第21話 また日は昇る
カリーナはワインセラーの角を掴む。
所狭しとワインを並べた棚だ。ずしりと重い感触が、力を籠めるカリーナの腕に伝わる。
だが。
何十年も鍛え続けたカリーナからすれば、棚ごと倒すなんて造作はない。
「えい」
あっさりとした掛け声とともに、棚が倒れて、ガラスが割れる音がこだまする。
赤い血のようなワインが床一面に広がった。
「な、ななななな!!!! お前!! 私のコレクションに何をしている!!」
けたたましい音に気が付き怒るツーデンを無視し、カリーナは持っている魔導石のライターで、床に広がるワインに火を着けた。
百年も濃縮されたワインの海が、一瞬にして火の海に変わる。
「ああああああ!!」
ツーデンは悲鳴を上げる。
「まるでキャンプファイアーみたいだぁ……」
対するシエンはどこか他人事のように呟く。
「こ、小娘ぇええええ! ゆるさん! 絶対にゆるさんぞ!!!!」
怒ったツーデンはカリーナに口を開けて突進してくる。
とっさに構えようと腰のあたりに手をかけるが、神無月はもうない。
その代わりにあったのは、ヤコブからお守りにと受け取った麻袋。
「一飲みにしてやるゥウウウッッ!」
我を忘れて突っ込んできたツーデンの口めがけて、カリーナは麻袋を投げつけた。
それはツーデンの口に吸いこまれる。
そして。
「————が、が、がらぁあああああ!!!」
よほど、即効性があったのか。
それとも、大蛇に変身した成果、体内にも溶かす毒が発生し、麻袋が想定以上の速さで溶けたのか。
大蛇は顔を真っ赤にさせてのたうちまわる。
火を吹くほどの辛さの代物だ。
それを袋一杯分摂取したとなれば、流石の大蛇も無事にはいかない。
のたうちまわる大蛇を尻目に、カリーナはシエンのもとに駆け寄った。
「やるねぇ、赤い叫びで足止めとは……だが、これは奴の汗をもっと噴き出させてしまう。いったん引こう。これ以上、戦っても勝ち目は」
「ある!」
「……なんかいい案でもあるか?」
「ええ! さっき思いついたとっておきのヤツがあるわ。シエン君。君の血で、『魔導銃』を作ってほしいの!」
「いや、できないこともないが、さっき銃は効いてなかっただろ、それじゃ…………」
「普通の大きさのなら、そうよね。じゃあ、それが大きいものだったらどう?」
意図が伝わったようで、シエンはにやりと笑った。
「――――なるほど。おたく、馬鹿だな!」
「やってみる価値あるでしょ?」
「大いに有りだぜ!」
シエンの体から赤い光が発せられる。
「出血大サービスだ!」
叫ぶと同時にシエンは両掌を自分の足元に広がる血だまりに突っ込んだ。
するとそれは、あっという間に形を変えていく。
生成されるのは、二枚の鉄板のようなもの。
それは砲身。
弾丸を加速させ、相手へ叩き込むレール。
鉄板のような砲身は植物が根を広げるかのように、じわじわと伸びていく。
そして出来上がったのは、刺々しく、赤く輝く弦のない弓のようなもの。
「君の血が魔導石と同じ性質で、磁性があるなら! できるハズよね!」
シエンがまっすぐ腕を伸ばし、弓を構える。
カリーナは後ろからそっと手を添えて、矢をつがえる位置に、魔導石の短剣を入れ込む。
魔導銃の仕組みを応用し、巨大化したもの。
「名付けて『魔導砲』! 俺が大砲、アンタが砲手だ!」
「———きっ、貴様ら! こんなことをしおて、ただでは済まさぬぞおお!!」
赤い叫びを喰らい、涙目になりながら叫ぶツーデンの視界に入ったもの。
それは、赤く輝く弓を構える二人だった。
「吹き飛べェえええええっ!!」
カリーナが魔力を込めると、バチバチと音を立て、シエンの血で作られた弓に魔力が流れ込む。
そして次の瞬間。
音すらも置き去りにする速度で短剣は放たれた。
赤と緑の光を帯び、流星となった短剣はツーデンの腹めがけて飛んでいく。
鱗より分泌された汗は短剣を包み、勢いを削ろうとするが、勢いは衰えない。
螺旋回転する短剣は、汗を吹き飛ばし、ついに蛇の腹に突き刺ささる。
「そ、そんな、ありえな、い…………」
想定外の事実を受け入れられない、驚愕の表情のままツーデンの体はみるみる縮み、丸々太ったいつもの姿に戻っていく。
