火のない所に煙が立つ

「ママ…どこぉ~…」


 夜遅くの公園。

 子どもの泣きじゃくる声が、静かな公園に響き渡る。その子は、母親をずーっと探し続けているのだ。


「ねぇ、君? どこからきたの?」


 今夜はいつもと違っていた。柔らかく優しい声が子どもに話しかけている。


「ママ…」

「一緒に、探してあげよっか」


 優しい声の主はそっと子どもに手を差しのべた。


「……うん」


 恐る恐る声の主の手をとり握り返す子ども。そして、独りぼっちじゃないことに安心したのか、可愛らしい笑みを浮かべた。



 夜の公園に小さな男の子と髪の長いツインテールの女性の姿が、月明かりに浮かびだされる。


 今夜の公園は、一時の安らぎを彼らに与えていた。



※ ※ ※


「お疲れさまぁ~。お先~っ!」

「お疲れ様です!」


 バイト仲間が仕事を終え、パラパラと店を出ていく。俺はその姿を見届けながら、最後の片付けをこなしていた。

 そこへ明日の発注の最終確認をしていた店長が厨房に入ってきて、唐突に話しかけてきた。


「彼氏、体調悪いんだって?」

「えっ? 誰の彼氏ですか?」


 俺は嫌な予感がする。

 この人、いい人だと思うんだけど…超絶とんちんかんだし、話が長い。それに…いや止めておこう。その人に何が憑いてるかなんて、もはや個人情報だ。


「ゆきちゃんが嘆いてたぞ。碧海あくあくんに彼氏がいるぅ~って」

「げっ。何ですかそれ」


 店長の佐々木さん、めちゃくちゃニヤニヤしてる。面倒臭いことこの上ない。

 俺は半ばふて腐れぎみに否定をしておく。どうせ否定しても噂は広がるものだ。火のない所に煙が立つ。それがゴシップだ。


「友人が具合悪くて、ただそれだけですよ」

「ふむふむ。まぁ~、何事も経験だし、二人がよければそれもアリだよな」


 経験ってなんだよ……。


 そう言うと「持っていけ」と佐々木さんは店の余った食材を俺の目の前にドンと置いた。


 こういうところは優しい、と思う。独り暮らしの食にバリエーションができるから、純粋に嬉しい。本当だったら、尻尾を振って喜びたい。

 でも今は、その喜びは更なる誤解を生む。絶対に……。


「佐々木さん」

「みなも言うな」

「…」


 俺は反論の機会を失った。


「彼氏、お大事にな」

「だから…」


 良いから良いから、と知った顔の佐々木さんがいる。

 ま、いっか。いつか誤解は解けるだろう。いちいち説明していてもキリがない。


 でも、これだけは言っておきたい! いや言わずにはいられないっ!

 俺は作業の手を止め、佐々木さんの顔を正面から見つめて息を吸い込んだ。


「俺…女の子好きです。大好きです! むしろ女好きです!」


 一瞬驚いた顔をした佐々木さんは、俺の言葉と俺の渾身のどや顔を完全に無視し、ニヤニヤしながらうなずいていた。


 恥ずい…。



 それにしても、食べ物が沢山ある。二人で食えってことか。


 俺は店長にお礼と来週のシフトの話をしてから、相棒にまたがる。……が! 荷物が重すぎてバランスが取れないっ。


「仕方がない。押してくか」


 相棒のマウンテンバイクは、お洒落かごがついているわけもなく、仕方なく夜の道を歩いて帰ることになった。

 あの坂を登るのか…と思うと気が重いけど、あの状態の斗真を放置するわけにもいかず、俺は少し速度を上げて歩く。


 途中、ミクちゃんのインスタをチェックする。これは俺の日課だ。これだけは忘れちゃならない!

 ミクちゃんはバーチャルヒューマンでめちゃくちゃ可愛い! ぱっちりとした目に長いまつげがくるんとしている。ちょっと切れ長の目元は、東洋の美を感じさせる。何を着ても似合うし、どんな格好だっていけてる!

 声も可愛いしなぁ~。声を担当している人についてはずっと秘密にされている。そりゃぁそうだ。ミクちゃんはミクちゃんなのだから。


 俺はテンション高めでアクセスする。

 ポワンと暗闇に浮かんだ今日のミクちゃんは、ツインテールで友達と、この寒空の中ソフトクリームを食べているショットが公開されていた。


「ミクちゃん、可愛いなぁ~」


 俺は彼女の笑顔を見るだけで幸せになれる。きっと今の俺はめちゃくちゃニヤけているだろう。


 いいんだ。だって好きなんだから。


 俺は時々ずれ落ちてくる荷物をしょい直し、公園に足を踏み入れた。


 今夜も相変わらずフェンスのせいで薄暗い公園を相棒と一緒に進んでいく。一応ライトを点け、慎重に。


 子どもの声は聞こえない。お一人様一回限りとか制約があるのか? なんて思っていると、例の街灯の下にあの子が立っていた。この寒空に、だぼっとしたパーカーにショートパンツの格好もいつも通りだ。


 幽霊だからね。着ている服だって同じものだよな、なんて納得をしながら歩く。


 ちょうど彼女の前を通過しようとした時、俺のスマホが鳴った。

 静かな公園の中で俺のスマホのバイブレーションが響き渡る。


「やべっ」


 俺は慌ててスマホを手に取る。

 電話を掛けてきたのは、そう、昨日連絡したあの人からだった。スマホの画面がそう告げている。


 俺は一瞬ためらってしまった。自分から連絡しておいてなんだけど、俺にとってこの人は特別で…。


『スマホ、鳴ってるよ。でなよ』

「あ、うん」


 えっ?


 今、声をかけてきたよね? しかも可愛らしいちょっと鼻にかけたような甘い声がしたのだ。


 俺は思わず声のした方、そう彼女のことを見てしまった。


 髪が長いって思っていた彼女は、ミクちゃんと同じようにツインテールをしていた。そして…そして、なんとめちゃくちゃ可愛い! 少し童顔なのか幼く見える顔。ぱっちりした目。パチパチしたら風を起こすんじゃないかと思うほどの長いまつげ。あぁ~ぷくっとした唇も柔らかそうだ。

 顔色は…まぁ、色白ってことで。


 ヤバいっ。ドストライクだ!


『出ないの?』

「えっ、いや…」


 不覚にも、また返事をしてしまった。絶対に幽霊なんぞに関わらないって決めたのに。

 俺の気持ちはグラングラン揺れている。


 関わってもろくなことにならない。話を聞いてあげられたとしても、何もできないことがほとんどだ。深い悲しみを取り除いてあげられない。

 なら、最初から関わらない方がいい。そう決めただろ?


 それなのに、俺は彼女から目が離せなくなっていた。

 そして、スマホはまだ鳴り続けている。


『あれ? 君、もしかして、私の事…見えてる?』

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