己の死の価値を人に委ねることなかれ【己】

長月瓦礫

己の死の価値を人に委ねることなかれ【己】


分厚い雲に覆われ、どんよりとした空気が漂っている。

峡谷を流れる大きな川の先に冥界があり、形のない魂が列をなしている。

彼らは罪を償うために冥界へ行き、次が来るまで働き続ける。


三途の川を渡る船の料金は一律白銅硬貨6枚、狼のような耳が生えた死神が管理している。この大きな川を渡るには、白銅硬貨を6枚用意するのが習わしだ。


硬貨は葬式の際に渡されるはずだが、人によっては用意されないことがある。


「お客さん、これじゃあ足りないねぇ」


死神がそう告げると、小さな魂は震えた。

まだ幼い子どもであろうと死神は容赦なく、白銅硬貨を一枚ずつ見聞する。

狼の耳を揺らしながら、首を振った。


「ほら、一枚偽物が紛れてた。これじゃあ、舟には乗せられないね」


死神は偽物の硬貨を見せた。


小さな魂は別の船にいる死神に引き渡される。

その船は現世に向かう船で、冥界とは真逆の方向に進む。

これで死の境をさまよっていた魂は肉体に戻り、目覚めるというわけだ。


「それじゃ、次の人……アンタさんもだめだねぇ、これは白銅じゃない。

ただのアルミだ、言い訳は聞きませんよ。

ほら、あの子の後ろについて行ってください」


ひときわ大きな魂を追いやって、次々と列をさばいていく。

硬貨を確認し、持っていない者は追いやり、現世へ戻す。

現世に戻った後のことは知らない。

悲しんでいると聞いたことはないから、問題はないだろう。


「ちょいと! アンタさん、ここでも罪を重ねるつもりかい?

しらばっくれてもダメだよ、私はちゃんと見ていたんだ。

これ、後ろの奴からぶんどったんだろう。

大人しくあっちの舟に行きな。んで、後ろのアンタはこっちの舟だ。

怖かっただろう、もう大丈夫だ。あんな奴は冥界にないから安心してな」


細身の魂を現世行きの舟に、後ろの魂を自分の舟に乗せてやった。

そんなふうに文句を垂れながら、魂を次々と舟に乗せる。


最後の魂が舟に乗り、出発した。

姿が見えなくなるまで見送った後、死神は自販機に白銅硬貨を投入した。

熱々の缶コーヒーが出てきて、タブを開ける。仕事終わりの一杯が最高に美味しい。


「仕事終わりのコーヒーがそんなに美味しいかい?」


水色の髪、額から一本の角が生えた鬼が話しかけてきた。

今日は来訪者はないと聞いていた。抜き打ちか。


「お前、その金をアイツらから巻き上げていただろう。仕事としてどうなんだ?」


このコーヒーをぶん投げてやりたかった。

鬼のくせに冥界は管轄外だのなんだのと言い訳をして、絶対に関わろうとしない。

現世でのうのうと生活をし、死者と向き合いもしないような奴に文句は言われなくない。


「死ぬにはまだ早いって言ったら怒られちゃいますかねぇ。

生死を勝手に決めつけんなって思うかもしれないけど、あの人たちはここに来ていいわけがないんです」


冥界の鬼たちは何も好きで魂をいじめているわけじゃない。

生前のことを忘れないために、罪を償わせるために彼らは存在する。


「もういっぺん、チャンスを与えてやってもいいんじゃないですかね。

道をまちがえただけで、まだやり直せるはずです」


「何を偉そうなことを。生死を操る能力はお前たちにはないはずだ」


不満そうに言うと、狼の死神は辞書のような紙束を鬼に突き付けた。

死神は死者を受け入れるだけだ。生死を操る能力はない。

しかし、魂を選ぶ権利はある。ここで引き返せば、まだやり直せる。


「これね、今日来る魂の情報なんですよ。今朝、配られたんです。

ここに生前のことがすべて書かれているんです。

分かりますか? これさえ見れば、何をやっていたかなんて、すぐに分かるんです。

あんなガキは奇跡の復活を遂げて、なが~い人生を送ればいいんです」


小さい魂は数日前に交通事故にあい、生死の境をさまよっている。

ここで引き返せば、明日あたりには自分の体に戻り、目覚めることだろう。

悲しみに暮れる家族の顔が喜びへ変わり、彼は受け入れられる。


「んで、その次のオッサン。こいつはもうねえ、とんでもない大罪人ですよ。

会社のお金をちょろまかしていたのを死んでごまかそうとしてるんですから。

冥界の法律じゃなく現世の法で裁かれるべきなんです」


忙しい閻魔大王の手を煩わせるわけにはいかない。

彼の罪が暴かれないまま罰を受けさせるわけにはいかない。

だから、追い返してやった。


「そんで、あのおねいさんね! あの人はかなり業が深いね~。

浮気相手とその恋人を殺して、自分も死のうってんだから怖い話さ。

でもね、どんな理由があっても死を逃げ道にされちゃあ困るのよね」


死は救いにならないのに、誰も聞く耳を持ちやしない。

死ねばすべて終わると思っている。

すべて終わるなんて言葉は物語以外に存在しないというのに。

それを誰も分かっていない。

だから、死神の仕事は増える一方だし、追いつかないのである。


「そして、おねいさんの後ろにいたあの魂!

アイツはここに何度も来てるんだから、どうしようもできない!

現世に戻るたびに悪いことをしていた。

あっちで計算機を叩いていれば仕事になるアンタは知らないだろうけどね!

まったく、やってらんないよ……」


死神がまくしたてると、水色の鬼はため息をついた。


「アンタなりに考えがあるのは分かった。

けど、現世でまた迷ったらどうするんだ? そうやってまた死なせるつもりか?」


「その時はその時、情報が下りて来れば分かることです。

けどね、そういうときこそ迷子にならないように、しっかりと導くのがアンタさんの仕事でしょう。現世でしっかり働いてもらわないと私らが困りますよ」


人間の闇を背負い、逃げ道を作るのが彼らの役割だ。

いちいちこちらに文句をつけられても困る。


「そんな性格でよく船頭が務まるな」


「人手が足りないのは冥界でも同じでしてね。

こうでもしないとやってられないんです」


鬼は再度ため息をついて、その場を後にした。

話にならないと思ったらしい。


死神は白銅硬貨を指ではじき、落ちる前に捕らえた。


正当な理由もなく死んだ奴は追い返す。

真っ当な理由もなく死んだ奴は追い返す。


これだけでも閻魔大王は楽になる。

仕事終わりの一杯のコーヒーのために働く。


魂が列をなしてやってきた。

さあ、次の仕事が始まる。

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己の死の価値を人に委ねることなかれ【己】 長月瓦礫 @debrisbottle00

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