う。ごめん、俺は無力だ。


 遠くで斗真が俺を呼ぶ声が聞こえた。

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