彼女の名前は…

「二人きりじゃ~ないけどな」


 すっかり彼女の事を忘れていた俺は、斗真をチラ見してから正面で彼女を見ようと、座り直した。

 当の彼女はめちゃくちゃニコニコして俺を見つめている。まつ毛もバサバサで、瞬き一つで風を起こしそうだ。

 それにしても、見る度に思う。俺の永遠のアイドル、ミクちゃんにそっくりだ。ヤバい。本気で惚れてしまいそうだ。


『細かいことは気にしない方が良いよ。ハゲちゃうから』


 彼女はそう言うとスマホに目を落とした。

 そして俺は気づく。彼女の言っていることは姉貴と同レベルだ。前言撤回。早く成仏してもらおう。


「俺の爺ちゃんがハゲていたからね。いいんだよ」


 彼女はふ~んと俺の生え際を観察するように眺めてから、公園に出ると言われている子どもの幽霊について語り始めた。


『ねぇ、さっきのオジサンの話てた公園の子どもの話ってさぁ、薫くんのこと?』

「薫くん?」

『うん、そう。そこに倒れてるボクちゃんの友達、どっかで見たことあるなぁ~って思ってたんだけど、この前あの場所で見かけたんだよね。髪の長いちょっとケバい子と一緒だった』

「えっ? こいつのこと知ってるの?」


『うーん、知ってるっていうか、私の前を通りすぎたの。彼さ、めちゃくちゃおどおどしてたから、覚えてるんだよね~』


 ぷぷ。やっぱり斗真の奴、暗闇が怖かったのだろう。情けない奴だ。


「ははっ。こいつ、怖がりだからな」

『そうみたいね、薫くんがそのケバい彼女をママだと思っちゃって近付いたら、急に倒れちゃったんだよ。私、思わず笑っちゃった』


 ちょっと待て。何で彼女が斗真たちのやり取りを知ってるんだ? 幽霊同士は干渉しあわないはずじゃ…?


『怖い顔して何を考えてるの? ボクちゃん、悩みがあるなら彼女の私に何でも話して良いんだよ』

「彼女じゃないでしょ…」

『えーー。だってお風呂で『彼女を作れよ』とかって言われてたじゃん。だから寂しい君の彼女になってあげたのにぃ~』


 寂しいだなんて、失礼だな。でも、拗ねた顔も可愛い。反則技だ!


『も、もしかしてこの倒れてる子が好きなの? そうなの? だから彼女を作らないの? あぁ~そうなんだね』

「何でそうなるの!? これだけははっきり言っておく! 斗真のことは、好きとか嫌いとかそんな恋愛感情はこれっぽっちもない。俺に彼女がいないからって関係ないだろ? それに俺は君の名前も知らない。名前を知らない彼女なんていないでしょ。君は、死んでるんだし」


 彼女が初めてシュンとした。ヤベっ…、もっと言い方ってもんがあったはず。分かってますよ、でも君を彼女には出来ない。だってめちゃくちゃ可愛いけど、生きてる娘が良いに決まってる!


『そんな風に言わなくても良いじゃん。私…』

「あぁぁ、ごめんごめん。言いすぎた」


 彼女がしゅんとするのと同時に、彼女の首筋からパーカーの裾にかけて血の様なシミが浮き上がってきた。これは、彼女の最期の姿? ってことは、どう見ても、彼女は殺されたってこと!?


「ごめん、落ち着いて話そう。あ、そうだ。まずは君の名前を教えてくれないかな」

『くすん、教えたら…ボクちゃんは?』


 どんどん彼女の服が血だらけになっていく。あぁ~、ミクちゃんが壊れていく。どうしよう。

 端から見たら俺、一人でめちゃくちゃアワアワしている変人に見えただろう。


「分かった、分かった! 君は俺の彼女だ」

『初めての?』

「あぁ、初めての彼女。これで良い?」

『ダメ。ちゃんと言ってみて。初めての彼女に?』


「く…、初めての…彼女に……ゴニョゴニョ」

『うん? 聞こえないよ』


 彼女は真っ青な顔をして耳に手を当てる。聞こえてるくせに…。何だよこれ。


『ちゃんと言ってくれないと』

「う"…ぐっ」


 そんな恥ずかしいこと生身の女の子にだって言ったことないのに…。このままじゃ話が進まないぞ。俺、頑張れ!


「俺の、……か、か、彼女になってください!!」


 あぁ~言っちゃった…。

 まんまと彼女の策に落ちた気がしてスッキリしないけど、ドロドロの姿でいられるよりましだ。

 俺の言葉を聞いた彼女は満足したのか、元の姿に戻ってニヤっと微笑んだ。


『良いよ。なってあげる』


 彼女は嬉しそうだ。その笑顔はやっぱり可愛い。生きていた時に会いたかった。見れば見るほどミクちゃんだ。もしかしたらミクちゃんのベースモデルになってるとか?


 まさかね。


 俺は彼女に近付く。生身の人間なら、膝と膝がくっつくくらいの距離に。


「じゃ、じゃぁ、自己紹介から始めよう」

『良いわよ』


「……」


 お、俺からかよ。彼女はニコニコして俺が話すのを待っている。俺はため息をつきながらも腹をくくって姿勢を正した。


「うん、じゃぁ俺からね。俺の名前は九条 碧海あくあ。大学2年、20歳。好きな食べ物はプリン。嫌いな食べ物はグリーンピース。あとはえっと~、相棒はお気に入りのマウンテンバイク」


 他に何を言えば良いんだ? ま、このくらいで良いか…。さぁどうぞ、と俺は彼女に発言権を譲る。


『私の番だね』


 彼女は少しもったいぶってから、スマホを俺にみせた。受け取ることは出来ないけど、画面をちゃんと確認することができた。


「何?」

『うーん。ここに書いてあるでしょ? 読んでみて』


「未来…未来ミク…?」


 画面には可愛らしい生前の彼女の写真と、プロフィールが載っていた。

 彼女は未来ミク。アカウント名にはそう書かれていた。


『そう、私の名前は、未来ミク


 これは夢だ。悪い夢だ。俺のミクちゃんにそっくりの子は未来ミクって子で、何らかの事件に巻き込まれ死んだってこと?

 俺は明らかに動揺し、何度もスマホの画像と彼女を見比べてしまった。


『多分その名前だから、これからはそう呼んでね』

「多分って?」

『う~ん、ごめんね。何だか思い出せないんだけど、そう呼んでくれて良いよ。ボクちゃんには特別許してあげる』


 そう言うと彼女は俺の頬にキスをした。と言ってもフワッとした空気を感じたくらいだけど。


 未来ミクちゃん…か。


 こうして俺は、誰にもナイショの彼女ができた。彼氏彼女の関係ってこんな感じにスタートするのか?


 もっとドキドキすると思っていたから、何だか拍子抜けだ。でも、彼女に成仏してもらうためには、あぁ~もぉ! まずは円香ちゃんの事が先だ。


『ボクちゃん、何を考えてるのかな? 薫くんの事なら、公園に行けば会えるかもよ』


 そう言って彼女はまたスマホをいじり始めてしまった。もう俺に興味がないみたいに。

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