薫くんの願いは1つ

 先ほどから未来ミクちゃんが、ぷりぷりしている。如月刑事を見ていた俺、正確には何も憑いていない女性がいることに驚いて、彼女の後ろ姿をガン見していた俺に怒っているのだ。女心は本当にわからない。ま、可愛いいからもう少し放っておこう。


 さっきから黙って俺の後ろを歩いていた斗真が口を開いた。


「おい、碧海あくあ。俺たち、どこに向かってるんだ?」

「言ってなかったっけ? 薫くんが見つかったって言うからさ、会いに向かってる」

「ぅげっ!」


 そっか、やっぱり幽霊に会いに行くのか…と、斗真はがっくりと肩を落とす。そんなこと言ったって、薫くんがあのロングコートの男を見ている可能性が高いのだから、話を聞かないという選択肢はない。


『ボクちゃん、あそこ』


 未来ミクちゃんの指差す方向に、薫くんがボーッと立っているのが見えた。その先には噴水を眺めながらベビーカーを揺らす母親。やはり薫くんはお母さんに会いたいんだ。そう思わずにはいられなかった。


「薫くんだ」

「えっ? どこどこ?」

「斗真はここで待ってて。薫くんと話をしてみる」


 斗真が凄く心配そうな顔で、俺の腕をつかんだ。


碧海あくあ、大丈夫だよな?」

「何が?」

「また、倒れたりしないよな?」


 あぁ大丈夫だ、と俺はそっと斗真の手を振りほどく。大丈夫かどうかなんてわからない。やってみないと分からないことは世の中に沢山あるのだから。


未来ミクちゃん、薫くんをここまで連れてきてくれるかな?」

『う~ん。やってみるね』


 俺たちは噴水が見えるベンチより下がった木陰に、陣を構えた。太陽の光も木洩れ日程度にしか差し込まないから、ここにわざわざ入ってくる人もいない。

 想いの塊と対話するにはもってこいの場所だと思った。


 未来ミクちゃんが、薫くんと何やら話をしている間、俺は意識を少し後ろに退くように集中させる。

 

 ゆっくりとゆっくりと、薫くんの色が濃くなっていく。


『ボクちゃん、大丈夫?』


 未来ミクちゃんが、薫くんの手を引いて俺のところに戻ってきた。俺の目に写る未来ミクちゃんの色もハッキリとし、まるで触れることが出来そうだ。


『僕…、ママに会いたい』

「薫くん…」


 俺は薫くんの悲しみを肌で感じることができる。


「ごめん。今俺たちは友達を探してるんだ。その子を助ける為に、君の力が必要なんだ。だから、助けて欲しい」

『ボクちゃん…』


 俺は何かを言いたげな未来ミクちゃんを手で制し、薫くんと目線を合わせじっと見つめた。そうすることで彼の心の中が見えるんじゃないかって期待して。


『ママ…』


 ダメか…。そう思った時、薫くんが口を開いた。


『お兄ちゃん、ママを助けてくれる?』

「えっ? ママって」

『黒い服のオジサン、あっち』


 俺は薫くが指差す方向を振り向く。そっちは確か公園のトイレの方向だ。


「女の人も一緒だった?」


 うん、と頷く薫くん。その時薫くんの悲しみが濃くなるのがわかった。


『ボクちゃん! 離れて!』


 未来ミクちゃんの叫ぶ声がしたかと思った瞬間、俺はぶっ飛ばされた。

 急に世界が色を取り戻す。


碧海あくあ!」

「っ…」

「大丈夫か?」

「くそっ、クラクラする」


 俺は派手に尻餅を付き、斗真のいるところまでぶっ飛ばされた。薫くんの悲しみがエネルギーとなって俺をぶっ飛ばしたのだ。想いの塊が、大の大人に物理的な影響を与えた?


未来ミクちゃんは?」

「寝ぼけてるのか?」


 あ、そうか。俺はまだ、彼女の名前を斗真に言ってなかったことを思い出した。


「あ、いや…。ごめん」


 俺は心配する斗真の肩を借り、立ち上がる。肩の辺りをぐいっと押された感覚がまだ体に残っていた。

 パーカーをずらすと、肩を掴む手形のアザが見てとれた。薫くんの手に違いない。


 俺は吹っ飛ばされる直前、薫くんの想いを見ることができた。見るというより大量の情報が流れ込んできた、そんな感じ。その全てが深い悲しみに支配されていた。


 俺はその悲しみを胸にしまい、薫くんが言っていたことを報告する。優先順位は円香ちゃんだ。

 もしこれが真実なら、円香ちゃんも危ない!


「斗真、円香ちゃんは公園トイレのある出口から、車に乗って男と出かけた」

「そんなことが分かったのかよ」

「あぁ、守屋刑事に伝えよう。あの時間の防犯カメラなら、そこを重点的に確認してもらう方がいい」


「あ、あぁ。でもその前にお前…」

「うん?」

「顔が真っ青だ。それに手が」


 スマホを操作する手が、自分でもわかるほど震えている。何よりびっくりしたのは、守屋刑事の名刺が滲んで読み取れないことだった。

 薫くんが見せた想いが俺の心を支配し、離れない。それはとても黒く深い悲しみだった。



「守屋刑事、何だって?」

「調べてくれるってさ」

「そっか。少し落ち着いたか?」


 俺は斗真が買ってきてくれたレモネードを飲み干した。レモネードの甘酸っぱさが俺の気分を落ち着かせてくれる。


「なぁ、碧海あくあ。何が起きてるんだ?」


 いつも以上に不安げな顔が俺を覗き込んでいる。


「俺はさ、お前みたいに感じることも見ることも、聞くこともできないけどさ。お前だけが苦しむことは、ないって思うんだ。何も変わらないかもしれないけど気持ちを理解する事なら、俺にも出来るんじゃないか」

「斗真…」


 隣に座っている斗真の横顔が、とても頼もしく見えた。俺が女だったら惚れてたかもしれない。ホント、男でよかった…。


「ありがと。隣にいてくれるだけで、俺は生きてるって思えるよ」

「なんだそれ」

「お前と、このレモネードがあればいいって話だよ」


 プッ、と俺たちはお互いの顔を見て吹き出してしまった。「俺はレモネードと同レベルかよ」って斗真が俺を小突く。

 こうやって、笑い合えることがどれだけ俺の心を軽くしてくれてるか、感謝しかない。


「なぁ、斗真」

「なんだ?」

「俺たち、急いだ方がいいかもしれない」


 斗真が涙を拭きながらキョトンとしている。


「それって、円香ちゃんこのこと? 円香ちゃん、ヤバイのか?」


 あ…ごめん、そうだよね。俺の言い方が悪かった。


「そっちはまず、守屋刑事たちに任せよう」

「じゃぁ?」



「ヤバイのは、公園の男の子の方」

「えっ」


 そう、薫くんの深い悲しみは闇落ち寸前だった。

 闇に落ちた魂は、悪霊となりこの世にずっととどまるしかない。そうはさせない、させたくないんだ。


 間に合ってくれ。

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