真実は時に残酷で

「この辺りでよかったですか?」


 タクシーは来た道を戻り、かつて釣り堀のあった場所に到着していた。

 釣り堀は埋め立てられ更地になり、昔の面影は全くなくなっていた。それにしても植物の生命は力強い。ここ一角に敷き詰められた土から様々な雑草が生え、この寒空の下一生懸命上を向いて太陽の恩恵にあずかろうとしていた。


「停めやすいところで、お願いします」

碧海あくあ? さっきの場所より暗いぞ? ここで降りるのか?」


 斗真の顔がひきつっている。


「差し出がましいかも知れませんが、この先は清瀧寺で、何もないはずですが…」


 運転手さんもタクシーを停め、「ここでお待ちした方がいいですか?」と、気を利かせてくれた。さっきの件があるから二人とも心配してくれているのだろう。だからすごく申し訳ない気分になる。でもね…。


「あ、その寺。俺の実家なんです」

「「えっ?」」

「今日は友人を連れての帰省でして…」


 運転手さんも斗真もビックリした顔をしている。何だか笑える。


「俺、聞いてない!」

「言ってなかったからね」

「その…お前、大丈夫なのかよ?」

「うん、まぁ、正直しんどいよ。子どもの頃はさ、出入りの多いい家だなーなんて思ってたんだよね。それに、みんな見えてるんだと本気で思ってたからね」


「ってことは、ここにもいるってことだよな?」


 斗真は完全にびびってる。運転手さんも不思議な顔で俺たちのやりとりを聞いていた。多くの人が俺に向ける、恐怖、好奇心、哀れみが混じったあの顔だ。


「彼らは基本つるむことはないから、そうそう見かけることはないよ」


 俺は嘘をつく。


「あなたが、清瀧寺の…」


 運転手さんが清算の手続きをしながら、ボソッと呟いた。


「…?」

「いえ、孫の葬儀も清瀧寺のご住職さんにお願いしましてね、とても暖かい言葉を頂いたのを、思い出しました。その節は大変お世話になりました」


 運転手さんは鼻をすする。悲しみは去ることなくまだ彼の心を支配しているのだ。


「学くん、ですね」

「えっ?」

碧海あくあ?」


 斗真はさっきの俺の行動と態度で理解したようだった。俺は斗真に頷き、学くんのことを話そうと姿勢をただす。


 何からはなそう。



「小嶋さん。既にこいつから聞いてると思うんですけど、俺は…死者の想いを見ることが出来ます。想いが強ければ強いほど、鮮明に形となり見えてしまうのです」


 運転手さんは一瞬驚いた顔をしたが、黙って頷いた。


「学くん、『あきのま小学校』で亡くなられたのですね」

「どうして、えぇ。そうです。学はまだ7歳でした」

「そんな、まだ若いのに」


 斗真は既に涙ぐんでいた。悲しみが車内に広がるのがわかる。でも、伝えなければ。それが彼の望みなのだから。

 俺はさらに姿勢をただして話を続けた。


「俺、学くんに会いました」

「……なっ!」


 俺のその言葉に、運転手さんは驚きと希望と不安の入り交じった顔を向ける。


「学は、学は何か言っていましたか? 私はあの子を救ってやれなかった。あの子が苦しんでいる間、何も知らず眠っていたのです。ひどい爺さんだとお思いでしょ? 今でも忘れられないのです。何か出来たのではないか…、私がちゃんとしていれば…と。私が代われるものなら、代わってやりたい」

「小嶋さん、学くんはあなたにこう伝えてくれと言いました」


 俺は一呼吸置いて、学くんの発した言葉を伝える。


「『もう、悲しまないで。僕はちゃんとコロンといるから』と」

「あぁ…」


 運転手さんの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。この先の話もするべきか迷った。こんなにも悲しみが深いこの人を救うことなんて、俺には出来そうにない。


 それでも俺は話すことを止めなかった。それは学くんの願いだから。


「学くんはあの日、独りで学校に戻っていきました。コロンを探しに」

「そうです…」


 運転手さんが力なくそう答えた。


「そしてあの小屋に入ってしまった。コロンを探して奥まで。そこで事故が起きた」

「そうです。外から鍵を閉めた人物がいたのです。誰も、学が中に居るとは思わなかった。確認もしなかった」

「えぇ。あなたも」


 運転手さんと目があう。救いを求めるような深い悲しみが宿った目だった。


「あなたは先ほど寝ていた。とおっしゃいました。これは憶測ですが、夜間勤務と長距離運転で疲れていたあなたは、学くんがいないのを学校に行っているからだと思ってしまった。それは無理のない話です」


 俺は学くんから見せられた、思い出の映像に映る運転手さんの笑顔を思い出す。学くんが大好きだった笑顔に違いない。


「学は、コロンと一緒にいると…言っていたのですね」

「はい」

「よかった…。それが聞けただけでも」


 運転手さんは、バックミラーのマスコットを見つめ呟くようにそう言った。


「コロンって犬でしたよね?」と、斗真が話を繋ぐ。


「えぇ。コロンは学の母親が亡くなるちょっと前に家族になった子でしてね。とても学に懐いていたんです。あの日、学が学校に行っている間に、何か悪いものでも食べたのかぐったりしていましてね。仕事前に病院へ連れていったことを伝えようと思っていたのですが」

「学くんはそれを知らずに、コロンを探しに行ったんですね」


 運転手さんは項垂れて鼻をすすった。


 彼は自分を責めている。連絡をちゃんとしていれば、家に帰っていないことに気付いてさえいればと…。


「コロンも亡くなったのですね。いつですか?」

「学が亡くなってから直ぐに」


 運転手さんはまたマスコットをじっと眺めて鼻をすする。


「それ…」

「え?」

「それは学くんが大事にしていたマスコットですよね?」

「そうなんです。母親がなくなる前に作ったもので、ランドセルにつけていたのですが、あの日…学が見つかった時に握りしめられていたのです。どうしても処分できなくて、今では私の宝物です」


 マスコットを握りしめ、優しく指を這わせながら運転手さんは教えてくれた。


「それ、大切にしてあげてください。学くん、時々そのマスコットを通じて、あなたに会いに来ているんです。すごく悲しむあなたを見て、心配しています」

「……学…うぅ…っ」


「もう、悲しまないでください。学くんのためにも。学くんはあなたの笑顔が大好きなんです」



 悲しむな、と言うのは無責任だ。家族として出来なかったこと、してあげたかったこと、様々な想いを抱えこの先も彼は生きていかなければならない。


 俺のしたことは、よかったことなのだろうか? 俺は遠ざかるタクシーのテールランプを眺め、そんなことを考えていた。


「学くんって子、お前に感謝してるかもな」

「そうかな?」

「あのおじさんも、少し心のつっかえが解けたんじゃないか? お前にしか出来ない優しさだよ」


 俺は何も言えなかった。ただ、斗真の優しさが心にしみる。


「それにしても、中に人がいるのを確認しないで鍵を閉める奴がいるんだな。これって犯罪にならないのかね」


 斗真が珍しくぷりぷりしている。俺もその辺りが気になっていた。罰しなければならない奴がいるはずだ。それにコロンの死も、偶然だったのだろうか?


 俺は考える。


 あの日、学くんは高校生くらいの少年と話していた。それは学くんが見せてくれた、記憶の断片からも明らかだ。俺はその少年の事が妙に気になっていた。とても暗い目をしていた少年。左目の下のほくろが印象的だった。


 あいつ、倉庫の中に学くんがいることを知っていて鍵を。


 学くんが見せてくれたあの映像を思い出し、俺は寒気を感じずにはいられなかった。

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