何かが斗真に起きている

「げっ!」


 ズーーーッ、ズーーーズリッ…。


 物凄く気持ち悪い音と共に、黒いドロドロした靄が斗真の背中から溢れ出し、そこから這い出す様に白い女性の腕が現れたのだ。

 その腕は斗真の部屋で見た時と同じ赤いジェルをした爪で、じわじわと斗真の頭部ににじり寄る。


「斗真!」

「うっ…、ぐぐっ…」

「くそっ! 斗真から離れろ! 弥勒義兄っ、斗真が!」


 俺はたまらず弥勒義兄に助けを求める。その弥勒義兄は斗真の背中に手を当て、何やらぶつぶつ唱えている。このままだと腕が斗真の髪を引っ張り、首を変な方向に曲げてしまうのではないかと心配になってくる。


「弥勒義兄!」

「今だ、幽玄さんの数珠を斗真くんに!」


 俺はその声で爺ちゃんの数珠を斗真の背中、現れた腕に押し当てた。


 斗真から離れろ! それだけを念じて。


「ぐぁーーーーっ!」


 斗真の口から悲鳴ともに大量のゲロが放出された。な、何だこれ!!

 俺はもらいゲロをしそうになり、斗真から手を離してしまった。


「ゲホッ、ごほっごほっ」

碧海あくあくん、大丈夫かい?」

「すみません…」


 気付くと、弥勒義兄が爺ちゃんの数珠を斗真の腕に着け直しているところだった。


「斗真は?」

「うん、大丈夫。スヤスヤ寝てるよ。悪酔いしたんだろうね」


 弥勒義兄は嫌な顔一つせず、枕カバーに使っていたバスタオルで床を掃除し始める。あの腕のせいなのか、ただの酔っぱらいのおそそなのか…、俺には分からなかったけど、弥勒義兄と一緒に御堂を掃除する。

 明るくなったら、水拭きが必要だな。


「もぉー、酒くさいなー」

「朝風呂に入るといいよ。準備しておいてあげるから、斗真くんが起きたらそうするといい」


 弥勒義兄はどこまでも優しい。

 それにしても例の彼女と言えば、『うわー、きちゃない…』と言って壁際で俺たちの行動を見守っていた。ま、掃除を手伝うなんて芸当は期待してないからいいんだけど。


 弥勒義兄が斗真のゲロの後始末をした後、俺を眺めてニコニコしていた。


「な、何ですか?」

「イヤ、こんなに真剣な碧海あくあくんを見たのは久しぶりだと思ってね」


 嬉しそうに話す弥勒義兄は、少し疲れた様に見えた。霊を判断したり、祓ったりするのは体力を使うのだろう。


「それで、碧海あくあくんには、どう見えていたんだい?」

「それは…」


 俺たちは穏やかに寝ている斗真を挟んで、先程見たモノについて考える。


「俺が見えたのは、この前斗真に見えたものと同じモノでした。白い腕に赤い爪、その腕が斗真の背中を這って…」

「そうか、女性の腕か……」


 弥勒義兄は、顎に手を添え考え込む。その横でミクちゃん似の彼女が、珍しいものを見るように斗真の顔を覗き込んでいた。


『ねぇボクちゃん、この子がボクちゃんの大事なお友だち?』

「あぁ、ってちょっと離れてくれるかなぁ~」

『はぁ~い』


 うん、素直でよろしい。


 そう言えば彼女の名前を聞いてなかったな、なんて思いながら、膝を抱えて大人しく座っている彼女の横顔をチラ見する。やっぱり可愛いい。幽霊だなんて思えないほど、彼女はリアルそのものだった。


「私にはね」


 弥勒義兄の深みのある声が聞こえてきた。弥勒義兄は斗真の背中に手を添え、じっとその辺りを見つめていた。そこはアノ靄が湧きだした場所だった。


「髪の長い人物が斗真くんに覆い被さって、救いを求める様な苦しさを感じたよ」

「長い髪…」


 そう言えば円香ちゃんも髪が長かった。時々赤い指先で毛先をいじっていたな。


「それって…」

「うん、そうだね。名前を聞いたから、円香さんって子で間違いないと思う」


 弥勒義兄はまた顎に手を添えて考え込む。


「円香ちゃん、それじゃぁ…死んでる?」

「イヤ、彼女は生きてるよ」


 俺は驚いた。円香ちゃんは生きている。でもあの腕はもっとこぉ~、おどろおどろしてた。


「彼女は斗真くんに助けを求めてる。でも彼女の側にものすごく嫉妬深い執念の塊のようなモノがついてるんだ。それに囚われ逃げられない。そんな気配を感じるんだ」


 弥勒義兄の顔が一瞬、曇った気がした。他に何か俺に言えないことがあるんじゃないか…、そう思った。


「斗真くん達は公園の男の子の声を聞いたと言ったね」

「あ、はい。でも円香ちゃんは怖がってもいなかったって」

「そうか…。その子どもは関係ないのか。これは警察に任せた方がいいかもしれないな」

「えっ?」


 弥勒義兄の話をまとめると、おそらくこういうことだ。


 円香ちゃんには執着している何者かがいた。ストーカーみたいな奴? 俺が見た円香ちゃんにはドロドロした何かが憑いていたから、きっとソレはそいつの嫉妬心とか独占欲だ。

 その男性か女性か分からないけど、その人物が斗真とイチャイチャしている円香ちゃんを連れ去った。


 だから斗真にもあのドロドロがくっついてきたんだ。嫉妬と恨みってとこか。ということは、その嫉妬心旺盛の何者かは、斗真のことを知ってるってこと?


 俺がモヤモヤ考えていると、弥勒義兄がボソッと呟いた。


「先日、こんな話を聞いたばかりなんだ。『女子大生連続殺人事件』、何か嫌な予感がする」

「それって…」


 そう言えば警察に円香ちゃんの失踪を相談しに行った時、警察のオッサンが食いついて来たことを思い出した。確か、守屋さんって呼ばれてたっけ。


「警察には話したんだよね?」

「はい、でも、ほとんどまともに話を聞いてもらえなくて」

「そうか。私もとても気になるから、知り合いの刑事さんに話してみよう」


 弥勒義兄はそう言うと「部屋に戻るよ」と立ち上がる。


「幽玄さんの数珠、斗真くんに持たせてあげたのは正解だったよ。あれがなかったら、円香さんの想いに取り込まれていたかもしれない」


 弥勒義兄が足を止め、怖いことを言う。彼には彼女のどんな叫びが聞こえたのだろう。


「それって、他に何か気になることがあるってこと?」

「イヤ、幽玄さんはスゴイってことだよ。じゃ、風呂の準備をしておくから、斗真くんが起きたら入るといい」


 何だかはぐらかされた気がする。


碧海あくあくん、今夜の碧海あくあくんの無謀な行動については、また今度話そう」


 そう言うと御堂を出ていってしまった。


 残された御堂には斗真の寝息と、炭が弾ける音だけが聞こえた。


『やっと二人きりになれたね』


 わ、忘れてた…。俺にはもう一つ考えなくちゃならない事があったんだ。

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