真実を話すことは正義なのか?

 体の自由がきかない。


 手も足も体も重たいだけのモノでしかない。そして俺は、暗闇の中にゆっくりと堕ちていく。


 今俺は、意外と落ち着いている。これで鬱陶しい色々なことから解放されるのか? という気持ちの方が、死ぬことへの恐怖より勝っていた。やっと俺は解放される。そんな安堵感というものなのだろうか。


 そんなことを考えていると、ふと暖かい視線が俺に向けられているような気がした。ゆっくりと瞳を動かすと、そこに、ぼんやりとした光が見てとれた。俺の落としたスマホの光がまだ見えているってことだ。


「きれいだな」


 俺は抗うこともなく、ゆっくりと目を閉じる。堕ちていくまま身を任せて。まるで水の中を漂うように。


 すると、その光の中から誰かの手がスーっとのびて来るのが見えた。


「だ…れ? ミクちゃん?」




* * *



「……い。おい! 碧海あくあ! 」


「う…っ」

碧海あくあ! 大丈夫か?」


 心配そうな斗真の顔が、俺の顔を覗き込んでいた。ゆっくりとぼやけた俺の視界がクリアになっていく。


「斗真?」

「あぁ、急にぶっ倒れるからビックリしたぞ。大丈夫か?」


 斗真は俺を抱き起こし、泣きそうなだらしない顔を見せていた。どうやら俺は死ななかったらしい。

 校門の向こう側で運転手さんが「救急車呼びましょうか?」と携帯を握りしめながら心配そうにこちらを見ていた。


「大丈夫か? 立てるか?」

「あぁ。すまない」

「心配させんなよ」


 俺は斗真に支えられ起き上がると、学くんの痕跡を探した。まだ側にいて見ているかも知れない。彼が俺を死の世界に連れていく理由はないはずだ。なのに俺は暗闇に引きずり込まれた。何が起きたんだ?


 斗真は俺の背中やケツに着いた砂を払う。あんなに怖がりで、俺が想いの塊の世界に入り込むのを嫌う斗真が、俺を助けてくれた。


 斗真がいなければ俺は確実にあの世行きだった。


「斗真、ありがとう。もう、大丈夫だ」

「お前さ、ま…いっか」

「何だよ」


 拗ねたのか? 砂を払う斗真の手に力がこもる。痛いって。


「ほら、行くぞ! 寒いし怖いし、これ以上寄り道すると、本気で吐くぞ」

「やめてくれ」


 俺はいつもと変わらず、側にいてくれた斗真に感謝しながら、斗真の背中を追いかけた。


 その時、ふわりと俺たちを包むように花の香りが通りすぎる。

 俺は慌てて香りのする方へ振り向いてみたが、そこにあるのは暗闇と化け物のようにそびえ立つ校舎だけだった。



 カッチッ、カッチッ、カッチッ、カッチッ。

 タクシーのハザードランプの音が響く。


「本当に救急車を呼ばなくてもよかったですかね」


 運転手さんが心配そうに俺たちに声をかけてくれた。斗真は少しあきれたように隣で不貞腐れてる。寄り道した上に、余計なことに首を突っ込んでるのだから、100%俺が悪いんだが…。


「すみません。心配かけさせてしまって。待っていただいた分の料金も、お支払しますので」

「いやぁ、そういう意味じゃないんです」

「本当にごめんなさい」


 タクシーのメーターを見ると『回送』になっていた。本当に申し訳ない。俺は学くんのこととはいえ、軽率だったと深く反省していた。そして、運転手さんに学くんの想いについてどう話すべきか迷っていた。


「どうします? 小坪までお送りしましょうか?」


 俺が落ち着いたのを確認した運転手さんが優しく問いかけてきた。


「はい。お願いいたします」


 俺はそう答えるのが精一杯だった。まだ俺の中で話すことについて迷いがある。「もう悲しまないで」という学くんの言葉の裏側にある真実は、やはり運転手さんには酷だろう。


 全てをありのまま伝えることが、残された人にとって幸せとは限らない。


 タクシーは無言で、来た道を引き返していった。




『あのね。お願いがあるの』


 学くんは言った。


『暗いよ。怖いよ。助けて、おじいちゃん…、お母さん』


 学くんの最期の声。そして喉の乾き。全てが闇に包まれていく恐怖。それでも学くんは今、自分が死んだことを受け入れ俺に願いを託した。


『もう、悲しまないで。僕はちゃんとコロンといるから』


 運転手さんに伝えて欲しいという言葉。でもあの倉庫にも、どこにもコロンはいなかった。


 いなかった。これは学くんの優しい嘘。


碧海あくあお前、何か見てきたんだな」

「えっ?」

「難しい顔してる」

「あ、ごめん」


 俺は難しい顔をしていたらしい。難しい顔って何だ?


「俺は、お前が見えるものは見えないけどさ。お前が苦しむことはないと思うんだ」


 斗真は窓に映る自分を見ながらそう呟いた。いつもとは違う落ち着いた深みのある声だった。


「割り切れとは言わないけどさ、独りで抱え込むなよ」

「斗真…」


 柄にもなく俺は斗真の言葉に感動していた。だいぶ抜けているところがあるけど、唯一無二の親友と呼べる斗真がいてくれることがどれだけ幸せなのかを改めて悟った。


「あ、俺ちょっと格好よかったか?」

「なっ」

「ハグしてやるぞ」


 斗真の悪ふざけが始まった。狭い車内ですることじゃない!


「キモッ。離れろ!」

「嬉しいくせに照れるなよ」


 暗く冷たい気持ちに堕ちそうになった俺の心が、斗真の言葉で暖かく溶けていく。


 伝えよう。学くんの気持ちを。


 俺の心は決まった。

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