第12話 真夜中の追跡

 日が暮れ、夜になった。

 約束の時刻。深夜零時に、受け渡し。

 カリーナとサォは孤児院の少年、ウィリーの案内で教えてもらった『赤い叫び』と呼ばれるトウガラシの群生地の傍で約束の時を待っていた。


 麻薬密輸犯は本当に来るのだろうか?

 待つことはじれったくて苦手だ。

 それに、普段なら寝ている時間に無理矢理起きているので、とても眠い。

 寒いし、夜風は冷たいし。

 早く解決させて、暖かいお風呂に入ってゆっくり寝たい…………。


 そう思いながら、カリーナはふわぁ、と大きなあくびをする。

 体をほぐすように伸びをしていると、森の中からこちらに向かってくる人影が見えた。

 携帯用のランタンを腰に付けており、暗闇の中、ぼんやりと輪郭が浮かび上がる。


 かなり大柄な男性だ。

 夜闇にまぎれるためか、黒い外套を身に付けている。


 相手もこちらに気が付いたのだろう。

 一歩一歩、ゆっくりとだがこちらに向かって歩いていた。


「きっと、あいつが密輸犯だろうな。ギリギリまでひきつけろ。普段と違う受け子と思われたら、逃げられるかもしれない。もし、森に逃げ込まれたら、追い込めるかわからねえ。それに奴らの手の内がわからない以上は…………」


 くどくどと、ミイラ男がまた語りだした。

 彼は論点をまとめずくどくど話すので、聞いていたら眠りそうだ。


 しかし、面倒なこのお説教も、今こちらに向かってくる人を捕まえれば、任務は終了。バディは解散。

 開放される上に、私は昇進して神器を手に入れる。

 要は、捕まえたらいいのだ。

 たとえ、相手がどんな人であろうとも。

 それに。


 カリーナは、腰の刀に手を添えた。


 地の利があろうとも、この距離なら、相手を捕まえられる。

 子供時代に森の中でウサギを追い回し何匹も捕まえた。

 士官学校時代、森へ逃げ込んだ斥候を追いかける訓練だって、何度も受けたし、ウミガラス商会の用心棒として何度も森の中で戦ったこともある。


「そういうわけで、慎重に……」

 サォの言葉の途中で、カリーナは潜伏していた草むらから飛び出し、遠くの人影へ向けて走り出す。


 遠くの人影は飛び出たカリーナにぎょっ、となり身を固める。

 そして、どうやら相手がいつもの受け渡し相手ではないと気が付いたのか。

 すぐに踵を返して森の中へと走り出す。


「―――なんで人の話を最後まで聞かねェンだあいつはァ!」

 サォも遅れて飛び出し、慌てて後を追った。


 真夜中、森の中で、逃げる大柄な男。

 そしてそれを追いかけるカリーナ、遅れてサォが続く。


 真っ暗な森の中、大柄な男は見た目に見合わず機敏な動きで枝や足元の草をかき分けて進んでいく。

 しかし、男の居場所は腰に付けたランタンがあるので場所は丸見えだ。

 場所がわかれば進むまで。

 走りながら、カリーナは抜刀し、障害となる木の枝や草木を切り落としながら進む。


 障害物を避けて蛇行しながら進む男と、障害物をぶった切って直線で進むカリーナ。

 二人の距離はじわじわと縮まっていく。


「捕まえた!」


 そしてついに、カリーナは男の襟首を後ろからつかんだ。


「貴方、麻薬の密輸犯でしょう? いろいろと聞きたいことが…………」


 男は観念したのか、振り向く。


 蓄えられたもじゃもじゃ髭に、目の下には傷を縫った跡。

 浅黒い肌に黒い髪、茶色の瞳。


 それは、アマンダのペンダントの写真に写っていた大男。

 行方不明になっていたはずのアマンダの父親、ヤコブだった。


 写真より少しやつれているものの、目の下の傷跡が他人の空似でないことを証明している。


「ヤコブ、さん……?」


 暗闇の中で、知らない女の口から己の名を呼ばれて男は驚愕と、困惑が混じったような表情を浮かべる。

 麻薬の密輸犯は、ヤコブだった。


 カリーナは、想定外の出来事に体が動かなくなってしまう。


 麻薬密輸犯は目の前にいるが、それはアマンダの父親である。

 父親を捕まえ、ウミガラス商会を通じて帝国に引き渡せば任務は達成。

 私は昇進し、神器を手に入れるチャンスを手にする。


 しかし、それをすることは、あの子を天涯孤独の身に晒すということだ。


 大人たちの、身勝手な理由で、私と妹は孤独になった。

 誰も助けてくれない。

 あの時の、前が何も見えない苦しさの中に、自分の決断一つで彼女を突き落とせる。

 今まさに自分がその瀬戸際にいる。


 この町で知り合った少女を犠牲にし、任務を達成するか。

 それとも、少女のために、自らの夢へと続く道を断つか。


 私は、どちらを選んだらいいのか。


 答えの出ない問いを、カリーナは自らに問い続け、動けなかった。

 何か思案しているカリーナの様子を、ヤコブはじっと見つめている。


 二人は固まったまま、永久のような一瞬が流れる。


「―――伏せろォッ!」


 その硬直を破ったのは、サォの怒声だった。

 そしてそれとほぼ同時。


 空を切りながら、カリーナのほほの傍を何かがかすめた。


 熱い。

 それが痛みであり、傍を通りすぎたのが矢であることを、カリーナは即座に理解した。


 麻薬密輸犯の共犯者が森の中にいる。

 おそらく、捕まったヤコブを助けるための攻撃だろう。

 もたもたしていたら、矢に射抜かれてしまう。

 判断を躊躇している場合ではない。


 カリーナは、ヤコブの襟首を掴んでいた右手を、そっとほどいた。

「行ってください。アマンダちゃんのために」


 小さな声で、ヤコブに耳打ちをした。


 できない。

 自分の昇進のため、あの子を見捨てることは、できない。

 それが、この場でカリーナが出した結論だった。


 ヤコブは体が自由になったこと。

 愛娘の名前を出したこと。

 そして、カリーナがこれ以上追跡する意図がないことがわかったのか、軽く会釈をし、そのまま走り去ってしまう。


 アマンダのお父さんの特別な仕事は、麻薬の密輸。

 これを、あの子にどう伝えるべきだろうか。


 カリーナは、見えなくなっていく大柄な男の背中を見つめながら、そこに佇むことしかできなかった。


「————ボケっとしてンじゃねぇッ!」

 グイ、とサォに襟首を掴まれて、無理矢理地面に押さえつけられる。

 先ほどまで、カリーナの頭があった場所に、矢が適確に撃ち込まれていた。


「引くぞ。任務は失敗だ。地の利が無さすぎる」


 サォの言葉に、カリーナは頷く。

 二人はそのまま森の外へ逃げるため走り出した。

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