しかし、いまだに矢の勢いは止まらない。
「ふぉおおおおおおおおお!!!!」
悲痛な叫びと共にツーデンはそのまま吹っ飛んでいく。
壁を四枚ほどぶち破って、ようやくツーデンの体は動きを止めた。
「こ、こんな、この私がぁ…………」
いかにも小悪党のようなセリフを吐き、ツーデンは白目を剥いて気絶した。
先ほどまでの騒々しさから一変し、屋敷には静寂が訪れる。
矢を放った衝突によって発生した凄まじい風圧は、寝室の窓ガラスを粉々に破壊し、ワインの火の海を一瞬で消火していた。
構えていた弦のない弓は役目を終えたといわんばかりに、塵となり宙に溶けて消えていった。
「…………勝った?」
「そうだよ。俺らの勝ちだ」
「―――――やったぁ!」
喜びを抑えきれず、まるで子供のようにカリーナはシエンの背中に抱きつく。
「うぎゃ!」
シエンは疲労のため、踏ん張れず、そのままふたりまとめて転がった。
喜びを抑えきれず、カリーナはそのままクスクスと笑ってしまう。
「…………何笑ってンの?」
「わからない! でも、なんだかすごく嬉しいの!」
勝って嬉しい。そんな気持ちになるのは、久しぶりだった。
勝つのは当たり前だった。
勝たなければ、明日はない。
そんな生活を送ってきたから。
でも、今日の勝利はいつもと違う。
人と協力して、勝利を掴んだ。
だれかと心が通じ合い、信じてもらえること。
なんと心地が良いのか。
弓矢の風圧で壊された窓から差し込む夜明けの朝日が、笑うカリーナとそれを穏やかに見つめるシエンを照らした。
§
あの戦いから、一週間。
かつてツーデンの屋敷があった高台から、カリーナとシエンは町を見下ろしていた。
来た時はすっかり寂れていた町だったが、今は人通りに活気が戻ってきている。
ツーデンはシエンが呼んだ帝国憲兵に引き渡され、裁判のため帝国王都へと送還された。
ツーデンが倒され、町を牛耳っていたチンピラたちも一掃されたことで、行きかう人々の様子もなんだか明るい。
借金をしていたのは鉱夫だけではない。
この町で商売を営む人間はほとんどがツーデンから金を借りていたそうだ。
ツーデンがいなくなり、借金が帳消しになったということだ。
現金な話だが、それは明るくなるだろう。
「あの子を助けたことが、ここまで巡り巡るとはねェ。完全に想定外だ」
シエンは遠い目をする。
「良かったなァ。あの子は父親と再開。今回の活躍でクビは取り消しだろ?」
「ええ。本当に私、ツイてるわ」
いつまでたっても商会本部に戻ってこないカリーナを心配した商会長ライオネルとウミガラス商会の面々は数日後にこの町に来た。
ヤコブをはじめとする魔導石職人やアマンダ、そして共に戦ったシエンの猛抗議でライオネルはカリーナのクビを取り消し。
昇進を認めるよう計らうと約束した。
「しっかし驚いた。カリーナさんがこの町のために商会支部を作りてえとか言い出すなんてよ」
カリーナはこの町にやって来たライオネルに開口一番放った言葉。
それは、自身の処遇の話や、この町であった出来事の話ではない。
この町にウミガラス商会の新支部設立の提案だった。
国境に近いので王国、帝国どちらにも輸出ができる中継点になりうること。
仕事を失った人が沢山いるため、人手には困らないこと。
もともとライオネルもこの町に支部を置きたいと考えていたことや、カリーナとヤコブら鉱夫たちの信頼関係を見て、それを即決した。
ヤコブたちの魔導石工房職人たちの技術は本物だ。
鉱山は落盤のせいで本当にダメになったが、あれはあくまで一つの採掘所であり、魔導石はまだまだ獲れる山がここら一体にあるらしい。
銃を作れるほどの技術は、ツーデンがいなくなってもこの町の職人たちに残っている。
きっと、魔導石を使った製造業・商売をウミガラス商会が広めれば、麻薬密輸という汚れ仕事に手を付ける必要もないし、もう借金をすることもないだろう。
「あのね。最後まで面倒見ろって言ったのはどこの誰?」
「俺でしたねすんません」
「わかればよろしい」
ふふん、と鼻を鳴らすカリーナに、シエンは苦笑いをした。
ひとしきり笑ったところで、シエンは改めてカリーナに向き直り、頭を下げる。
「カリーナさん。ありがとう。改めて礼を言う。この町の件の解決は、俺一人では無理だった」
「どういたしまして」
「本当に感謝してもしきれねェ。お礼と言っては何だが、俺にできることなら、なんでもするよ」
「なんでも?」
「あぁ。できることならな」
「ふ~ん…………」
「できることで頼むぜ? 俺は魔法は使えるが、何でもできるわけじゃあないんだ」
「じゃあさ。ウミガラス商会に入って私の相棒になってほしい」
シエンはその言葉を聞いて、身を固くした。
「…………ダメ?」
「あ、いや。そんな誘いが来ると思わなくて面食らった」
「で、答えは?」
「ごめん無理」
「無理ィ!?」
「うん」
「いやそこは二つ返事でイエスでしょ!」
襟首を掴みシエンを揺らす。
「すまない。俺はまだ、やることがあるんだ」
本当に申し訳なさそうに言うシエンに、カリーナはシエンを揺らす手を止める。
彼の言う通り、シエン君には皇帝暗殺事件の真犯人を追いかけて、セレーネさんの無実の罪を晴らすという目的がある。
「……それは、ウミガラス商会に在籍しながらじゃ、ダメなの?」
「ああ。ツーデンを尋問して聞き出した情報をもとに捜査を続けるつもりだ。やはり、この事件は表に出ない暗部の世界のできごとだ。俺も、合法的な手段をとってばかりじゃあいられないだろう。その時にウミガラス商会に入っていたら、アンタにも、ライオネルのおっさんにも迷惑が掛かっちまう。だから、皇帝暗殺事件の犯人を捕まえるまでは、アンタの相棒にはなれない」
「そんなぁ……」
初めて、心が通じ合った。
この人になら、弱みをさらけ出すことができる。
この人が、私のバディになってくれたら、いかに心強いか。
そんなことを思い描いていたぶん、断られてしまったことにカリーナはショックを受け、がっくりと肩を落としてしまう。
そんなカリーナに、シエンは顎に手を当てながら言った。
「…………ただ。アンタが待ってくれるなら。全部終わったら考えてやるよ」
「……約束よ?」
「もちろん。俺は嘘はつくが、約束は破らない」
ニッ、と白い歯を見せてシエンは笑った。
「じゃ、俺はそろそろ行くよ。ライオネルのおっさんによろしく。達者でな、カリーナさん」
そう言うと、シエンは去っていった。
だんだんと小さくなっていく、英雄の背中を見送りながら、カリーナは昔、父親から言われた言葉をふと思い出した。
カリーナよ。強く在れ。
父は私にそう言った。
この言葉の意味を、私は十年も履き違えていた。
本当の強さは、腕っ節の強さや、権力、お金を持っていること。ましてや、神器を持ち、魔法を使えるということではない。
私に足りなかった本当の強さ。
それは、誰かを信じることができる、心の強さだった。
何も守れなかったあの日から、私はずっと弱い自分を呪っていた。
本当は、怖かったんだ。
誰かを信じたり、助けを求めたりすることは、自分の弱みをさらけ出すこと。
自分の弱さがバレたら、足元をすくわれて、また奪われる。
そう思ったから、誰も信じられなかった。
弱くて、大切な人の死に泣くことしかできない、あの時の私を心の奥底に閉じ込めて、誰とも深く関わらないことで自分の弱さを隠していた。
でも、彼は私の想像とは違った。
彼は、そんな私を見て弱くても良いと背中を押してくれた。
私が私自身を呪っていた毎日も、無駄じゃないと教えてくれた。
何より、弱い私を受け入れてくれた。
彼が私を受け入れることが無かったら、ツーデンとの戦いには勝てなかった。
まだ、弱みをさらけ出すのは正直怖い。
でも。少しだけなら。
相手を信じて、任せるのもアリかもしれない。
そう思うカリーナの顔を撫でるように、暖かい風が吹いた。
寒い冬はもう終わる。
春はきっと、もうすぐそこだ。
「またね。シエン君」
すっかりシエンが見えなくなってから、カリーナは小さく呟いた。
星継のレガシリア 第一章 昇進任務編 完
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